君は「新条アカネ」の理解者になれるだろうか?「SSSS.GRIDMAN」の魅力を語り尽くす。考察(推察)&批評
全地球100億人のオタかっけー皆さん‼️
コンバトラー‼️
どんなアニメも「まぁ見てみな」の一言ですかさず解決。
私的解釈どんと来い‼️貴方の解釈にほんの少しのスパイスを加える厄介オタク‼️そうです‼️
私がすけこうのでーす。
キツすぎる挨拶から入って申し訳ないんですが「シン・エヴァンゲリオン劇場版」振りとなるNoteへの投稿です(間違えて、シンエヴァの記事消してしまいましたが....)。普段はYoutubeでアニメの感想&批評を語っているんですが、下書き的な意味合いも兼ねて今回はNoteを活用することにしました。前回は初投稿だったのにも関わらず、私の熱意を受け入れてくれる方々が多くて非常に嬉しかったです。最初で最後のNote投稿と決めていたんですが「シン・エヴァ」並みに私の心を猛烈に動かしてくれたとある作品を再視聴したことでその熱も蘇ってきました。その作品の魅力を言語化したい欲に抑えられない私のわがままにお付き合いください。
では本題に入りましょう。
の魅力を語り尽くそうと思います。
日本アニメ史に残る大豊作2018年秋アニメに放送されたTRIGGER作品。
放送終了から5年の月日が経過し、劇場版「グリッドマン ユニバース」が3月24日から公開される事もあり「SSSS.GRIDMAN」いや「新条アカネ」の魅力を語るなら今しかないと思い、今回は熱意に満ちた私的解釈を語り尽くそうと思っています。
※ネタバレ込みで語るので本作を視聴していない方にはお勧め出来ない記事となっております。
↓Youtubeにも投稿したのでコチラもご視聴頂けると嬉しいです。
この物語の主人公は響裕太ではない。
いきなりですが「SSSS.GRIDMAN」の主人公って誰だと思いますか?
普通なら響裕太と答える所だと思いますが、私からすると彼は主人公の割には無個性なキャラクターとして描かれていると思うんですよね。目を覚ます以前の記憶を失った彼は自分の知らない内にグリッドマンと一体化し、怪獣が現れる度に何の抵抗もなく淡々と戦う姿を見て、私は一話の段階から何処か違和感を感じていました。彼は科学特捜隊でもなければ軍人でもない一般市民です。この現状を受け入れ躊躇なく怪獣と戦う彼の表面的な姿だけ描かれているので響裕太自身の葛藤や成長が本編で描かれたとは私は思ってはいません。ざっくばらんに表現するとポジションとしては主人公ですがキャラクターとしては無個性。
割とアニメ作品の主人公キャラとしてはかなり致命的なですが、最後までこの作品と向き合った人なら理解出来ると思います。
何故なら、響裕太はグリッドマンだから無個性で正解なんです。
自分を響裕太と思い込んでいるグリッドマン。
この大胆なミスリードにより怪獣と戦う過程で描かれる葛藤や苦悩が重点的に描かれなかった響裕太という無個性な主人公に対して違和感を抱いてしまうのも当然。では何故、彼(響裕太=グリッドマン)は怪獣と戦うのか。そもそも、何故にグリッドマンは響裕太と一体化したのか。
作中で度々描かれたラムネ瓶とビー玉が彼の正体と第1話のサブタイトル「覚・醒」が終盤の答え合わせ、そして作品のメッセージにも繋がっているので、ここからはとある人物を深堀していこうかなと思います。
新条アカネは我儘な神様である
新条アカネ。
表向きは誰からも愛されるヒロインですが、新条アカネは自分を愛する人間のみで構成された電脳世界を作り出した神様であり、自分の気分を損ねる人間に対しては一切容赦せず、怪獣を作り出しては町で好き放題に暴れさせ、町の被害や巻き込まれた人々の犠牲に対しての罪悪感は微塵もない残虐性を秘めています。
