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群れるという怖さ


1.最近よく見るニュースから

近々のニュースで衝撃的なものがあった。それはりゅうちぇるさんの自殺だ。原因をSNSを使った誹謗中傷である。これはかなり前の話ですが,木村花さんの自殺の事件もSNSによる誹謗中傷の事件として記憶に新しい。これらは私は教育者になるものとして許せないものです。実際教育現場においても同様のことが起きているのではないだろうか。今までは対面でのいじめがほとんどであったが,最近ではSNSを用いたいじめが多発してきている。下記のグラフを見てのとおりである。すこし古いものであるが,圧倒的にネットを介したいじめが増加しているのである。2020年には一度落ち着いているように見えるが,これはコロナが蔓延し始めたため,人と関わらなくなったからで問題を解決したわけではないということを理解しておく必要がある。ここで今回はそのネットで群れる習性について考察していきたい。

いじめの認知件数

2.SNSの群れは鳥の群れと同レベル!?

一つ私は面白い記事を発見した。以下の記事の通りではあるのだが,人間のSNSの”群がる”様子というのは,ムクドリの集団行動・群れの動きに似ていると情報サイト・NOEMAでルネ・ディレスタ氏が報じています。ムクドリの特徴は周囲の7羽の鳥が動き出すことにより,その他のムクドリはそれを見て自分の動きを調整しているという(これを生物学で「Murmmuration(マーマレーション)」というらしい)。これと何が似ているのかというと,SNSでは記事や書き込みに対して共感したり,協調したり,嫌がらせをしたり,多数派の意見に流されたりしている。ネットいじめなどでよく問題になるSNSはTwitterのような印象がある。そこではトレンドやおすすめなどいろいろな場面で記事について触れることがある。このことがルネ・ディレスタ氏によると,ムクドリの7羽と類似しており,原動力になっているのではないかと指摘している。少し書くのがつかれたので,以下に引用として載せておきます。

一方で、ユーザーも主体性がないわけではないので、流されっぱなしではなく、時には「エサに食いつかない」という選択を取ることができます。特定のツイートが広まったときに「バイラル(拡散)」や「バズった」などと表現しますが、これはどのようにして広まったかという要素を排除し、参加した人の責任を免除する魔法の言葉になっているとディレスタ氏。注目を集めたものが広がりやすい構造になっていても、うわさは「私たちが広めたから広まったのだ」と、厳しい目を向けています。



今後、「7羽の鳥」の対象を見直すように改善したとしても、また「群れ」は形成され、当然、有害な群れが生まれることもあるとディレスタ氏は述べ、解決策の1つとして「ゼロから出発して、現存するエコシステムからまったく新しいものへとみんなで脱出できれば、社会としてよりよいものを提供できるかもしれない」と論じています。

『ネット上の集団行動は鳥の群れに驚くほど似ている』

https://gigazine.net/news/20221114-online-act-murmuration/

3.共感の育成

私たち人間はだれかと一緒にいることによって安心感を得ています。家族や友人などがその例でしょうか。では,友人や家族に安心感を抱くのはなぜでしょうか。私の感覚としては自分が思っていることを「聞いてくれる」,「共感してくれる」ということなのだと感じます。私自身進路や自分の能力などに落胆しているときに両親は「うんうん」と聞いてくれたり,友人は「~だと思うよ」などと私の意見を聴いてくれたりする。それによって自分の中にあったもやもやが少し軽くなったりした。
人間関係において「聞く」「聞いてもらう」ということは何よりも大事なのではないかと思う。
私は教育にかかわるものとして「聞く」ことによる安心感を大事にしていきたい。

私は体育科であるが,そこにも関連付けていきたい。私の今までの授業での関与観察の中でエピソードが一つある。「Gボール(世に言うバランスボールに近い)と一緒に転がれるかな」という課題のもとに授業が行われた際に,一人ではなかなか転がることができなかった子どもがいた。その子どもは,少し落胆し,みんなできてるのに自分ができていないことに劣等感を抱いている様子であった。そこで「ペアでも一緒に転がれるかな」という課題に変わった際にその子どもは転がることができたのである。そこでその子どもは何度も転がっていた。そこでもう一度自分ひとりで確認していた。すると一人でも転がれたのだ。これは「一人で転がれる→2人でも転がれる」という考えから「2人で転がれる→1人でも転がれる」へシフトする瞬間であった。このエピソードからはペアによって「転がしてもらう」こと,それはペアによって引き出されるコトなのだと感じた。これは先に言う「聞いてもらえる」からこそ安心感があるように「引き出してくれる」からこそ転がれる安心感というように,体育でも聞きあう関係は大事なのである。

4.ネットで群がる原因は

私は専門家ではないのですが,一つ気づいたことがあります。おそらく群がる人たちというのは「聞いてもらう」という経験がなかったのではないかと感じています。聞いてもらえないからこそネットに書き込むことで「聞いてもらえた」という安心感につながっていってしまったのではないかと考えられる。群れる人たちはその共感が同調になっていってしまうのではないかと考えられる。「みんなが言っているから」とみんながいるという安心感に守られているのではないかと考えられます。最初は思っていることを「聞いてほしい」から書き込んだものの,それが一つのアルゴリズムを形成してしまい,群がってしまうのである。
私が思うに,これらの対策には周りが「聞いてあげる」ということも大事だが,「聞いてもらう」ということも大事なのだと考えられる。少しでもネットいじめが減っていくといいのですが。

5.結語

長々と失礼しました。これは教育現場のみならず社会的な現象となってしまっています。これは教育現場においてモラル,人間として生きる道徳性を教育活動全体でまた,これからの生活の中で養っていかなくてはなりません。道徳教育を道徳の時間だけではなく,上記にもある通り,体育でも養えますし,国語でも算数でもいろいろな教科で人の大切さを感じ,感じさせる教育を充実させたいですね。


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