スキマインタビュー:グランドピアノの夢を見た人(前編)
今回インタビューしたのは、ピアニストであり作曲家である、栗林すみれさん。いや、ここはあえて、すみれちゃん、と呼ばせてもらいましょう。
「ジャズ」「ピアニスト」「作曲家」というかっこいい響きの職業についている彼女ですが、本人の印象は、いたってあたたかく、のんびりとした雰囲気なのです。そもそもピアニストとしての彼女を知る前に、私自身が友達として一緒に遊んでいたからという点も大きいですが、活躍中の彼女の肩書きからはみ出すような「親しみやすさ」は、きっとジャズ好きの方以外の方も幅広く魅了するものがあると思い、今回インタビューをお願いしたのでした。
そんなすみれちゃんですが、新宿タワーレコードではジャズのコーナーに新しいアルバムの展開がされていました。
以前の記事でも書いたのですが、彼女は、私のはんこをはじめて褒めてくれた人でもありました。当時そこまで親しくなかった彼女の言葉は、私の背中を押してくれたのでした。
今回は、そんな彼女の家へお邪魔して、コタツを囲みながら、煎れてくれたそば茶をいただき、お菓子をつまみつつ、インタビューをしてきました。
改めて彼女の音楽について話を聞くのは初めてのことで、聞けば聞くほど、彼女にまつわる、「ジャズ」「音楽」「ピアノ」「自然」…など様々なものとの独特な付き合い方が少しずつ見えてきます。
そして、今の栗林すみれを作り上げた歴史には、「グランドピアノの夢」の存在が大きくあった、ということを知りました。
ーまずは「Jazz Life」表紙おめでとうございます。
ありがとう(照)。最初聞いたときはちょっと信じてなくて、本当だったんだ〜!!って感じ。初めてのCDが出るっていう話のときも、本当に出すのか?って疑ってたし(笑)。そんなわけあるまい、みたいな。 ジャズ界は特に、みんな上手いし。それに比べて自分は技術的にいったら全然だし…って、もともとはマイナス思考なんだよね。
自分の「好き」「やりたい」は人よりはっきりしている
ーマイナス思考とは…明るいイメージなのに、意外!
結構みんなにいわれるけど、かなり、本当は根暗なの。私は、自分のやりたい!って気持ちとかこだわりがきっと人より強いんだと思う。これはいやだ!これは好き!みたいなのがはっきりと体に出る。だから学校に入ったりすると、あまりそういうのを出しすぎちゃいけないのかっていうのを肌で感じたりして。でも人と仲良くするのは好きだし、人は笑ってるほうがいいから。だからこそうまく自分が好きなことを通しづらかった時期があったんだ。
ー出身は?
両親は長野出身、お父さんが箏(こと)の演奏家で、はじめは内弟子の修行として東京に越してきて、そのあと独り立ちしてから埼玉のほうに越してきたの。だから私は小中高までは埼玉に住んでた。
これ、自分でセロテープで落ち葉を止めて服と王冠を作ったんだって!5歳くらいかなあ。昔から自然が大好きで、何かを作るのがめちゃくちゃ好きだった。結構デザイン性あるよね、合間に緑の葉っぱがアクセントに入ってたりして(笑)
ーデザインの才能が!?(笑)
昔からお絵描きはすごく好きだった。お父さん(注:栗林秀明氏)のアルバムのジャケットは私が小さいときにお父さんの似顔絵を描いたものなの。親バカだけど…(笑)。箏弾きながらタバコを吸ってる絵。
ーお父さんの影響で、音楽は身近にあった?
お父さんが、私が小学生くらいのときに竹楽器等を作るのにはまって、小学校の自由研究で一緒に作ったり。「お前はずっと四分音符でポクポク叩いてろ」とか言われて、お父さんがそこに変拍子みたいなのを重ねたりするっていう音遊びは昔からしてた。コップとかお茶碗とかお箸でコンコンして遊んだりもしたなぁ。
同じ曲一曲をひたすら弾いていた
ーピアノはいつから?
