即効性ある教え 3 佐々木助三郎 2020年2月7日 22:01 いつも通ってる洗車場はどういう訳かバッティングセンターが併設されている。たまに打ってみたりする。バッティングケージに入り、いざ構えて打つ。『あんな真似して打てる訳がない』と子供を連れてたお父さんが力説する。そう、この映像で解説してる落合博満の『神主打法』の構えを真似してたのだ。少年野球チームに属してる子供、それを後押しするお父さんがバッティングセンターで特訓してる、よくある光景に出くわす羽目になった。自分が先に打っていて、後から来た親子が隣のケージに入った。『な、見てろ』お父さんは『こんな構えで打てる訳がない』と思ってたようだ。いかに真似が悪いか、落合博満でしか出来ない芸当なのだ、素人が真似したらダメだということを力説していた。こっちもこっちで全て聞こえてた。ところがギッチョンチョン。自分の調子が思いのほか良すぎて、鋭い打球が飛ぶ。ネットの中央の最上段には『ホームランの的』がある。バッティングセンターによくある、的に当てたら1回タダとか、何かしらの景品がもらえるとかの的。三連続でその的の近くに当たったものだから、お父さんが黙り込んでしまった。そしてこちらを見ることもなく、『さぁ練習、練習』と子供を促す始末だった。『くぅ~...惜しいなぁ...』と当てつけに大袈裟に悔しがってみせた。バッティングセンターでパカスカ打ち込むのは何もこの時だけじゃない。打ちたいなぁという衝動に駆られた時に打ち込んで来た。その時は三人の真似をしてみて、『今日はこの人で』と気分で打ってた。一人は田淵幸一。『美しいホームランを打つ男』はスウィングも美しい。そして、軽くバットを振ってる。軽くというと本人にしてみれば思いっきり振ってるんだろうけど、どこにも力みや強引さが見られなくて、軽く振ってるようにしか素人の自分には見えないのだ。ちょっとだけ少年野球やってた時に理屈もわからず直感で美しいと思った。当たれば物凄く飛んではくれたが、空振りが増えるとストレスが溜まるから真似しなくなった。二人目はイチロー。イチローがメジャーリーガーになってからの打ち方。よく当たる。よくは当たるけど、飛ばない。実戦だと出塁は出来るけど大当たりがないから、これはこれでストレスが溜まりそうだ。要は『物足りなさ』を感じるのだ。そして、三人目の落合博満。バットを水平に構えて、神主がお祓いをするかのようにバットを振る。いわゆる『神主打法』当たれば飛ぶのは間違いはなくて、イチローの打ち方よりも満足度は高かった。それでも打率にムラがあって、何かが足りない。本家本元の理論を構築する軸は何なのか。そんな時に見つけた映像がこれだった。とてもシンプルで驚いた。解説を聴いた武井壮が『これで打ちてぇ~...』っていう気持ちがよくわかる。自分も同感だった。その数日後にバッティングセンターが併設された洗車場。試してみる。面白いように当たった。面白いように飛んだ。『あんなのダメだ』と息子に力説したお父さんが黙り込んだ。打ち終えると彼らに向かってニヤリと笑ってみせた。『ざまぁ見やがれ』と言いたいのをグッと堪える。センスだけで作り上げられた打法じゃないのだと。これを40年も前に知ってたらと思うと嫌で辞めた少年野球は絶対に面白かったはず。それに落合博満自身、体育会系の代表格の野球部の悪い体質が嫌で何度も退部して、大学野球も辞めたほど。そういうのをわかってる人ゆえに引かれるものを感じた。世間はわがままだとかなんだかんだと叩いてはいたし、人間としてはどうかは知らない。でも、バッターとしては間違いなく誰よりも誠実で努力の人だと。そして神主打法のルーツはある人の真似から始まったということも。なので、真似がけしてよろしくない訳でもないと考える。その証拠に自分には面白いように打てたんだから。大笑いしたいのをグッと堪えて洗車場に向かった。 いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #エッセイ #落合博満 #鈍足の紀行史 #神主打法 3