目の前の人は未来の自分かもしれない
明け方に部屋の扉が開き、次の瞬間、布団の中に人が入ってくる。
「あっ、来た!」
そこからは、ただ時間が過ぎるのを待つのです。
大きな存在
私の祖母は大正生まれでした。満州に渡り終戦を迎え、大変な苦労をしてきました。幼かった頃、祖母から戦争の話や父の小さな頃の話を聞きながら悲しくなったり、怖くなったり、笑ったりしていたのを覚えています。
祖母は自宅でも着物を着て生活をし、すり足で歩く粋な女性でした。
部屋にはいつもチョコレートやジェリービーンズがあり、甘いものが食べたくなるとよく部屋に遊びにいきました。
「ほら、食べなさい」
私の手の届かない高い位置にある引き出しから出てくるチョコレート。あの宝箱のような引き出しにはどれだけのお菓子が入っているのだろうと考えるだけでウキウキしました。
そんな優しい祖母も鬼の形相になることがありました。
ある日、両親が外出しなければならなくなり、祖母と留守番しているように言われました。甘えっ子だった私は、置いていかれることが不安で泣きながら裸足で両親を追いかけました。
大きな道路の手前で祖母に捕まり、家に連れ戻されました。祖母はごろつく私の手足を抑えつけました。そして、泣き止まない私の手にお灸をすえました。
言葉でお灸をすえるのならまだしも、実際のお灸を就学前の孫にすえるなんて、今考えてもすごい。ただただ初めてのお灸で恐ろしく、もくもくと立つ煙を目にして、熱くもないのにさらに大泣きをしたのを覚えています笑
小さくなる姿
祖父の看病で病院に通っていた祖母と学校に行くようになった私。少しずつ一緒に過ごす時間が少なくなっていきました。通院と看病で毎日忙しくしていた祖母でしたがなんら変わらずに優しく、時に厳しく、カッコいい人でした。
数年後、祖父が亡くなりました。
高齢だった祖母にとって、祖父の看病は唯一の生きがいでもありました。祖父の死後、徐々に家にこもるようになった祖母。着物を着ることもなくなり、部屋からはいつもテレビの音が聞こえてきました。
夕ご飯の時に椅子に座る背中が日に日に丸く小さくなっていくのを見ていました。
病と向き合う
しばらくすると祖母に変化がありました。外出すると家に戻れなくなり、警察のお世話になることが度々ありました。
そして、身体的にも明らかに異常が見られました。祖母と私と兄の共有する廊下やトイレの床が汚物で汚れるようになったのです。そして、その汚物を孫である私たちのせいにするようになりました。
徐々にそんな祖母が嫌でたまらなくなり、幼い頃のように部屋に遊びにいくこともなくなりました。でも、部屋の前を通ると扉を開けて廊下越しに祖母が渡してくれるチョコレートは昔と変わりないアーモンドチョコレートでした。
孤独
祖母の症状は進んでいきました。そして、共にする夕ご飯の場所でも口数が減り、祖母から笑顔が消えていきました。小さな時にたくさん可愛がってもらったのにそんな祖母に高校生の私は何もできませんでした。
小さな頃のようにたくさん話をすることも、笑顔にすることも。
いつからか時々、明け方に部屋の扉がそっと開くようになりました。背後で気配を感じ、その後、ゆっくりと祖母が私の布団の中に入ってきました。
決していい香りとは言えない祖母の香りと小さな身体。
背中に感じる祖母の息づかいと体温。
ただ、寝たふりをして、祖母が布団から出ていく朝を待ちました。
しばらくして祖母は入院をしました。そして、数年後、亡くなりました。
今、思います。
祖母が感じていたであろう感情を…。
病への不安
老いの苦しみ
寂しさ
悲しさ
大人になってから両親に話しました。
「祖母が布団に入ってきたこと」
「祖母に優しくできなかったこと」
「後悔をしていること」
両親は言いました。
「それで十分だよ」
誰もが老いと向き合います。おばあちゃんの姿は私の数十年後かもしれない。
おばあちゃんは死ぬまでも、死んでからも私に影響を与えてくれる人でした。
同じ後悔だけはしたくない。
その思いが結婚後、一つの決断をするに至りました。それはまた今度。