痛みから知ること
「血だ…」
机の前に座り、鏡を見ていました。
何度も何度も自分の頬にシャープペンシルの
ペン先を滑らせた記憶。
「気づいてほしい」
うっすらと血が滲んだ頬に絆創膏をはり、
「何か言われるかな」
翌朝、ドキドキしながら階下に降りて行きました。
「どうした?」
その言葉に湧く喜びの感情。
「心配してくれた」
「私を気にかけてくれた」
中学生の頃、時々そんな時がありました。
自分にほんの小さな傷をつけてしまう時が…。
「自分の心の整理」
大学生になり、とても嫌なことがありました。
その時にピアスの穴を1つ開けました。
そして、今、ピアスの穴は3つ開いています。
ピアスの穴には思い出があります。
痛みは覚えていないのになぜ開けたのか。
は、鮮明に覚えています。
「心の痛み」
今、その頃の自分の歳の倍以上の年月を生きてきて
振り返ります。
頬にペン先を走らせている時
ピアスの穴を開けた時
その時の体の痛みは覚えていないのに
傷跡を見る時にその時の思いが鮮明に
蘇ります。
痛みを通して、
他人に知ってほしかったこと。
「わかってよ」
「私はここにいるよ」
そして、自分で知りたかったこと。
「大丈夫」
「私はここにいる」
「痛みを知る」
痛みは大切で自分をしる感覚でもあります。
「喉が痛い」→風邪かな?
「お腹が痛い」→食あたりかな?
「痛っ!」→膝から血が!
「痛っ!」→虫歯だ!
でも、心で受けている痛みは他の誰にも
自分でさえもわからないことが多くあります。
だから、伝えたいこと。
あなたはもう十分味わってるよ。
あなたは痛みを十分味わってるよ。
そして、他人の痛みを自分の痛みとして
共に感じれる力も養っているよ。
自分を感じたくなったり、悲しくなった時は
いつでもここにおいで。
少しだけおまけ…笑
かれこれ20年前、一度だけ
「TATTOO(タトゥ)を入れたい」
と、言った時があります。
「入れる必要がない!」
とパートナーから返ってきた言葉に納得しました。
「そうだ。私はここに存在している」