コミュニケーションと店長さんたちと私
巨人の肩に立った店長さんはまた、若い人に対して思うところがあるとのこと。店長さんだって十分若いはずなのだが、経験や立場があるとはいえ教育しようという責任感を持っておられたのだな、と今更ながら尊敬する。
店長さん曰く、美容師としての技術は何年かやっていればある程度身につくそうだ。だから、コミュニケーション能力を磨いてほしい。結局、お客さんは会話が楽しければまた来よう、と思うじゃないですか。そういうところを大事にして欲しいんですよね、と店長さんは言った。すばらしく同意した。そうなのだ、いくらカリスマでも技術力があれば良いというものではなく、結局通う決め手はひととひとのコミュニケーションなのだ。対応が悪ければ、嫌な思いをするところには行きたくないと思う。客の気持ちを分かって下さっているのは思いやりの結果だろう。店長さんはコミュニケーション力を遺憾なく発揮してくれている。聞く力ももちろん備えておられた。だから、美容室に行くと次はどんなお話ができるか楽しみだった。
飲み屋だってそう。たまたまカウンターでお話したお客さん夫婦も、私と同じでそのお店が大好きだそうだ。味が良いのはもちろんだがそれだけではやはり通えない。親方さんと奥様とバイトの子も、ひとが良いのだ。そうでないと行けませんよね、と言うと、そのお客さんも同意してくれた。お嫁様はお酒のせいか少しぴょんぴょん跳ねて楽しそうだった。私も跳ねたら良かったかな。干渉しすぎず、話が面白く、話を聞いてくれて、お互い様ができている。ひとが良いから居心地が良い。だからこそまた行きたいと思う。
言ってみれば当たり前のことかもしれない。しかし、コミュニケーションの存在と必要性を認識していない大人が実は結構いる。トイレットペーパーの在庫はあると言うておるのだから、慌てて買う必要はないのだぞ、とコミュニケーションを駆使して伝えたいし伝わって欲しい。いや、時を戻そう、かなり脱線した。だから、素敵な出会いには感謝したくなるし共感できたらさらに嬉しい。良いものは良いのだから、やっぱり自慢させてもらおうじゃないか。
ところで、その飲み屋さんには今年こそ月に一回は行こうと思っていたはずなのに、二月は行けなかった。なんとしたことか、時は戻せない。三月の自分に期待したい。