超絶美少女で立派なたわわを持ち、萌え袖パーカーと黒タイツが似合う絵に描いたような完璧な美少女(胸より太ももの方が魅力的やろうがい)。完璧主義の内面が具現化されたと言っても過言ではない完璧な容姿ではあるが、彼女の内面は歪で孤独なオタク。
外面はいっちょ前でも自宅の自室にはびっしりと怪獣のフィギュアが丁重に保管されており、部屋の片づけをサボり続けた故、ごみ袋で床が見えないダメ人間っぷりが垣間見える等、彼女のストレスや不満(不安)が形として表現されています。
オタク的な一面に関しては、特撮作品におけるヒーロー的なポジションのキャラクターよりも怪獣が好きであり、本当の主役こそ「怪獣」と言うスタンスだ。これはある意味、新条アカネにも当てはまる。
と言うよりも、この作品自体にも当てはまります。何故なら、「SSSS.GRIDMAN」の主人公は新条アカネだと私は思うんですよね。
何故、新条アカネに惹かれてしまうのだろうか
響裕太と新条アカネの解釈を述べてきた訳ですが、やっぱり響裕太を軸とした主人公サイドを深掘りするよりも新条アカネを深掘りした方が作品の魅力もハッキリしてくると思うんです。
だって誰からも好かれる神様であったとしても彼女が如何に孤独であったかは明確に描写されてるんですよ。表向きはクラスの中心ではありますが、特別仲の良い友達がいたかと言われれば怪しい。
響裕太や内海、立花からグリッドマンの情報を引き出そうとした時だって、口下手な一面が垣間見えていたし、露骨な言い回しが余計に警戒心を膨らませていたので会話慣れしてないんじゃないかと思ったりもします。何なら、バスで立花に対して思わず口調が強めになってしまった時は可愛こぶって誤魔化してました。これ自分が可愛い事を理解してないと出来ないし、絶対に嫌われない前提がないとそんな事も出来ないと思います。
そもそも彼女の絶対領域に踏み込んだ人物は数知れず、彼女自身の本当のアイデンティティを肯定してあげる人物も少なかった。本当の黒幕でもあるアレクシスからは、新条アカネのオタク的な趣味を利用しただけで彼女の理解者ではない。
しかし、視聴者的な立場として見る彼女の言動からは不思議と共感を覚えるんですよ。
自分の好きな怪獣や宇宙人を薄っぺらく茶化された時の仕草や、自分の思い通りに物事が進まなかったり、自分の作った怪獣がグリッドマン達に敗北した時にモノや誰かに八つ当たりしてしまうのは、自分のアイデンティティを否定された時に出てしまうオタク特有の怒りに近い。
負けず嫌いな一面があるのに、敗北が続けば闘う以前に怪獣を作る事もしなくなるので、新条アカネの原動力は彼女自身のアイデンティティが関係しているのではないかと思うんです。
最終話まで見た方ならわかると思いますが、新条アカネは現実逃避の末にこの電脳世界の神として君臨しているので、容姿から何まで完璧に仕上げて、この電脳世界の住民全てが自分を好きになる様に設定しているぐらいですから、裏を返せば本当の自分(個性)では誰かと仲良くなることすら難しいんじゃないかと自覚してるのでは?
内海と怪獣トークが出来るのも、人前で工作を見せられることが出来たのも彼女なりの抵抗と考えればより本来の自分を隠していることに対して腑に落ちてしまうんですよね。内海は数少ない特撮好きの友達として作られた様な気がしますし...
絶対に誰からも愛される完璧な美少女に設定したのに、この世界の偽りの自分が唯一表現できる本来のアイデンティティがグリッドマンに敗北してしまうんですよ?
