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虚勢だよ、ひとりが好きだなんて。

「ひとりが好き。」

私の口から出てしまうその言葉は、虚勢だったと、今になって気づいた。

昼休みは、神に許された唯一の日中の休息時間だ。そんな貴重な時間をあえて人と過ごすなんて、神から与えられた罰なのだろうか。

誰かといつも昼ごはんを食べている人を見ると、そう思ってしまう。

私はいつだって、イヤホンをつけながら優雅にコンビニ弁当をひとりで食べていた。

外界から切り離されたこの時間が、何にも代えがたい幸せだ。幸せなはずなのだが…。

しかし、なんなのだろう。この心にぽっかり空いた穴は。

いつも誰かと一緒に話しながら笑顔を咲かすあの人を、どうしても私は、横目で見てしまうのだ。

自分とは無縁の世界を見るような茫然とした眼差しなのか、その無縁の世界に行きたいという羨望の眼差しなのか、私にもわからない。

けれど、ひとつだけ言える。私には、どうしたってあちらの世界に行くことはできないのだ。

私があちらの世界に行けないと悟ったのは、いつだろうか。

たぶん、学生生活が終わる頃には、完全に諦めていただろう。

思えば、私の人生では他人との関わりが深くなればなるほど、碌なことがなかった。

人間世界では、最初は平等な関係のはずなのに、気づけば上下関係が生まれていく。

人間関係が深くなると、私はそのヒエラルキーを下で支える側になることが多かった。学生のときは残酷にも、「いじめ」で心が傷ついてきた。

だから、「絆」なんて言葉を聞くと目を細めてしまう。私の見てきた世界では、「絆」は人の犠牲の上で成り立っていたからだ。

だから、薄らとしたつながりで、私にはお腹いっぱい。仲良しグループに発展しそうになると逃げてしまう。どうせまた、心が傷ついてしまうから。

もし、仲良しこよしのグループから、指をさされて「あの人いつも一人でいる」って噂されたって、私にはどうでもいいことだ。そのグループの中に入って、除け者になるよりは100倍マシ。

そう思って生きてきたせいか、私の心の3歩くらい前には、誰にも踏み込ませないような防衛線ができていた。この線からは、誰にも入れさせないと。

しかし、職場では他人を拒絶していると、誰にも頼れなくなる。

だから私はずっと、「良い人」を演じてきた。そして、天然ボケな性格を隠し、誰にも隙を見せないように。そうやって、自分を守ってきた。

でも本当は、他人が怖くて仕方がないのだ。

私はいつだって、人間関係では付かず離れずの距離感を保つことに執心している。そうせざるを得ないから、人と接するだけで、毒で徐々に蝕まれるように疲れてしまう。

だから、ひとりでいたい。ひとりが好き。

でも、ひとりは、どうしても寂しいのだ。自分だけが、スポットライトに当たっていないように思えてしまって。

もし、私が他人との関係性を深めることで幸せを噛み締められた人間だったのであれば、どれだけ良かったことか。

結局のところ、私は「ひとりで居る」というカードを、数多の手札から選んだわけじゃない。

私の手札には、「ひとりで居る」というカードしか残っていなかった。

私の口から出る「ひとりが好き」は虚勢に過ぎず、単に「ひとりが楽」なだけだったのだ。

SNS上で、元いじめられっ子が成功者になるみたいな夢物語に憧れることがあった。

でもそれは、現実とは違う場所で、周りの人が自分の歩調に合わせてくれることを夢見ていただけなのだろう。

だって、SNSで成功している人を見ると、昔からヒエラルキーの上位を突っ走ってきた人が圧倒的に多いのだから。

私は、SNSの世界に夢見た自分を冷笑した。結局のところ、どこに行っても人間関係からは逃げられないのだ。

人間関係で生じる問題の大半は、「コミュニケーション不足」で発生する。

私のような人間は、コミュニケーションが面倒で仕方ない。だけど、「他人が自分の歩調に合わせてくれれば」という驕りは、自分の首を絞めてしまう。

職場の上司と部下の間のトラブルとか、夫婦間のトラブルとか、「どっちが悪いのか」みたいな議論になりがちだけど、双方のコミュニケーションが密に行われていればトラブル自体が起きないのだ。

だから私は、平穏に生きるために、その場に馴染んで息を潜めよう。

人という漢字は、人と人とが支え合って出来ているとかいうけれど、それで言えば私は宇宙人のような存在だ。

しかし、宇宙人が地球で生きるためには、人間界のドレスコードを守らねば魔女狩りからは逃れられない。

だけど、それでも。

いつかは「ひとりが好き」なんて虚勢を張らなくても、私の等身大の歩調に合う人たちと笑い合える未来を信じたい。

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