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神様に会ってきました【熊野・玉置神社】

熊野行からだいぶ月日が過ぎて今日で3ヶ月となりました。
呼ばれないと行けない玉置神社を目指して念願の正式参拝しての帰り道、安倍元首相が銃撃を受けたことを知りその後亡くなったことにショックを受けて記事を書けなくなってしまったのです。

私はスピリチュアルにはあまり傾倒しない、霊感や第六感のセンスはゼロの人間ではありますが、特に今回の神社巡りには縁というものを感じさせるものがありました。

今回は友人を同乗させて私がフィットeHEVを運転したのですが、当初の想定からは回る順序も場所もだいぶ変わることとなりました。
私は本命を最初に回るべきと考える、それは今までの人生で本命を最後に取っておいたら機会そのものが無くなってしまった苦い経験からそう確信しているのですが、今回は最初に熊野新宮 熊野速玉大社、そのルーツとなる神倉神社、その後に熊野本宮大社、最後に玉置神社という流れになってしまいました。
正直最後までヒヤヒヤしました。それだけに玉置神社の正式参拝が叶ったあとはほっとしました。
熊野の巡礼としては熊野那智大社は回りませんでしたが(それこそ回ったら玉置神社参拝の時間が無くなってしまったでしょう)、それぞれの系統の違いを知ることができたのは今回の旅の大きな収穫でした。
今まで遠くから見ていた熊野は近づいてみるとレイヤーがそれぞれいくつも重ねられていて全くの別物だったものが歴史に上書きされてとどめは明治の国家神道に上書きされ統一された色合いになったと考えられます。
上書きされる前はどんなだったのか考えると興味は尽きません。そしてそのレイヤーの下層が最もよく見えるのが玉置神社だと思うのです。
その玉置神社で不思議だなと思ったことがひとつ、それは正式参拝で本殿に上がらせていただいた際に横向きに座って祝詞をいただいたことです。普通は本殿奥のご神体に向かって座ると思うのですが違うのでしょうか。今まで神社に安全祈願等でお参りに行くことはあれど「正式参拝」というのは初めてだったので、今後神社巡りをする際に気をつけてみたいと思います。

ちょうど玉置神社へ向かうために奈良県入りしたらその同じ奈良県で安倍元首相が凶弾に倒れた、同じ奈良県といっても奈良市の市街地と十津川村では大分距離はありますがそれでもこの参拝が歴史の転換点になってしまった奇異な運命を感じます。人はこの世で成すべき事があって生を受けていると考える私にとってこれでこの世でも役目が終わったのだとは考えたくないのですが、歴史は時々避けようのない残酷な悪戯を見せるときがあります。
まさに「無念」としか言い様がないですが、今を生きる私たちは頑張って生きていかなくてはいけないのだと玉置神社の国常立神に誓うのでした。

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