ハッキリ言って同情します。敵役だろうと見た目からは想像も出来ないぐらい見栄っ張りで孤独で根暗で臆病でオタク的な思考回路を持ち合わせているので、より好きになってしまうんですよね。
視聴者の立場と視点で新条アカネの裏側を見る事が出来たからこそ、序盤から新条アカネに愛着が沸くことが出来ましたが登場人物達(主に響裕太サイド)は新条アカネの理解者になれたと思いますか?
誰が救いの手を差し伸べるのか
ここまで聞くと新条アカネの理解者(若しくは寄り添った友人)がいないかの様に聞こえてしまいますが、実際に新条アカネは響裕太...即ちグリッドマンとアンチ君(グリッドナイト)には救われてはいます。
第9話で響裕太、内海、立花の3人は夢の中に閉じ込められ、それぞれの記憶に「新条アカネ」が大切な恋人、オタク仲間、心を許せる友人として上書きされかけますが3人は次第に新条アカネとの幸せな日常に違和感を抱き、本来の自分の居場所を思い出し、3人は幻想ではなく現実世界へ帰還する事を選びました。ある意味、新条アカネからすると自分の存在意義を拒まれたと同時に現実から逃げてきた今の自分を否定された事になります。
響裕太はグリッドマンとしての使命。
内海は新条アカネとの関係よりも怪獣と闘う「グリッドマン同盟」を選び、立花だけは他の2人と比べて新条アカネに対しての違和感をより強く感じており、新条アカネもまた立花だけは引き離したくなかった様に感じます。表面的な恋人や友人等の関係よりも自分の心を唯一許せる存在として立花が存在していたのかは曖昧ですが、こうして振り返ると新条アカネが如何に孤独で自分の居場所がなかった事がよくわかります。
闘っても駄目、夢を見せても駄目、じゃあもう自らの手で直接、響裕太を刺すしかない。
グリッドマン同盟に対して「こうするしかないじゃん!」と思わず本音を漏らす程、追い込まれ最悪な手段を選んでしまいましたが
「私も...グリッドマンと話してみたかったな...」
と呟いたのも印象的なんですよね。
グリッドマン同盟は怪獣を倒す為に結成され、次第に「打倒!新条アカネ!」に目的が変わりかけ、内海と立花は衝突しますが最終的にグリッドマン同盟の団結力は終盤になるにつれて増していきました。それはグリッドマン同盟が新条アカネを倒すことが目的なのではなくて、新条アカネを救い出すことが目的であると最終話で結論付けたからです。
先程も言いましたが、立花に拒絶された事が新条アカネにとっての1番のダメージなんです。
唯一自分を理解してくれる友人としてプログラムした筈の立花は自分と違って、居場所を見つけ怪獣ではなくグリッドマンと共闘している事から更に傷ついており、自分にも怪獣ではなくグリッドマンさえいれば自分にも友達がいただろうし、居場所があったんだろうなと現実逃避しているんです。
立花に対しての嫉妬を響裕太、即ちグリッドマンに押し付けたいから響裕太をカッターナイフで刺すし、ジャンク屋のコンピュータを破壊しようとするし新条アカネは一貫して逃げ続けています。
そう考えると現実世界でも孤独で友達もいなくて居場所もなかったから電脳世界に逃げて神様になったんじゃないかと。
立花への嫉妬、響裕太(グリッドマン)への八つ当たり(押し付け)から新条アカネの心の弱さが描かれた事で、自然と新条アカネにとって本来向き合わなければいけない対象が明確になってきます。
グリッドマン同盟最後の欠片(ピース)
グリッドマン同盟最後のピース。
それがアンチ君ことグリッドナイト。
新条アカネによって創造された対グリッドマン専用の怪獣ですが、彼は怪獣の姿を持つと同時に人間の姿としても活動できます。
新条アカネがアレクシスの道具ならば、アンチ君は新条アカネの道具でした。彼はグリッドマンを倒す為だけに生み出された怪獣なので、グリッドマンと闘う以外の考えは持ち合わせていません。
