名刀を訪ねて

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 刀剣研磨師をしている友人が『こんな企画展をやってるよ』って教えてくれたので行ってみた。
佐野美術館。
静岡県は三島市にあると知る。
『いつもよりちょっと遠出かな...じゃぁ大丈夫だ』
自分にはそういう距離なのだ。
下道を御殿場まで行くのは普通になってる今はどうということはない。
いつものドライブコースを辿り、246号線を沼津方向へと向ける。
その後はナビに導かれるままに進める。
最短を狙えば1国(国道1号線)なのだが、なにぶんにも花形故に混む。
246も混むには混むが、秦野を過ぎれば渋滞があってもあまり不愉快には感じない。
行きの下り(沼津方面)はそうでもないのだが、246の真価は帰りの上り(東京方面)に発揮される。
下りは伊勢原辺りまで長い長い緩やかな下り坂になってるせいか燃費がすこぶる良い。
スカスカであればアクセルはちょっと開くぐらいで楽に進む。
気に入った音楽だけをかけ、歌に合わせて独り歌えばあっという間に着いてしまった。

数々の刀剣コレクションがあるという佐野美術館。
昨今の『刀剣乱舞ブーム』に乗っかってか、周辺ではイベントを絡めて何やらやってるようだった。
刀剣乱舞云々は知らないが、刀剣自体の銘は知ってるのがある。
純粋に刀そのものを見に行ったのだが、会場は若い人たちで賑わっていた。
別に悪いことじゃない。
直刀から始まって反りが入って今日知る形になるまでの過程を展示を通して知ることになる。
歴々の持ち主を経て、手入れを経て、台に置かれてキラリと輝く様は何とも言えぬ存在感だった。
展示品は佐野美術館所蔵の他に、他の資料館や博物館から借りて展示してるのもあったが、意外と個人所有の物が多かったことには驚いた。
そして、その解説にむむむと唸るばかり。
身幅細めが多かったような気がしたのは気のせいか。
そんな中で一際というか、自分には別格です的な扱いの逸品が『特別枠』で出展。

『大笹穂槍 銘 藤原正真作(号 蜻蛉切)』

天下三名槍の一つ、蜻蛉切(とんぼきり)
徳川四天王の一人、本多平八郎忠勝(1548-1610)の愛槍として知られる。
トンボが刃先に触れるや真っ二つに切れるほど鋭い切れ味を持つことからその名が付いたともいわれる。
それを間近で見られるとは。
いやぁ...もう...ねぇ...ただただ美しい。
見てるだけでも切れ味の鋭さが伝わって来る。
そりゃトンボだけじゃなくて鳥も切れますよって思うくらいに。
しばし呆然(苦笑)
美しさに見とれてハッと我に帰ってどれくらい経っただろうか。
最後におさらいでもう一回りとササッと見て回ったが、やっぱりここで足止めを食らってしまった。

名残惜しさもそこそこに三島大社へと足を伸ばす。
資料館へと足を運び、数々の古文書に唸る。
武将らの戦勝祈願やら礼状やら公文書云々などなど...
古くから創建されて信仰が厚かったかが窺える。
パパンがパンと手を神妙に合わせて祈って後にする。
御朱印もいただいて帰ることも忘れない。
日もまだ高かったので、他に行く所はないかと思いを巡らせる。
源頼朝の書状云々を思い出した。
ナビを見るとそう遠くはない。
『じゃぁ行ってみるか...』と向かったのは蛭ヶ小島。
平治の乱で敗れた源氏方、源義朝が三男、頼朝が流刑を過ごした地とされる。
『ここがそうです』的な石碑と公園があったが、周囲をグルッと見渡せば....
『ここで20年かぁ...』と思うも、この石碑と公園の地が間違いないって訳でもなさそうで、『この周辺じゃないかなぁ』的な感じらしい。
『都からしたらこういう地はそうなるんだろうなぁ...』的な雰囲気は千年を経ても感じられる。
流刑に処された14歳。
非情に徹しきれなかった平清盛の手落ちだったとしか否めない。
そこから三百年後の戦国時代ならば間違いなく命はなかったはず。
20年を経て快進撃ってなるも、頼朝は頼朝で詰めが完成することなくポックリ逝っちゃった訳で。
幕府が成立したものの、河内源氏の棟梁は倅の実朝の代で終わっちゃうしで、諸行無常は延々と繰り返されることになっちゃうしで。
思いはズルズルとグルグルと巡る。
缶コーヒーをグビッと飲み干して撤収。
韮山反射炉の標示を見て足を伸ばしてみたが、時間が遅かったのもあって外からしか見られず。
『そう遠くもないからまた今度にするか』と帰路につく。
帰りは246号線の良さを十二分に堪能して帰りましたとさ。






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