後悔していること。
2024年 5月 : suke
「後悔」
皆さん 後悔していることはあるでしょうか。
私はあります。
あの時こうしてれば、こう言ってれば、それを選んでいれば、勇気を出していれば。
後悔なんて誰もが一つくらいはあるだろう。
その数ある後悔の中で今回俺は「高校生活で一番後悔していること」について話す。後半にね。
5月2日。
実は俺の誕生日。Happy Birthday to me.
特に予定はなかったが、18時頃よく遊んでいる高校の友達兼バイト先の友達Aから電話で遊びに誘われた。
俺が誕生日だから誘ったとかそういうのでは無い。ただ暇で遊びたいから俺の事を誘った。Aはそういうタイプ。
俺とAがいる遊びにだけ積極的に参加してくれる同じく高校の友達Gだけ来た。クラブとか相席屋もこの3人で行くことが多い。
俺ら3人は最後のクラスが一緒。
新橋の沖縄料理屋で飲んだあと、友達が働いてるクラブに顔を出した。
そのクラブはGWいっぱいで店を閉業するみたい。このクラブにはよくお世話になった。
友達が働いてるってことで今まで1円も払ったことがない。高校のみんなでトータル数十万円分くらいは無料でお酒を飲んでいたのはここだけの秘密。(閉業したし時効。)
終電少し前くらいにノリで最近仲良いクラスメイトの女の子YとMの2人を呼ぶことにした。
Mは「もう終電だからオールするならいいよ」とのこと。ノリいいね、最高。
オール決定。
Yは会社の同期とディズニーの帰りだったらしく、最寄りの駅から家までを歩いている途中だったみたい。
「カチューシャ付きだけどいいですか?笑」
家に帰ると終電が間に合わないみたいでそのまま歩いてた道を戻って向かうとのこと。
「バースデーボーイだからね」
急遽夜遅くに誘ったというのに、そう言って向かってくれた。嬉しい。感謝。
少し説明するとYは頭脳明晰、容姿端麗、運動神経抜群で高校では高嶺の花みたいな存在だった。
だから、みんな的に少し近寄り難く、ほとんど会話してない人が多い。
逆に俺はそういう人に興味が湧いてしまう性格。
そのため、よく喋ったりイベント事では毎回写真を撮ったりと仲良くしていた。俺の中では。
そんな人を終電で呼んでいる。高校の人が聞いたら驚くと思う。「Yと遊んだの!?」って。
しかもY最近結婚したし。泣
0時過ぎ合流。
適当に居酒屋に入り、クラスの思い出話などをしていた。
しばらくして、タイトルにもあるように「後悔していること」についての話が何故か始まった。たぶん俺がし始めたんだろうな。
俺が高校生活で一番後悔していることというのは、体育祭の色別リレーの出来事。
色別リレーとは体育祭最後の種目で、1年から3年のクラス代表の男女4人ずつの計12人、6団でリレーをするという体育祭で一番盛り上がるやつ。得点配分も一番高い。
そこで俺はアンカーとして出場した。
ちなみにYも出場した。一緒に出ようよと俺が誘った。
リレーでは後半までずっと2位で1位争いをしていた。
アンカーの俺にバトンが渡る前に事件が起こった。
1位の子による接触事故。それによって、3位のクラスが1位になり、1位のクラスが3位に、俺らは遅れて2位に。
(とても分かりずらい説明だけど許してくれ。)
俺がバトンを貰った時は1/4周差という差で負けていた。しかも相手のアンカーはタイム上学年で一番早いサッカー部の子。
「どう考えても抜くことは出来ない。逆にこのまま普通に走れば抜かれることも絶対にない。普通に走ってこのままゴールしよう。2位で十分じゃん。よく頑張った方だし、誰も文句言わないだろ。」
アンカーの俺にバトンが渡ったこの時、そう思ってしまった。
何年も前のことだけどこの時たしかにそう思ったことを覚えている。
決して手を抜いていたわけでない。本当に本気で走ってはいた。
そして、最後の半周くらいであることに気づいた。
1位との差が縮まってきている。おそらく相手が疲れてきたんだろう。
これもしかしたら抜けるんじゃないか。
100%の全力で走っていたはずの俺だが、この時もう一段階速くなった。確実に。
このまま行けばゴール付近で抜かして勝てると思ったが、相手も迫り来る俺に気づいたのか、最後の力を振り絞って若干スピードが上がった。
結果、サムネのようにゴールした。(青団 俺)
ほぼ、同着だったがほんのわずかの差で負けてしまった。
本当にあと1秒、1m、1歩あれば勝っていた。本当に。
自分の団の元へ帰った時、大泣きしている人やブチ切れている人がいた。
それは俺らリレーの選手に対してではなく、接触事故を起こしてきたクラスに対して。
何人かは先生に進路妨害の抗議をしに行ってる人もいた。
そのような抗議も全て俺が勝っていればなかった話。
最初から本当の本気で走っていれば。あのようなことを考えなければ。
少し話が変わるが、男ならしたことがあるであろう授業中の教室に不審者が入ってきて自分がみんなを救うあの妄想。
俺はその妄想もしたことはあるが、このリレーで最後抜かして1位になる妄想の方が圧倒的に多い。数年経った今でも。
たまに思い出してしまう。
さらに、体育祭の総合結果が準優勝だった。普通に考えて結果だけ見れば良い結果だが、後から聞いた話、最後のリレーで勝っていれば優勝していたらしい。
なおさら後悔が募る。
俺のせいでリレーは負けた。
俺のせいで青団は準優勝だった。
何言ってんだって思うかもしれないが本当に事実。
この話を普段の俺ではありえないくらいの熱量でみんなの前で話した。
すると、一人俺と同じ熱量で語ってきた人がいた。
それはYだった。
実はYもこのリレーでミスをしていて、それは女子同士のバトンパスを落としていた。接触事故や最後の接戦で誰の記憶にも残ってないが。(ちなみに俺はしっかり覚えてる。)
Yはリレーで負けたのは私のせいだと言い出した。
彼女はずっと陸上部で練習から大会など今までの全人生の中で一度もバトンを落としたことがなかったらしい。
さらに、その日からオリンピックなどの世界陸上のリレーも体育祭を思い出すため、テレビで見れなくなってしまったらしい。
初めて彼女の思いを聞いた。そこまで思っていたとは。
そこからは俺のせい、私のせいという会話がしばらく続いた。
お互い本気で貴方のせいではないよと否定しあった。
結局、ずっと聞いていたA、G、Mの3人がもういいよと止め話は終わった。
お互いに自分のせいでは無い。と溜飲を下げた感じで会話は終わった。
解散後、LINEでも少し話した。
「少し気持ちが軽くなったよ笑
ありがとうです笑」
Yからそう言われた。
俺も少し気持ちが軽くなった気がする。
LINEの文面では、誰のせいでもないよ。と丸く収めたが、正直やっぱ今でも俺のせいだなって思う。
俺が勝てさえすれば、クラスメイトが大泣きすることも、怒ることもオリンピックを見れなくなる人もいなかった。
みんなのあの顔が今も浮かぶ。
いつかみんなに謝ろう。いつか。
YはGW明けから沖縄に引っ越すorただ普通にしばらく過ごすらしい。
だから、会うのは今日が最後かもしれない。
沖縄に行く前 最後に会えてよかった。この話を一緒にできてよかった。
またいつか会えたら同じ話をすると思う。またしたい。
沖縄でも頑張って。またいつか。
そんな高校生活の後悔について熱く語った
2024年5月2日僕の誕生日の日の話。
By suke.