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産まれた時代が違えば…いや、そうでも無いか。
妻は、雨女です。
買い物の帰りとか、さぁこれから出かけようかとか、出先でとか、かなりの確率で雨が降ります。
さっきまで止んでたやん、とか
今日そんな予報じゃなかったやん、とか
雨雲レーダー無反応なんやけど、とか
基本的にそういうのを『偶然でしょ?』って思う私ですら、『ちょっと雨に当たる率多くね?』って思うくらいには高頻度で雨に遭います。
(ちなみに私は逆に晴れ男で、雨が降ってても、出かける直前に止みます。)
そんな妻が先程、買い物帰りに通り雨に遭って帰って来ました。
もちろん、雨の予報はありませんでした。
「私のパワー凄いかも。また雨降ってきたわ」
『え?ホンマに?凄いなぁ』
「ちなみに、家着いたら止んだ」
『(笑)』
そんな感じで話してると、妻が
「時代が時代ならさ、私って雨を呼ぶ女としてそうとう有り難がられると思わへん?(笑)」
確かに、日照り続きで飢饉に陥ったりとかあったでしょう。
弥生時代なんかだったら、雨乞をする人として活躍してたかもしれません。
しかし、妻は大事な事を忘れています。
それは、自分の性格です。
『でもさ、当時の人って自分が雨を呼んでるって気付くのって、旅とかしてないと無理じゃ無い?単純に「この土地は雨に恵まれてて良い土地やなぁ」ってなるんちゃうか?』
「確かに(笑)恵まれた土地の村娘で終わると思うわ(笑)」
どんな時代であっても結局
『動け』
『気付け』
って事なんだなぁ…って話。