障がいとは何か〜他人の支えがなければ生きていけない・・・私も〜
2020年の年明けに新聞を開き、目に飛び込んできた記事が
あります。
今月8日に初公判が始まるとても悲しい相模原殺傷事件の
ことでした。
目にした記事の横見出し
相模原殺傷事件「動機解明を」
彼らと出会って10年位になる‥‥。
施設長をしていた父に何とか彼らに触れさせてほしいと
頼み込みました。
初めて彼らに会った時の事を今でも覚えています。
今現在もヨガや指ヨガを通して、彼らの手に触れ、彼らと
寝っ転がりながら楽しくヨガをしています。
「重複障害者」~「障害」を2つ以上併せ持つ
私が関わらせていただいている人たちに多くの重複障がい者の
人がいます。
ヘッドギアをし
唾液が口から溢れ出し
手足はかたまり
言葉を発することができず
自力で動くことが困難です。
彼らは人の支えなければ生きていけません。
私は月に1度、ヨガを伝えるために施設を訪問しています。
口から溢れ出す唾液をティッシュでふき取り
おやつやお茶を口に運び
固まった手足に触れ
返事のできない彼らに話しかけます。
正直に言うと、初めて彼らに出会った時は衝撃的でした。
彼らは自分の力では何もできない。
彼らは自分の意思も伝えられない。
彼らは幸せなのだろうか。
生きるとは何なのだろうか。
そんなことを考え、施設から帰る車の中で涙が溢れ出す時もあ
りました。
それから10年。
私は彼らの唾液をふきながら、自分を感じることができます。
私は彼らに触れながら、人の温かさ、自分の温かさを知ります。
私は彼らの私を見つめる眼差しから、言葉ではない
コミュニケーションを学んでいます。
私は彼らから彼らも自分も懸命に生きているのだと気づかせて
もらいます。
私は彼らから多くの事を与えられている。
私がそう思うのは・・・
常に彼らと接していないから
他人事だから
と思われるかもしれない。
でも、私には彼らは尊く、大切な存在です。
そしてこの社会にとっても、彼らの存在が雇用を生み
全ての人が平等に過ごしていけるような制度を生み、
彼らへの差別や偏見をなくし、共生社会をつくろうとする
人たちを生み出していく。
まだまだ社会全体でみると不十分すぎたり、整ってない部分も
あって、不満が沢山あるかもしれない。
でも私には生きていく上で彼らの存在が今も、これからも
必要なんです。
私たちは与え、与えられて生きている。
私たちは生かし、生かされて生きている。
そんなことを思うこの頃です。
2016年事件直後に<手をつなぐ育成会>連合会で出された声明。
(一部抜粋)
「国民の皆様には、今回の事件を機に、障害のある一人
ひとりの命の重さに思いを馳せてほしいのです。そして、
障害の有る無しで特別視されることなく、お互いに
人格と個性を尊重しながら共生する社会づくりに向けて
共に歩んでいただきますよう心よりお願い申し上げます」
この事件を受け、今尚、悲しみや苦しみの中にいる皆さんの
心に温かな日の光が差し込みますように…。