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毎日が苦痛だった

今、たくさんの子どもたちと関わっていて、

忘れかけていた学生の頃を思い出します。

中高生の頃に感じていた空虚な感じ。


「同じ日々」

毎日毎日、やってくる朝。

毎日、同じ服を着て学校に通い、窮屈な教室で

眠気と戦いながら必死で黒板の文字を書き写す。

休み時間は決まった友達と集い、時間を潰す。

楽しい時もあったけど、無性に苦しい時もあった。


「群れですごす」

時々、周りを見渡すと友達から離れて一人で

過ごしている子がいた。

少しだけ変わり者といわれていた子だけど、

なぜかかっこよく感じる時があった。

「一緒にトイレ行こう」

学生時代は女子同士で当たり前のように

友達とトイレに行っていた。

それがとても苦痛だった。

でも、断る選択はしなかった。

「あの子って変だよね」

友達同士でそんな話がでることがあった。

数日後はそう言ってた子や私自身が「あの子」に

なってる時があった。

そんな友達関係が嫌だった。

そして、あえてその群れから離れた時があった。

最初はとても寂しかったのを覚えている。


「自分はどこに?」

「毎日、なんのために生きているんだろう」

そんな疑問がふつふつと湧いてきた。

同じことを繰り返す毎日。

したくない勉強をし、成績で「すごい人」

「すごくない人」の判断をされ、

いたくもない友達といて、友達に

「いい人」「変な人」の判断をされる。

全てにおいて自分の意思で動いていない。

どこにも自分がいない。


「自分を発見」

ある賑やかな休み時間に友達のところに行かずに

机に伏せて寝ていた。

仲のいい友達はいつものように集っていた。

そして、休み時間が終わった。

そんな小さな行動だったけど、なぜか自分が

かっこよく感じた。

わずかだけど自分の意思で自分の時間を

過ごしたことに…。

それから一人でいたい時は一人で過ごすようにした。

自分らしくあればいい。

自分らしくあることには勇気が必要かもしれない。

その勇気は自分にしかだせないけど。


今は思う。

生きていくってことは

「自分を確立していくことなんだ」

って。そして、それは

「死ぬまで続くことなんだ」

って。


今、「生きる」に悩むことはとても大切なこと

なんだと学生の頃を思い出して実感しています。

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