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「休んだ気がしない」の正体

金曜日、私は仕事を終えて開放感に酔いしれていた。

「ようやく休める」と思い、週末をどう過ごそうかと考えていた。

しかし、この胸の喜びが、すぐに終えることを私は知っている。

いつだって、気づけば日曜日が終わっており、月曜日が始まっているからだ。

そして、私の口からは決まって同じ言葉が漏れる。

「休んだ気がしない。」

丸2日間、確かに休んだはずなのに、まるで空白の時間を過ごしていたように。

この繰り返される絶望から、私はいつか抜け出すことができるのだろうか?

最近、Apple TV+のSFドラマ「セヴェランス」を見始めた。

このドラマの舞台では、「ワーク・ライフ・バランス」が本当の意味で実現されている。

私たちの現実世界で行われるような、見せかけの労働時間を減らす「ワーク・ライフ・バランス」とは訳が違う。

なんと、この世界では脳を手術すれば、私生活の人格と仕事の人格を完全に分離できるのだ。

朝、会社の受付前のエレベーターに乗ると、私生活の記憶が途切れる。

と思った次の瞬間、エレベーターのドアを開いた先には、受付前に戻っている。

会社の外を出れば日が暮れていた。それは、別の記憶を持った私が仕事をしていたからだ。

手術を受ければ、私生活の人格は仕事での嫌なことを忘れ、いつか夢見たような生活を送ることができる。

――だが、逆はどうだろう?

仕事を終えて、会社のエレベーターに乗った瞬間、扉が開けば出社しているのだ。

つまり、仕事をしている人格は、ずっと会社の檻に閉じ込められるのだ。

私は、この描写を見た瞬間、身が震えるような恐ろしさを覚えた。

SFなのに、まるで現実のように感じてしまうからだ。

――いや、待てよ。

目の前の映像は、私が現実で感じていることを再現されているのではないだろうか。

私たちは、いつでも現実逃避ができるようになった。

目の前のスマートフォンひとつで、映画やドラマ、ゲーム――あらゆる娯楽にアクセスできる。

SNSでは、自分とは違う人格を演じて発言することもできる。

肉体から魂を離すのに、昔はそれなり準備が必要だったのに、今では儀式なしで簡単に出来てしまう。

昔は「ヲタク」と揶揄されていたのが、今では「推し活」という言葉に言い換えられ、誰もが自分の好きなことに夢中になっても否定されなくなった。

娯楽は人の気持ちを前向きにさせる。だから、私は今の時代を生きることができて、幸せだと思っている。

しかし、楽しい時間は一瞬で過ぎ去ってしまう。「用法用量」を守れないと、未来にタイムリープした感覚で月曜日の朝になっている。

気づけば仕事の人格に切り替わり、休みの日に過ごしていた記憶を忘れてしまう。まるで、あのドラマのように。

これこそが、「休んだ気がしない」の正体ではないのだろうか?

「日常を大切にしよう。」

この言葉の意味を、私はこれまで深く考えたことがなかった。

楽しい時間こそが幸せで、退屈な時間は無駄だと思っていたからだ。

でも、結婚してから生活は一変した。自分の思い通りにならない日々になったのだ。

昔だったら、そんな生活を受け入れることができなかっただろう。

今だって、心の底では自由になりたいと思うこともある。

けれど、確実に私の考えにも変化をもたらしていた。それは、自分の中の時間の流れ方が変わったからだ。

先週末、妻と下北沢を歩いていたときのことだ。

「いま何時?」

妻にそう聞かれ、時計を見ずに答えてみたら、ぴたりと正解だった。驚いた妻を見て、私も驚いた。

それは、その日だけではなかった。その前の週も、前の前の週も同じだった。

私の体内時計が、現実の時間と一致していたのだ。

もしかすると、これが尊ぶべき「日常」なのかもしれないと思ったのだ。

下北沢で飲んだラテ(『Bear Pond Espresso』さん)

歳をとるたびに、1年が短く感じてしまうようになる。それは、体も脳も朽ちていくスピードが加速することを意味している。

最近、身内の死を続けて経験し、時間の残酷さを痛感した。

そして、自分にも「終わり」が訪れるのだと、思い知らされた。

だから、一瞬で過ぎ去っていく日々が、怖くてたまらないのだ。

でも、抗う手段が一つある。それは、日常を大事にすること。

時の流れが早すぎず、遅すぎず、時間の流れのままに過ごせる瞬間を増やしていく。

「休んだ気がしない」から逃れる答えは、すぐ目の前にあったのだ。

今だって相変わらず、金曜日が終わればすぐに月曜日が始まる。

けれど、コーヒーを飲みながら誰かと会話する瞬間や、歩きながら街の移ろいゆく風景を眺める瞬間――。

小さな日常を噛み締めてみると、「空白」だと思っていた時間を少しばかり埋めているような気がした。

私の週末にも、「休み」が訪れ始めたのかもしれない。

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