小さいときはピアノは習ってなかったんだけど、電子ピアノは買ってもらって、一曲だけ、自分で勝手に譜読みしてドレミ振ったら覚えちゃって。その一曲でずーっと何年も楽しめるという非常に稀な人だったんだよね(笑)。あとは小学校の音楽室でグランドピアノを弾いたりしてた。小学1、2年のときの担任の音楽の先生が、音楽会のときにピアノ教室に通ってもいない私にピアノの伴奏をやらせてくれて。それもすっごく嬉しくて、今でも大好きな先生。家ではお母さんに夕食後に一曲弾いてって言われたり、お父さんの友達にも酒の肴に一曲弾いてって言われたりして弾いてたなあ。
ー同じ曲をひたすら弾いてた?
そう、普通は一曲で満足できないよね。いやいや弾いてたこともなくて、自分が弾きたいときにしか弾いてなくて。自分がすごく悲しいことがあったときに、泣きながら弾いてたり…。言葉にならない感情の表現手段として弾いてたことは多かった。
ーちなみに何の曲?
「With Love」っていうドラマの中で、作曲家の役だった竹野内豊(役名:長谷川天 はせがわたかし)のピアノソロ曲をずっとひたすら弾いてたの。主題歌じゃなくて、「Once in a blue moon」っていう曲。
ーええっ、確かに意外!(笑)
そう。しかもTERUって書いてある!私GLAYのTERUさん好きだったから…やばい!(笑)
ーやばいね!(笑)中学時代は?
中学の時は、廃人かってくらいゲームしかしてなくて。一番早く帰れるっていう理由で家庭科部を選んで入ったくらい(笑)。絵を描くのもすごい好きだったから平気で8時間くらい漫画の模写とかしてたけど。同じ漫画読んでる子達にこのキャラクターかいた!とか見せ合ったり。
ーオタクっぽくていいね〜(笑)!ピアノは?
合唱コンクールでも伴奏をやったり、学校の音楽室のグランドピアノで、そのときの流行りの「タイタニック」とか「ラピュタ」とか、好きな曲は練習した。みんなが知ってる曲だと、友達が「いいね」って言いながら一緒に音楽室に居座ってくれた。
グランドピアノが弾きたくて、バクチ的な受験をした
ーそこから音楽の高校へ?
グランドピアノという楽器に憧れがあって。アパート暮らしで、床が抜けるから買えるわけないだろって言われてたし、自分でも買えるわけないし。でも…弾きたいなあグランドピアノ!よし音楽の高校にいけばいいんだ!って思ったんだけど、そのときもまだピアノ習ってなかったの(笑)。
ーえっ!受験のときにはじめて習った?
そう!台湾人の声楽のおばちゃんにピアノを習いに行って。その当時は、あまり理論とかの試験がなくて、課題曲をちゃんと弾けば入れるだろうと思って。かなり無謀なんだけど、曲が始まって3分のところまでは譜読みして練習していって、そっから先真っ白、っていう状態で受験したの。後何秒か、「はい、そこまで」ってとめられるのが遅かったら落ちてた!滑り止めも受けないでそれ一本だったから、親も私もバクチすぎるよね!
ースリリングすぎる受験(笑)。
そんなバクチで入学したから、他の子たちがやってる基本的なものを一冊もやってないし、周囲からは「この子きっと音大には行かないと思うわ。だから好きなことやりな!」みたいに、底辺すぎて諦めてもらえてて(笑)。先生も良くて、好きな曲をやらせてくれたし、ピアノの楽器のいいところとか、こうしたらいい音が出るよとか。作曲者の意図はこうだったんじゃないかとか、音楽の情景的なものとか音色の部分をすごく楽しく教えてもらって。だから高校は最高で、大学は結構つらいこともあったんだけど、楽しかった経験があったからその後もやめずにいられたのかも。
ーそして音楽の大学のジャズ科へ?