敗北する度にグリッドマンの真似をしては何度も敗れ、新条アカネから見捨てられてしまいますが、アンチ君が辿り着いた場所は立花の家、つまりジャンク屋です。
アカネから見捨てられ、立花から拾ってもらい食事や風呂まで済ませて貰ったアンチ君が怪獣ではなく人間として本来持つべき心を開花させ、自分が如何に空っぽであるかを自覚し、敵であるグリッドマンを認め自らのアイデンティティを生み出しました。
皮肉ですね。新条アカネが見捨てた筈のアンチ君はガラクタだらけのジャンク屋(立花の家)に辿り着きグリッドマン同盟と共闘している訳ですから、孤独な自分とは対照的な道に進んでいるのです。
「俺と似ているぞ!新条アカネ!」
偽物同士でここまで差が出てしまったのは、他者を認めることが出来たか、出来なかったかの二択による物なので、自らの手で消し去ろうとしたグリッドマンとアンチ君に向き合うのが新条アカネにとっての正解でした。
今更ですが立花の家でもあるジャンク屋を拠点としているグリッドマン同盟の響裕太、内海、立花、新世紀中学生達の共通点は目が青いことなんですよね。それと対照的に怪獣側の立花とアレクシス達は目が赤色なので、何かしらの意味があるのかと思いますが、個人的な解釈だと目が青色の登場人物達はこの電脳世界におけるバグの可能性を示唆しているんじゃないかと。
そもそも響裕太が新条アカネではなくて立花に想いを寄せてる時点で違和感がありますし、夢を見させられた響裕太と内海と立花の3人が新条アカネを拒絶し戦うのではなく、救済することを選んだのでこの電脳世界におけるバグこそ、彼女が本質的に向き合う対象であることを強調した裏設定だと解釈出来ました。
ある意味、新条アカネと敵対関係であるグリッドマン同盟が誰かから見捨てられたガラクタが売られているジャンク屋を拠点としていることに頷けます。
最終話で新条アカネを怪獣から救い出したアンチ君の片目(赤色)が青色に変色したことで人間と怪獣の狭間(中立)に立ち「グリッドマン」に成り代わる「グリッドナイト」としてこの世界の新しい守護神に成り代わるのではないかと。
因みに、この世界に属さないハイパーエージェントであるグリッドマンと覚醒後の響裕太の眼の色は「黄色」です。あくまで中立の立場としてこの世界に干渉しているので、任務達成後は速やかにこの電脳世界から立ち去っています。
青色=電脳世界のバグ(味方側)
赤色=怪獣側
黄色=ハイパーエージェント(別世界からの救済者)
まとめるとこんな感じですかね。
グリッドマン好きならとっくに把握してそうですが、改めて自分からも言っておこうとおまけで言いました。
まぁもう一人、グリッドマン同盟の拠点とグリッドマンが憑依している中古のパソコンを提供したジャンク屋の店主が黄色の目をしてるんですけれどね。
君を退屈から救いにきたんだ
改めて言いますが、この物語は新条アカネを救い出す物語です。
アンチ君が新条アカネを救い出すことで他者(グリッドマン)を認める過程の大切さを知り、破壊が目的なのではなく、新条アカネを癒し修復することが自らに与えられた使命だと覚醒したグリッドマンからは「SSSS.GRIDMAN」のサインが贈られました。
「SSSS」の意味は皆さんも知っている通り
「Special Signature to Save a Soul」
=「魂を救うための特別なサイン」
主題歌の歌詞の一節にもある
「君(新条アカネ)を退屈から救いにきたんだ」
そのものですね。
グリッドマンから贈られたサインは新条アカネに向けられたメッセージ。自分に寄り添ってくれる人(立花)はいる、そして本来いるべき筈の現実世界に帰還する為の道標とエールをサインで表現していますね。
新条アカネ自身が自覚している通り、卑怯者で臆病でずるくて弱虫な少女。自分の意思で本当の居場所に帰る決意を固めたのは、他でもない友人達(グリッドマン同盟)が寄り添った結果。
