希望を捨てた爺 ②オモテ

 こちらを読む前に、まず「希望を捨てた爺 ①ウラ」をぜひお読み下さい。ニコイチですm(_ _)m

 あれは、鈍色が空を被っていた朝の事だった。駅に向かい歩いている途中の交差点で、信号待ちをしていた時だった。くたびれたママチャリに乗った爺が後ろからやってきた。爺は、一目見た印象では、くちゃくちゃに垂れ下がった世の中を見下したような威嚇するような顔をしていた。背中は丸まって、どちらかに傾いてた様にも見えた。今どうやって生活してるのだろうかと、余計なお世話だけど思ってしまう様な近づきたくない存在だった。爺は自転車を止めると、ポケットからたばこを取りだした。一本出してライターで火をつけて、一息吸って吐いて、それが最後の一本だったらしくたばこの箱をそのまま握った。握られた箱は少しだけくしゃっと音を立てた。と思ったら、ポイッと投げた。軽い感じで投げたからゴミをポイッと捨てるくらいなんとも思わないんだろうと思った。たばこが無くなったからなのかゴミ箱がなかったからか分からないけれど。そして信号が変わり、爺は行ってしまった。ママチャリのペダルに足をかけて、気だるそうに一漕ぎ踏み出してから、ゆっくりとペダルを回して私よりも先に行ってしまったが、どちらかと言えばよたよたと表現したい動きだったので、最初はまだ走ったら追いつけそうなくらいのスピードだった。

 爺が捨てたたばこは、HOPEだった。どんな暮らしをしているかは分からないが、いつもこうやってポイ捨てしているのだろう、軽い気持ちで。しかも、大通りに面した交差点の、歩道側のアスファルトという何か捨てるには適当とは思えない場所をあえて選んだのがまた、私の怒りも残念な気持ちも存分にかき立ててくれたではないか。

 そして私は、心の中で叫んだ。まずは信号が変わる前に「何でゴミを捨ててるんだよ!拾ってちゃんと持って帰れよ!こういうところがだめなんだよ、恥ずかしいと思わないのか!」と。それから、信号が青になって爺が行ってしまってからは、爺が捨てたHOPEを拾って投げつけてやりたかった。いや、最初は自転車がよたよたしていたから、拾ってかごにでも入れてやりたかった。そうすれば、空っぽのHOPEは爺の元に戻るのだから。「持って帰れよ!おまえのゴミなんだから!」心で叫んだ。けど、口には出せなかった。言った後の虚しさを想像すると、とてもじゃないけど爺の相手をまともにするのは馬鹿らしく思えてしまった。

 それでも、爺が乗った自転車はそれなりにまっすぐに進み、最終的には私が追いつくことが出来そうにないくらい先まで行ってしまった。その先どうなったかは分からない。翌日は雨が降っていて、私はまた同じ交差点で信号待ちをしていた。爺が捨てたHOPEは、道路の端に押しやられ、雨に打たれて見るも無残で悲しい姿になってしまっていた。爺を癒やしてくれた存在だったのに、最後にこんな扱いを受けるとは。ポイ捨ても悲しいし、なんともやりきれない気分だった。


 現実とはそんなもんでした。そして、一つしか無い現実も見方次第でいくらでも創造し偏らせ脚色が出来ます。伝えるとは、報道とは恐ろしいものだな、と改めて感じました。見る側が賢くならねばならないのでしょうかね。

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