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仕事を辞めたいという気持ち、他者と関われない自分に向き合う
こんにちは。Mutureのちゅうさんです。
この記事は、丸井グループ・marui unite ・Mutureの有志メンバーによるアドベントカレンダーに参加しています。
このアドベントカレンダーではプロダクトや組織論や、そこからの学びなどが投稿されていて、個人的にもとっても学びになるなと感じていますが、今日はちょっと毛色の違うものを…。
辞めたがりで人付き合いが怪しい自分なのですが、最近友人と話した際に実は同じような考えの人多いのでは?と話題になり、その気付きを少し俯瞰的に捉えてみようかと思います。
正直Mutureにも迷惑を掛けていると思うので、シリーズ的に書いている記事とは別に、自信の内省と反省を込めて…。
「仕事を辞めたい」に向き合う
辞めたいは悪いこと?
皆さんはこれまで「辞めたい」と思ったことはどれくらいありますか?
何かしらの節目、ネガティブなことが起こったとき、人間関係で悩んだとき…様々なタイミングがあるかもしれません。
私はMutureが4社目。割とコンスタントに転職を繰り返しています。
現職でも「辞めたい」と思ったことはあり、一旦仕事が落ち着いたタイミングとかでふと思ったりします。
ですがその気持ちをふと口に出すと、何か自分でも悪いことのような、後ろめたさを感じたりします。誰かに否定されたりもするかも。
「ほんとに辞めたいのか?」と悩んだりしますし、正直「辞める!」ってほど覚悟も決まってない。まだ悩んでいるゆらぎのタイミング。ここで口に出すこと、考えることはストレスになるかもしれません。
ですがあえて、「辞めたい」という気持ちに真摯に向き合う時間を作ってみてもいいかもしれません。
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私は「辞めたい」と思った時に、その気持ちを分解して、「キャリア」「関係性」「環境」「その他」の箱に整理しています。
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そして整理したものがどこまで大事なのか、優先度はなにかを理解するために、コンテキスト(文脈)や、因果関係を考慮しながらトレードオフスライダーを作ります。
そうすると自分が何が要因で「辞めたい」のかが視覚化でき、漠然とした「辞めたい」から「こうしたい」「こう変えたい/変えられない」と思考を深めることができます。
そこからのアクションは自由です。現職で何かを変化させるもあれば、辞めることを選択してもいいと思います。
特に大企業の方だと、「いること」が美学である会社の方も多いと思いますが、ふと「辞めたい」と思う瞬間はあるはず。そこであえて向き合うことが発見に繋がるかもしれません。
実際整理してみると、「辞める」を選択するほどのことが無かったりするんですよね。
自分の中のトレードオフはアップデートされるので、変化に気付くことで自分が大事にしていることが何かを見えてきたりして面白いです。
「楽しい仕事をしたい」はコンフォートゾーンへの重力
よくデザイナーの知り合いに話を聞いたりしていると「楽しい仕事をしたい」と話していることがよくあります。私も言ったりしています。
じゃあ「楽しい仕事」って?
誰かの話を詳しく聞いたりしていると、「それって今と変わらなくない…?」と思うことがあったりします。
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「楽しい仕事」を指すとき、それが「自分がイニシアチブ」を取れるところだったりします。つまりキャリアのコンフォートゾーン。居心地の良いところです。決してそれは否定できるものではありませんが、成長というよりはワークできる環境を探し続けるということになります。
でも「楽しい仕事」をしたいと思ったときに、居心地の良さを求める重力に引かれているのか。それともコンフォートゾーンから脱出し、新たな挑戦をしたいのか。
自分の「楽しい仕事」を定義してみるといいかもしれません。
別の視点ですが、「楽しい仕事」が今の環境でできない…となった際、本当に実現するのは難しいのでしょうか?
