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面壁零年

『せっかくラケット買ったのになぁ…』と持て余していた。
職場の同好会の日程がなかなか合わぬ。
同じ趣味で日程も合う友人もいない。
でも、どこかで打って感触を味わいたい。
そうかといってテニススクールに転がり込むのもなんだし…
否定はしない。
いつかは必ず通らなければならない道だと思っている。
ましてや、将来的に自分の中での『一つのプロジェクト』を達成させるためには。
だが、今は何をやっても楽しいと思えるかどうかを味わいたくて、『壁打ち』がよぎる。
壁に向かって打ち込んで練習をするというやつ。
『よっしゃ!!』とネットで検索してくると出て来る、出て来る…
今の時代に始めるのは幸運であり、便利である。
『小一時間も出来れば良いかな…』
近所にいくつか見つかったので、出かけることにした。

先客がいた。
ラケットを引っ提げて来たのを見るや、気にせずどうぞと隣で打たせてくれた。
始めたは良いものの、『なって然るべし』のことが多発し、ただただ苦笑するしかなかった。
打点がズレてしまうと、壁から跳ね返ってくるボールは左右に大きくブレてしまい、連続してボールを打ち続けることが難しい。
これが左右という平面的な問題だったら良いのだが、上下が絡むと厄介になる。
つまり、ホームランだが、これは面が上を向いているからという理由がわかっている。
その都度ボールを拾いに行かなきゃならないから、これを少しでもなくしたいならば、正しく打たねばならないということも悟らせる。
『打点やフォームが定まっていないから』ということに帰結することも嫌でもわかる。
『こりゃ大変だ…』とも思うが、それゆえに何をどう頑張ったら良いのも見えて来たので、『考える練習』という足がかりにもなった。
壁は様々な課題を突き付けて来て道筋を示してくれた。
今までコートに収まっていたのは『たまたま運が良かっただけ』なのだと悟る。
『もうちょい….』の連続で、小一時間のはずだったが時計をみたらゆうに越えていた。

達磨大師が壁に向かって座禅を組んで九年の末に悟りを開く。
達磨はただ9年も壁に向かっていた訳でもない。
『壁となって観ること』即ち『壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅』で悟りを開くために9年かかっちゃったってことからしたら、私は…となる。
『まぁ…達磨さんが9年かかってるんだから…』と脳天気なものだ。
現実を知れば、初日で『そういうことか…』となれば、何をどう頑張れば良いのかが見えて、コツコツとやるだけなのである。
そして、『今、楽しいのか?』と自問自答に迷いはないこともわかった。
『大丈夫だ、何をやっても』と。
テニススクール探しを始めよう。

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