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古代衣装を平和に愛したい


※以下すべて個人の見解と個人の知識で書いています。特定の民族、文化を非難する意図はありません。


漢服と韓服。揉めている。
これ、古代衣装を愛してる私にとって他人事じゃないんですよね。

北京オリンピックの開会式で、民族衣装を着た中国の少数民族の人々の中に、淡いピンクのいわゆる「韓服」スタイルの女性が登場し、文化盗用ではないかと揉めている。

ちょうど同じタイミングでファッション誌Vogueも炎上している。とある衣装をこれは漢服です。と紹介したが、韓服愛好家から「これは漢服ではなく韓服だ!」漢服愛好家からは「これは漢服だ」との意見が上がり…。

前者。
韓服はたしかに韓国や北朝鮮の民族服であると同時に、中国国内に住む「朝鮮族」の方の伝統衣装でもある。
日本の在日コリアンの方も成人式なんかで着用されてますね。
でも、オリンピックの場であれをやられると、自国の伝統衣装を、よその国が「韓服はうちで暮らす1民族の服です」ってやったように見えてしまうのも非常によくわかります。
世界各国の人が見るテレビ放送で、韓服に身を包んだ人が中国人として映る。アジアのことをよく知らない国の人が、今後韓服を見たときに「あ、北京オリンピックで見たやつだ!」なんてなったらショックですよね。うーん…

後者についても難しく。
これはまた話が違います。私が古代衣装を着る身として不安におもっているのはこちらの方です。

これは歴史に帰らなくては行けないので少し長くなります。

まず、数年前から中国では「漢服復興運動」が起こってます。
ちょっと前まで、みんな中国の民族衣装=チャイナドレスというイメージだったと思います。
あれは「満州族」の「満州服」が元になってます。
(さっき「朝鮮族」って言ったけど、中国には56の民族が暮らしていることになっています。〇〇自治区ってよく聞くけど、あれは民族単位で区切られてるの。)
ちなみに、ベトナムのアオザイも「満州服」に影響を受けてます。

中国では主に「漢民族」が王朝を支配していましたが、16世紀に「漢民族」の明王朝が滅ぼされ、「満州族」が清王朝をつくりました。
弁髪(ラーメンマンの髪型って言えばわかるかな?)は清朝の満州族男性の象徴的な髪型ですね。
清朝の時代に、漢民族にもすっかり「満州服」が浸透しました。
清朝滅亡後の中華民国でも漢民族は漢服に戻ることなく、むしろ「満州服」に洋装の要素を加え1930年頃にいわゆる「チャイナドレス」が誕生しました。
そこから長らく、中国=チャイナドレスのイメージになります。

現在、中国は漢民族+55の少数民族の計56民族が暮らす国ということになっています。マジョリティは漢民族。

「少数民族それぞれに民族衣装があるけれど、私達は?満州族の文化から派生したチャイナドレスではなく漢服が私達の民族衣装なんじゃないの?清朝の時代に廃れてしまったけれど、それまでずっと私達漢民族は漢服を着ていた!もう一度文化を取り戻そう!」

というのが漢服復興運動です。
当然、王朝がいくつもあるので、漢服もさまざまなバリエーションがあります。

私が愛する古代衣装の中で、万葉衣装、天平衣装などと呼ばれるものは奈良に都が置かれていた時に、そこで当時の日本の貴族達が着用していたものです。
当時日本は「遣隋使」「遣唐使」を派遣し、文化や学問を持ち帰り、発展を遂げていました。
装束の面でも、大陸や朝鮮半島の文化を取り入れていきました。
天平衣装を見て、唐朝の漢服と似ている!と指摘されたとして、「おっしゃる通りです」と返すしかありません。
「遣唐使」の派遣をやめてから国風文化が生まれ、装束の面でいくと日本特有の公家装束、いわゆる男性の「衣冠束帯」女性の「十二単」が誕生します。(どうやって天平衣装が十二単になったんだ!ってよく聞かれますが平安時代だけ着用されていた「物具装束」を調べるとなんとなくわかるかと…)
ちなみに、平安時代のイメージがあまりに強いのですが、明治に鹿鳴館を作って洋装文化を積極的に取り入れるまで、戦国時代も江戸時代も公家装束は形を変えつつあのようなスタイルを続けていました。(勿論変わっている部分もあります。)令和改元で行われた「即位の礼」でも皇族の皆様が着用されていた姿も印象的だと思います。
これは日本独自の装束だと言えるのではないかと。

私は韓服について詳しくないので、どんなディテールが韓服特有のものなのか、日本が平安時代以降国風装束に変わったように、いつ漢服と韓服が別れたのか分かりません。ですが、おそらくかなり近い時代まで、陸続きの両者の文化は混じり合っていたのではないかと。なので漢服と韓服のどちらとも取れる衣装というのは存在してしまうのではないかと思います。
また、以前から見られた韓服文化に対して、近年急激に再興されはじめた漢服文化。両者に類似点があった場合、韓服愛好家からすれば最近急にでてきた漢服の方が模倣に見えるのもわかります。

漢服は、今中国で大ブームになっています。
コロナ前、奈良のお祭りに天平衣装で参加していたところ、中国人観光客の団体の方に話しかけられました。
私たちを見てざわざわしていた中の1人のマダムが「それとっても中国の漢服に似ているけれど、何の衣装?」と。
非常に拙い英語で「日本人は江戸時代くらいから今の着物を着ています。これはもっと昔の奈良時代の服です。当時中国と非常に関係が深く、貿易も盛んでした。だから漢服ととても似ています。」と伝えました。(この説明も突っ込みたいところは多くあるかと思いますが、私の英語力ではこれが限界でした。)
皆さん納得してくださって「あ〜なるほど!」「そうなの〜綺麗ね!」「写真撮ってもいい〜?」とニコニコしてくださいました。
そのあと最初に話しかけてくれたマダムと、ちょっとだけ日本語が話せる、お孫さんかな?大学生だった私と同い年くらいのお二人とちょっとだけ喋って、奈良を楽しんでね!と楽しくバイバイできました。

こうやって対面で1人ずつお話すれば、わかってくださると思いますが、今はネット社会。天平衣装を着た写真をSNSにあげると、漢服愛好家を名乗る方から中国語で文化盗用であるとコメントされたりも…。
(2024年追記: しかし、最近「漢服」を天平衣装代わりに着る人もチラホラいるようです。それに関してはまた別問題になりますので、次のnoteにまとめました。)

私が古代の衣装を着るのは、奈良に都が置かれた時代に想いを馳せ、憧れの正倉院御物が使われていた時代、万葉集が詠まれた時代はこんな格好の人が奈良を歩いていた、ということを楽しみたいからです。
ですからこれを「日本独自の伝統衣装だ!」というつもりもありません。「奈良時代の日本人が着ていた装束」を着たいだけです。(あとよく日本人の方に誤解されますが、天平衣装は邪馬台国の衣装ではありません…笑)

それぞれの衣装の愛好家が漢服と、韓服と万葉/天平衣装で集まってのんびり梅のお花見でもするくらいのゆるさで、それぞれの文化を尊重しながら仲良くしたいのですが、難しいのかなぁ。

一つ言えることは、古代貴族の華やかな装束には多くの人々を熱狂させる魅力があるということ。
だってキラキラでカッコいいもんね。うん。

いっぱい書いたら疲れちゃった!
それでは、おやすみなさい ( ˘ω˘ )

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