本音を隠し偽りの関係性を築こうとしていた彼女に自分の気持ちを伝え、最初から最期まで新条アカネの理解者として歩み寄った立花とは真の意味で友人となり、立花は現実世界へと帰還(覚醒)する新条アカネを見送った。
実質、新条アカネを救ったのはアンチ君とグリッドマンだが本質的に新条アカネに必要なのは理解者という名の友人。最終話でその立場と役目を担う立花には、新条アカネとの関係性を構築する過程で最も繊細に描かれ、敢えて遠回りしながら丁寧に描かれていた。
新条アカネに対する気持ちを中々、言語化できない立花が言葉ではなく、現実と向き合うための心の支えとしてバスの定期入れを渡し「友人」という関係性を形として残した。
次元を越え、遠く離れた友人との関係性は、例え再開することが出来ずとも(関係性は)続くものだと互いに祈り続ける。上手く言語化出来ないけれど、滅茶苦茶尊いわ。
劇中でも度々流れ、立花と新条アカネが鼻で歌った「Believe」含め新条アカネと立花の関係性、新条アカネの覚醒をアニメから実写に切り替わる演出で表現する等、多彩な演出が私の心を響かせてくれました。
巷でよく言われている「新条アカネと立花は同一人物なのでは?」という説に関して言及するならば、恐らくそれは事実であり制作側も意図して描いてることだと思います。
本作のキャラデザを担当した坂本勝さんがTwitterに公開していた
「宝多六花、初期頃のデザイン案。」を見る限り立花の初期のキャラデザは滅茶苦茶、新条アカネと似ているんですよね。
しかも現実世界の新条アカネは実写で表現され「立花」と似ている方が採用されているんですよ。
つまり現実世界の新条アカネが思い描いた理想の姿が電脳世界での新条アカネの姿であり、本来の自分の容姿は立花そのものなんじゃないかと思えます。
理想の自分と切り離した筈の本来の自分によく似た友達に救われ、グリッドマンと一体化する以前から響裕太は新条アカネではなく立花に思いを寄せていたので「理想で固めるよりも本来の自分に寄り添ってくれる人はいるんだよ」とも解釈出来るし「立花との関係が本来の自分を肯定出来る」前向きな要素として表現されていたと思います。
「覚醒」
新条アカネを救い出す物語の過程には、彼女に寄り添った理解者達からのメッセージ性を少しずつ構築していくことから始まり、最終的には退屈だった日常と決別し、逃げ続けてきた現実世界に帰還する物語でした。
他者を認めると同時に今の自分自身を肯定してくる友達と居場所を見つけるのは非常に難しいかもしれない。電脳世界の様に都合の良いものではなく、理不尽な出来事が圧倒的に多い現実世界から逃げたくなるかもしれない。それでも挫けそうになった時は友人から貰った定期入れを見て、もう一度勇気を振り絞って目を覚ましてほしいと切実に思う。
今回は新条アカネを中心に「SSSS.GRIDMAN」の魅力を語ってきましたが、この作品は第1話から考察要素でも視聴者を楽しませていたので、考察とか関係無しに楽しみたい人の中で序盤からの展開に退屈と感じる人はいるかもしれない。
勿論、この作品が好きな人にも響いて欲しいし、自分の解釈が正解という訳ではないと思うけれど、新条アカネを理解すればこの作品のメッセージ性と魅力は間違いなく伝わると思っています。
実写映像を使うアニメ作品は他にもありますが「SSSS.GRIDMAN」が最後の最後で実写演出を通して私たちに伝えてくれた意味。
自分はこの作品に出合う以前から、アニメ作品とは現実と向き合うためのコンテンツだと考えていたので「SSSS.GRIDMAN」が伝えたいメッセージ性を受け取れたので非常に楽しめました。
この記事が誰かの目に留まり、この作品の魅力に気付ける手伝いが出来れば嬉しい限りです。
ここまでご覧いただきありがとうございました。