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爪噛みと旅は同じ
幼少期の写真の中でよく見かける自分の姿がある。
爪を噛んでいる姿だ。
なんで爪を噛むの?
今も稀にあります。体育座りをして体を丸めて爪を噛んでいる自分に気づき笑ってしまうことが…
幾つになっても癖は抜けないのでしょうか笑
子どもの時と明らかに違うのはその時の自分の心情を観察できるようになったことです。
「またやってる」「あっ、また…」
そんな繰り返しの中で私にとって「爪を噛む」という動作の役割は何かがみつかりました。
それは、「安心」と「逃避」でした。
爪を噛むからの変換
小さい頃の私が爪を噛んでいる写真には特徴がありました。多くの人が集っている場所、幼稚園の集合写真や発表会の写真にはステージの後方で指をくわえて伏し目がちにレンズを見ている小さい私がいました。
いつも母親の後ろに隠れて、挨拶も母親にしてもらっていた私が唯一、一人で緊張に打ち勝つための方法が「爪を噛む」だったのでしょう。
学生になり、社会にでて、どんなに緊張しても誰かの背中に隠れることができなくなりました。自分の言葉で意思を伝え、自分で乗り越えなければ解決しないことが多くなりました。
でも、いつかから「爪を噛む」行為は「お酒を飲む」「買い物をする」へ切り替わっていきました。(この方法は社会人になってからです笑)
ひとりぼっちじゃない
今、会社勤めの時と同様に人と接することが多い日常を送っています。当時の環境と変わったのは家庭を持っていること、NPO団体を運営していることです。
日々、インターネットから入る情報や直接的に人の思いや言葉に触れていると疲れてしまう時があります。それは自分の思考や話す言葉が信用できなくなる時の始まりでもあります。あらゆることが煩わしくなってしまう時期なのです。
そして、そんな時は決まって、今いる環境から離れて「一人になりたい」という思いに囚われます。
そして、実際に数年前から一人で旅をすることを覚えました。テレビもつけず、極力ネットも繋げずに、自然が多い場所への旅ではただ波の音を聴いたり、一人でご飯を食べに出かけたり、都会への旅ではホテルの窓から路上を歩く人たちをずっと見続けています。
そして思うのです。「自分はひとりぼっちなんだ」と。そう思うとなんだか寂しくもあり、とても晴れやかな気持ちになるのです。
矛盾しているようですが、ひとりぼっちの自分を体感できるのは日々、たくさんの人たちに囲まれて、支えられて生きている事を実感させてくれることに繋がります。
そして、また自分の住むところに戻り、感謝とともに日々を過ごします。
当時、小さい自分が爪を噛んでいた時、何を感じていたのだろう。一人になった「寂しさ」、自分の感情を言葉にできない「もどかしさ」、「不安」、嫌な事を忘れたい想い…。
不意に親指の爪を噛もうとする時があります。
そんな時、心の中で言って聞かせるのです。
「大丈夫。旅にでよう」と。
そんなことを何度も何度も繰り返しているのは成長してない証なのでしょうか(笑)
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