「楽しい仕事」をするために、組織や関係性を変えられるのか、変えようとアクションできるのか。そこに立ち向かうことで新しいキャリアが見えてくるかもしれません。
自分の現在位置と見ている先、会社が向かう先が繋げる
自分の「辞めたい」という気持ちはどこから来るのか、自分の今の「楽しい仕事」とは何かを整理した時に自分の現在地と見ている先がわかります。
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じゃあ本当に現職に可能性は無いのか。楽しい仕事は無いのか。自分の会社の状況とこれからを照らし合わせてみましょう。
会社の向かう先は座っていても解像度が高まらなかったりします。なのでぜひ中経や投資家向けの資料を漁ったり、戦略を司る人に突撃してみて話しを聞いてみるといいでしょう。
そうすることで会社が向かおうとしている先、そこと自分が見ている先がマッチするのか、または歩み寄れるのかが解ると思います。
「辞める」のは会社のことをもっと知った後でもいいはずなのです。
「他人と関われない」に向き合う
コミュニケーション能力の高さと人間関係構築能力の高さはイコールではない
私はコミュニケーション能力は「探索フェーズ」、人間関係構築能力が「グロースフェーズ」みたいなイメージで捉えています。
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他者と繋がり、他者を理解しようとするのがコミュニケーション能力なら、人間関係構築能力は相互理解し、出来た関係性を育むこと…つまり他者と関わる力だと捉えています。
私はこの人間関係構築がとても苦手です。割と誰とでも話せるし、初対面の方とコミュニケーションするのも苦ではないですが、相互に理解しようとすること、関係性を育みずらい…。
自分でも中々課題に感じているところ。なぜそうなるのか自分を軸にしつつ考えてみたいと思います。
ちょうどいい関係性はどこにあるのか
皆さんにとっての「ちょうどいい関係」はどこにありますか?
組織における関係性において、職場のみで完結する関係性が良いと人もいれば、共通の趣味で繋がり友人のように接するのがちょうどいい人もいるでしょう。
同じような関係性を好む人がいても、大事にしている価値観や、ポイント、ストーリーが異なります。
「他者と働く」のナラティブアプローチ…ほどではないですが、共に働く人が持つ物語とはなにか…それを理解することで、互いの関係性におけるちょうど良さを測れます。
私の場合は前職で、土日にサウナ行ったり、映画いったり、いつまでも飲んだり…。友人と言っていいような関係性が多く、それにちょうど良さを感じていました。そこから相互理解や特性を理解できると考えていますし、家にいるより外に行くのが好きなのでマッチしていたように感じます。
前職は年上が多い環境でそのちょうど良さを保っていましたが、現職では同い年の方が多かったり、規模も異なったりします。
「ちょうど良さ」は個人の関係性だけでなく、「組織」の関係性や状況によっても変わっていきます。
自己開示は実は出来ていない?
私の場合は前職で、土日にサウナ行ったり、映画いったり、いつまでも飲んだり…。友人と言っていいような関係性が多く、それにちょうど良さを感じていました。そこから相互理解や特性を理解できると考えていますし、家にいるより外に行くのが好きなのでマッチしていたように感じます。
さっきこう書きましたが、今の自分の見え方はそんなきっとキャラクターではありません。
そういうのには行かない人だと思われていると思います。
ナラティブアプローチよろしく、相互理解するためには相手の物語を知る…と書きましたが、相互理解なので自身も正しく知ってもらう準備をする必要があるのではないでしょうか。
自己開示を阻む壁はいつでも、「自分から見える関係性」の中にあります。
年齢が近ければ対抗心が、自分より仕事ができる人に対してはへりくだる。というように。
私は今の組織で「この人達に隙を見せると食われる」と思っています。(なんでやねん)
年齢も近く、私より仕事が出来る方が多いからか、虚栄心で思ってないことを言ったりしてしまいます。
「自分から見える関係性」が、自身の歪んだレンズから見た関係性になっていたりしませんか?別に同僚は私と取って食ったりしません。
自己開示をするには、まず自分自身がどういう状態か、本当はどうありたいか、自分自身に自己開示するところから始めましょう。
(ビール飲みながら書いているのできっと真実を書いているはず)
自己中心のコントロール
話の中心にいたいって思うことはどれくらいありますか?
私はちょっとでも知っている話題だと中心に行きたがりますが、自分でも無理しているな思っています。
なんでもかんでも首を突っ込むと疲弊しますし、そもそも中心にいる必要がないかもしれません。
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相手の物語を理解すること、自分を理解することで、ちょうどよいサイズ感で自己中心をコントロールをしやすくなります。
昔妻に「あなたは構ってほしいし、仲良くしたがる人」と言われたのを思い出しました。
家族との関係性を仕事に持ち込む必要はありませんが、仕事の状況や職場での関係性の中で、自分のポジティブな特性が死んだり、変な方向へいったりします。
他者に関われないのは、組織の中での関わり方のサイズやボリュームがわからなくなるからです。
自分の状態、正しく見つめ、自分のナラティブを正しく知ること/知ってもらうことで関わることのメンテナンスをできるのだと思います。
こんな自己開示な記事が書けるくらいにMutureはオープンな環境です!
一緒にMutureの組織作り、組織支援に取り組んでいただけるメンバーも絶賛募集中です。ご興味ある方ぜひご連絡ください!
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