"ヤングケアラー"に逃げていると感じた1年
今年も元ヤングケアラーとしての経験をお話しさせていただく機会に多く恵まれました。
お世話になったみなさま、ありがとうございました。
各地でのヤングケアラー支援の条例化、国でもヤングケアラー支援法制化の方針が発表されるなど、ヤングケアラー支援に向けての動きがとても活発で喜ばしい反面、個人的には、自分は本当に「ヤングケアラー」という言葉で救われるのだろうか?という疑問をより強く感じる1年でした。
元々、自分の経験や、自分が消化しきれていない思いはヤングケアラーという言葉の下に話せることだけでは表現しきれないとは思っていて、スッキリしないまま何年も過ごしているうちに、このまま一生、子どもの頃の経験に呪われて生きるのは嫌だから、ヤングケアラーという言葉に頼らずに自分の中で決着をつけたいことに向き合おうと決めた1年だったはずでした。
それなのに、気づけば自分の経験をすぐに「ヤングケアラー経験」として話していました。
きっと、ヤングケアラーという言葉に頼ってしまえば、楽なのだと思います。
ヤングケアラーという言葉になじみ始めた頃、こんなにも自分の経験を表す言葉があるのか、似たような経験をした仲間に出会える言葉があるのか、居場所があるのかと感動しました。自分の経験は話せば長くなるはずなのに、ヤングケアラーと一言で済む手軽さも、当時は楽でいいなと思っていました。
今でも、ヤングケアラーという言葉で繋がることができた方々はかけがえのない同志のような存在で、出会いをつくってくれたヤングケアラーという言葉にはすごく感謝しています。
ところが、自分自身、年齢を重ねて、少しずつ日々が変化して、はたしてヤングケアラーとは自分の居場所なのだろうか、自分がいてもよいところなのだろうか?と思うようになりました。
自分のような、ヤングケアラー支援だけでは救われないと思っている人間がヤングケアラーという言葉を使って自分の経験を話すことに、最近は強い罪悪感を覚えます。同じように経験を話している当事者やヤングケアラー支援を行っている方々と自分は主張したいことが違うんじゃないか、迷惑をかけているんじゃないか、やっぱり私の居場所はここにはないんじゃないか。自分の言いたいことを、ヤングケアラーという言葉を使って話せば、キャッチーで誰かに聞いてもらえる可能性が高いから、安易に利用しているだけなのではないか。今までは経験を話す元ヤングケアラーが珍しくて、それでもよかったかもしれないけど、これから実際のヤングケアラー支援が進んでいく中で、自分のためにヤングケアラーって言葉を使うのは違うんじゃないか。
そもそもこんなことを言うことさえ、ヤングケアラーが支援にたどり着くハードルを上げたり、「自分はやっぱ違うかも。支援はいらないかも。」と思わせてしまうことにつながっているのではないか。
ヤングケアラーという言葉に出会えたことで、自分の中で消化したり、折り合いをつけたりすることができるようになったこともたくさんあって、今、自分が抱えているのはそれでもどうにもならなかった最後の残りの部分なのかなという気もします。
来年も、さまざまなところでヤングケアラー経験をお話しさせていただく予定です。迷いはありますが、その迷いや葛藤、矛盾など不安定な部分に向き合うことも、ヤングケアラーらしい部分のひとつとして伝えていこうと思います。言い訳にはなりますが、物事が大きくなるにつれていろいろな考え方の人が出てくるのは当然かな、みたいな開き直りでもあります。
それはそれとして、来年こそ、安易にヤングケアラーという言葉を利用せずに、自分自身に向き合う方法を探していこうと思います。20年以上抱え込んだことをたかだか1年でどうにかすることはできないとは思いますが、来年末はもう少しスッキリした気持ちで迎えられたらと思います。
改めて本年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。