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過去の自分の発言に狼狽えるな。
吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。
以前noteで、普段は一貫性のある人がそこから外れた発言をした際の違和感(モヤモヤ感)について、青豆ノノさんという方が綴っていた。
私もこの違和感は、ずっと喉に引っかかるものがあった。
例えば、クリーンなイメージを持たれている芸能人がイメージを壊すような発言をすると、SNSやネットニュースには批判コメントが溢れることになる。
近年は他者への批判コメントも、共感を得るために他人と表現が被らないような創意工夫がなされている。けれど、そうした数々の批判コメントに込められた感情は、「裏切られた」というシンプルなものに集約されるのではないかと思う。
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-手の届かない相手に、勝手に期待した自分が悪いのではないか?
私は、芸能には興味がないこともあり、そんな気持ちで、芸能人の発言やそれに対する批判を冷ややかな目でみている。
そんな私は、「裏切られた」という感情とは無縁なのか?
いやいや、決してそんなことはない。
例えば、上司が1ヶ月前に発言したこととは真逆のようなことを言っていたら、「裏切られた」っていう気持ちになってしまう。
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結局、私だって、身勝手に「他人に変わらないこと」を期待しているのだ。
そもそも、人間には、普段のキャラクターとは別の言動をすると、重大な意味が隠されているのではないかと錯覚してしまう性質があるのではないかと思う。
例えば、普段は自責的な人が他人を責めているときは気になってしまうし、逆に、他責的な人が自分を責めているときは気になってしまう。
とはいえ、そんな客観的っぽい講釈をしたところで、毒にも薬にもならない。
私は、自分の心を抉って(えぐって)考えてみた。
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「他人に変わらないこと」への期待は、「自分が変われないこと」への憂いなのかもしれない。
一時の怒りで誰かに言ってしまったことが、その夜にお風呂に入って冷静になったら、自分の過ちに気づくことがある。
でも、自分の過ちを謝ることは、単純作業なのにも関わらず、とても感情的なエネルギーを消費する。
それは、自分が変わることを認めるのは、人間の心の流れに逆らうことだからだと思う。
例えば、「転職をする」と高らかに宣言して、結局できない人が批判されることがある。
私はこうした批判を見たとき、後ろ指を指された気分になった。だって私も、その一人だったから。
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自分を変えるというのは、怖いのだ。怖くて怖くて、仕方ないのだ。
ただ、怖いという感情を口にしてしまうと、自分のちっぽけな自尊心が傷ついてしまう。だから、「他人も変わらないこと」を確認して、安心したい。
それこそが、「他人に変わらないこと」を期待してしまう正体ではないだろうか。
私は最近になってから、そうした自分の弱さを素直に認めることができるようになった。
でも、弱さを認めるだけでは、ニンゲンは強くなれない。
だから、私は少しでもこの世界を強く生きるために、心に誓ったことがある。
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-過去の自分の発言に狼狽えるな。
SNSの世界では分かりやすいが、他人の過去の発言を掘り返して批判する人がいる。これは、リアルでも同じだ。
だから、批判が怖くて、過去の自分の発言に縛られている人も多いと思う。私もその一人だ。
でも、冷静に考えてみれば、そういう批判をするのは、怖くて自分を変えることができなかった人たちなんだ。
変化が激しい昨今の世の中を渡り歩くためには、「柔軟な考え方」を持たなければいけない。
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「柔軟な考え方」といえば聞こえはいいが、実際には、長きに渡っての自分の経験から培ってきた考え方でさえ、否定しなければいけないことだってある。
それでも、自分を変えることは強く生きるために必要だ。そして、変わらない自分ではなく、変わっていく自分を受け入れてくれる人たちを大切にしたい。
逆の立場でも、今のまま変わらない相手ではなく、変わっていく相手を受け入れていきたい。
私は、改めてここに誓おう。
-過去の自分の発言に狼狽えるな。