好きな街を2回訪れるのは、好きな映画を2回みることにも似ている ーミクロフ④
好きな街を2回訪れるということは、好きな映画を2回みることにも似ている。
時間とお金と労力を割いてでもまた行きたい場所。その魔力はすごい。一度目で感じたものを何度でも味わいたい。二度目に見たら新たな発見があるかもしれないという期待。同じ映画を二度見るときも、おおよそそんな気持ちだろう。私がミクロフを訪れた動機もそのようなものだった。
はじめてミクロフを訪れた私は、「聖なる丘」からのオレンジ屋根の風景に魅せられ、その場所から動けず離れられなくなった。ほどなくして日が落ちて来て冷え込んで来たが、ぶるぶる震えながらその場でスケッチをした。合計1時間強はそこにいた。
(そのせいか、筆圧がめちゃくちゃ薄かった)
鼻水たらして描いたスケッチを日本に持ち帰り、チェコで購入した版画資材を使って、版画を制作した。地道に絵を描き、彫り続けること数日間。
そして絵の具を使った「刷り」に大苦戦。なぜか1つの版で多色刷りをする無茶をしたものだから、失敗のオンパレード。もう数十回、100回近く刷って、予定していた紙も使い切って、結局苦し紛れに入手した紙で刷った。
そして、ようやく完成した版画。
ミクロフ(2015年/リノリウム版画)
そうして、苦労して版画にしたのは、2015年に見て思わず涙した、曇り空のミクロフ。
2019年にまたここを訪れたときは、ちょっと暑いくらいに晴れていた。
ミクロフを再訪した時の感情は、うまくことばにできない。同じ場所を二回訪れると、やはり以前の私はどうだったかということについて考える。
あの時私が思ったこと、感動したこと、それを懐かしいと思うと同時に喪失感に襲われた。
こんなに美しい景色を一人で見ていること。一度目に訪れたときには母がこの世界にいたのに、今はどうしていないのだろうということ。すぐに家に帰るわけじゃないのに、無性に帰りたくなる。どこにって、母のいる家に。現実的な意味で言ったら、母だってここに来ることはできなかったかもしれない。来たかっただろうかもわからない。それでも母に見せたいという、本能的な感情ばかりに埋め尽くされる。
そんなことを思い浮かべながら、とにかく目の前にある景色は美しい。
1秒たりとももったいなくて、とにかくぼうっとして、ベンチに座って、しばらくその風景をまた目に焼き付けた。
またこの場所には、来る気がした。そしてここに来るたびに泣いてしまうのかなとも思う。
旅において一番大事なのは「私情」なんじゃないか。ガイドのような旅行記には不要な感情だろうけれど、私の旅行記にはきっと必要だ。それをどう形にするかは、作家の力量次第が問われるところ…(ひえー)。
チェコ旅行記が本になるまで ミクロフ編
「チェコ旅行記」が本になるまでの道のりー『ミクロフ』①
一歩ずつ進んでいくような旅行記ー『ミクロフ』②
20分間、森の道を登って見たものはー『ミクロフ』③
好きな街を2回訪れるのは、好きな映画を2回みることにも似ている ー『ミクロフ』④