お父さんや他の知り合いの勧めとか色々きっかけがあって、ジャズ科を選んだんだけど。その頃はジャズという音楽の根本ではなく、オシャレなハーモニーという部分にしか注目していなかったんだよね。
周りがいいと言っているものをいいと思えなかった
ー大学時代がつらかったのはなぜ?
大学に入ると、周囲のみんなは、「ビバップ」っていうジャンルのジャズが好きで、私だけ、ジャズの中でも趣味が違ったんだよね。ヤクザな感じというか、退廃したっていうのかな。ピアノの音も狂ってて、ドラムもうるさいし、全然面白くないなとか思ってたの。でもみんなはそれが好きで。私がレベル低いからわかんないだけかなあ、っていう4年間だったんだよね。
ー苦手なことをやっていた?
ジャズって、「ジャズの名盤はこれを聞け!」っていう本多くない?先輩にも「えっ、これ知らないの?」とか言われた経験もあるし。それぞれの感性なはずなんだけど、なんでそれを私はいいと思えないんだろうなってすごく思ってたんだよね。
高校まではどうしたらいい音が出るだろうって、美しいピアノの音色についてずっと考えていたから、いきなり調律もずれたような激しいピアノの音の曲をコピーしろっていわれても、そのときは理解がついていかなかった。
理解しづらかったものも楽しめるようになってきた
ーでは、どういう音楽が好きだった?
大学入学前くらいから、キースジャレットの「The Melody At Night, With You」っていうアルバムはすごくよく聴いたなあ。
マイルスデイビスとか有名な人のバンドで演奏もしていて、ソロでもすごく売れた人なんだけど。そんなキースが、活動に疲れてしまって病気をしていた頃に、奥さんのためだけに弾いたっていうこのアルバムが大好きで。いまだにこれを、自分が落ちてる時に聞くと涙が止まりません(笑)。キースジャレットの、心の叫びが聞こえるというか。人間だなあって思うんだよね。
ー昔楽しくなかったものが今楽しいと思えるものもある?
そう。音楽的水準が上がってきたり、人間的な部分が変化するにつれて、そこで死に物狂いでやってた人のエネルギーや思いを以前よりも感じられるようになってきて、大学で好きになれなかった音楽も面白く思えるようになってきた。それは学生の時よりももっと奥を見るようになったんだと思うし、その頃は技術や理論ばかりこだわってたから面白くなかったんだと思う。この人たちにはこういう美学があるとか、そういうことがわかってその良さに気付けて、面白いものが前より増えたよね。
さて、ここまでで一旦お茶休憩。
すみれちゃんは、友人の手作りの「レーズンの酢漬け」と家にあったチョコレートとコーヒーという【最高の組み合わせ】を見出して、もてなしてくれました。「誰かが家でくつろいでくれるのをみるのが好き」という彼女。あれ?なんかジャズピアニストっていうイメージと違いませんか?(笑)
屈託のない笑顔の裏にある、経歴だけではわからないすみれちゃんの辿ってきた道。その原点となったのは、「グランドピアノを弾きたい!」という気持ちと、楽しい思い出と、苦しくも努力し続けた日々がありました。
奇しくも新しいアルバムのタイトルは、「The Story Behind(その奥にある物語)」。すみれちゃんと話をしていると、その音楽、そして彼女自身の背景にある物語が、不思議と透けてくるような感覚に陥ります。
後編では、自然とお絵描きが大好きな女の子がみた「グランドピアノの夢」のその先について、そして今の彼女の音楽について、詳しく聴いていきます。
栗林すみれ
1986年生まれの作曲家でありピアニスト。2018年3月に”Pieces of Color”、4月には"The Story Behind"をリリースし、多方面に活躍を見せている。4月、5月にかけてはリリースを記念したツアーで各所を旅している。
聞き手:絵はんこ作家「さくはんじょ」主宰のあまのさくや。誰かの「好き」からその人生を垣間見たい、表現したいという気持ちで、文章を書いたりものづくりをしたりしています。