いのちと出会う。

まだ通勤していたときのことだ。
道路の前をカメがゆっくり横切っていく姿に出くわした。15年間毎日通っていた道だけど、初めてのことだった。

2車線のアスファルトの道路をゆっくりゆっくり。向こう側まで歩いていく。車はそれをみんなよけていく。私もブレーキを踏んで、カメをかわして仕事に向かった。自分の置かれていた状況もあいまって、このシーンになにか象徴的な感覚を覚えていた。

数日後、また同じ道を通った。すると道の傍らに血まみれのカメの甲羅が横たわっていた。向こう側へ渡ろうとして、行き交う車にひかれてしまったのだろう。最初に出会ったあのカメかどうかもわからない。道路を渡ろうとするカメに過剰な意味合いを込めていた私は、なにかどうしようもない理不尽さに襲われて、思わず声をあげて泣いてしまった。

また数日たって、急に気がついた。
あ、あのカメはいのちだったのだ、と。

人はつい「ああしたからこうなった」「こうなったのはあのせいだ」と近いところで意味をつなげてしまうけど、そんなことには意味はないのだよとカメは教えてくれているようだった。いのちがそこで終わった、それだけです、と言われているようだった。

道を横切っていたカメだって、別にがんばってたわけじゃない。ただ道路を歩いていただけだ。

ただ生きている。
がんばるとか、悲しむとかじゃないの。生きて死ぬ。それを全うするの。そうカメ(たち)に言われている感じがした。

いのちを見せてくれているのよ、これは。

というわけで自分の名前にも採用させてもらっています。

まあ、カメにこの話をしても「しらんがな」というだろうね。

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