真面目ではなく、真剣といいたい

「真面目ですね」って言われると、なぜか私はちょっと馬鹿にされている感じがしてしまう。相手がどう思っているかが重要なのではなくて、自分のなかで持っている言葉のイメージがあるのなかと思ったので、今日は「真面目」について考えてみたい。

[名・形動]《「まじ」は「まじまじ」の「まじ」と同じか》
1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「—な顔」「—に話をする」
2 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。「—な人柄」「—に暮らす」

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うーん、悪くないイメージだ。でも、実際に使われるときってもう少しネガティブなイメージが混ざっている気がする。例えば「融通が効かない」「硬い」「完璧主義」「視野が狭い」とかね。そういうふうなイメージをはらんでいる気がする。なにか悲壮感も漂うよね。確かに私もそういう人を目の前にしたら「そんなに思い詰めなくても…」と言いたくなってしまうと思う。心配しちゃうというか。なにか不安を掻き立てられるのだと思う。

そういう微妙な心の動きが「真面目ですね」という言葉になって現れてしまう気がする。これは私の心のイメージだから、話した人はそんなつもりはないのかもしれないし、あるのかもしれない。

私としては真面目なつもりは一向にない。なぜ同じ間違いを繰り返すのか。なぜ人とは違う行動を選んでしまうのか。なぜ捉え方が異なるのか。思い過ごしだとか、過剰だとかで片付けられない。なにかある。そういう違いを探索をしたいと感じている。グラデーションをもう少しつぶさに見たいだけなのだ。

でも「真面目ですね」という言葉を投げかけられた時、私は否定もできず肯定もできず「そうかな。ははは…」とごまかしていた。周囲の波風はたてずにすむけれど、自分にとって「適切な受け取り方」ではない。
薄ら笑いの苦しいところは、その場をやり過ごせてしまうことだ。案に自分は「真面目だ」と認めることになるので、苦しくなる。自分の「真面目」のイメージは決まっているから、「私は融通が効かなくて、硬くて、視野が狭い」と自分で言っているように感じる。

これをやめたいと思った。私の知っているまっすぐな人たちは誰もこんなことはしていない。いつもそらしたりしない。今までは適切な行動が浮かばなかったからデフォルト設定で「薄ら笑い」が選ばれていたのかもしれない。でも、このデフォルト行動は自分にあっていなくて、実は小さく自分を傷つけている。だから、カスタムする必要があると思った。私にはもう必要のない行為なのだ。

若松英輔さんのvoicyで、真面目と真剣について語られている回があった。
たしかに真面目と真剣は言葉の帯びている意味が異なる。


これからは私も「真剣なのよ」と返そうと思う。戦うのではなくて、でも流すのではなくて、フィット感のある言葉を示す。自分を傷つけないために。相手と信頼関係を築くために。

そして「真剣なのよ」という以上、本当に真剣でなくてはいけない。私は、真剣に生きているかな。どうだろう。
でも、自分で「真剣なの」と言うことは、自分を肯定していることと同じだなと思う。だからそう言いたい。

言葉の指し示すところは、私にとってはとても重要なのだと思った。なのに、私自身がまだまだ言葉をないがしろにしていたのだ。相手ではない。自分がだ。大切に思っているのにないがしろにしている自分に怒っているのだ。

薄ら笑いの代わりにこれからは「真剣なのよ」と言う。すぐにできるし、すぐにやる。イメージと具体的な行動はセットだ。

少しずつ、私を入れ替える。

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