「僕についてもっと深く知りたい」2024年9月4日の日記
僕の頭の中にあるモヤモヤとした感情や考えを言語化して、今後noteに投稿していったら客観的に僕を見つめ直すことができるかもしれない。さらに僕の悩みや不安、葛藤が少しは減らすことができるかもしれない。
よって、僕は今日からnoteに僕の頭の中にあることを言語化していこうと思う。
日記を残していくことで、僕の考えが今後どのように変化していくのか楽しみでもある。
僕は20代前半だが、この不条理な世界で一生懸命生きることにもううんざりしている。
「人生は個人の努力を超えた大きな力に左右される」ということを今までの人生で何度も経験した、
人生は運の要素が大きすぎる。それならもう、一生懸命頑張らずに無理しない範囲でほどほどに頑張るくらいが良いという考えに至った。
今まで何のために頑張ってきたのだろう。
お金のため?僕は何のためにお金を稼ぐのだろうか。
まずは僕の最低限の生活を保障するためだ。飲食、住居にかかる費用だね。僕は飲食に関しては、高級レストランや高い食品やお酒に全く興味がないので食費にはそこまでかからない。
住居に関しても、タワマンやマンションに住みたいという願望はなく普通の1LDKの部屋で満足だ。でも、周りの治安や騒音に関しては注意を払いたい。
なので住居に関してはすこしお金がかかるかもしれないが、大金が必要になるなんて事はないだろう。
他にお金を使うとしたら読書とスポーツジムか。あとはリラックスできる環境に一時的に身を置くための費用もあるね。例としては温泉とか自然にふれあえる場所とか。
僕がお金を使う用途はこれくらいだ。
僕は結婚、恋人を作るという選択はしない。
よってこれらにかかるお金はないだろう。
結婚には責任が伴うし、自由も減る。僕は自由を大切にしている。恋愛も一時的な感情であり、一定期間を過ぎると恋愛によるドーパミンの放出量も減って相手に飽きてくるだろう。
それに僕は1人を好む。あまり人とつながっていたくない。
恋愛も結婚も人とつながりたいというのも人間の本能からくる欲求であり、僕はその欲求を満たす必要はないという結論に至った。
なぜなら、僕は精神的、時間的なゆとりを持ち、読書、一生懸命生きないことを最優先にしているからだ。
何かを得るには何かを犠牲にしなければならないのが世の常だ。すべてを手に入れることはできない。
僕が最優先にしている大切なことによって恩恵を受けるには僕の本能がもつ一部の欲求を犠牲にしなければならない。
もう今は狩猟採集時代ではないのだから、すべての本能を満たす必要はない。相変わらず脳は狩猟採集民族の時と変わっていないのは腹立たしいが僕がどうこうできる話ではないのでどうすることもできない。
話がそれまくったが、僕には大金は必要はないということがわかった。そこそこのお金があれば良い。よって僕はいままで何のために一生懸命頑張って生きてきたのかがわからなくなった。
承認欲求のため?
今日は書くのは疲れたのでまた明日書こう。
この日記を続けていったら言語化する能力も上達していくのかな?
もっとうまく言語化できるようになりたい。
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