20世紀最後のボンボン 第二部 サンフランシスコ篇 第六部 ボンボンとカンクン君
私がサンフランシスコの語学学校に行っている間、
1歳ちょっとのカンクン君はどこにいたのか。
それはボンボンが全部面倒見てました。
バギーでカリフォルニアストリートを下って行って、
シェラトンパレスでおむつをかえ、ガーデンコートで
一緒にお茶していたんです。ずーっと。
このころのボンボンは歴史に残る偉業をしていたと思います。
ボンボン史上。
男性は特に結婚しない場合もあるし、結婚して子供が生まれても
自分では育児にかかわらない、かかわれないことが多い。
けれども、ボンボンはここで大きく変わったのです。完全に自分中心だった
生活が自分の子供中心に変わった。
それまでは周りにちやほやされて甘やかされていたのが、
一人の人間になって、父親として、子供を外国で守りながら
育てようと一歩踏み出したんです。
ベビーシッターを雇うお金があっても気持ちがない。
どうやって、アメリカ人を信じることができるのかという
問題です。カンクン君はこの世に一人しかいないのです。
「あー死んじゃった。残念。」は200パーセント絶対ないので。
何人か面接をやったり、アメリカ人に年齢を聞くという暴挙にも出て、
四柱推命で、その人そのものを判断したりしたんですが、そしていい人も
いましたが、結局、雇いませんでした。
そのころはサンフランシスコのダウンタウンにFAOシュワルツもあり、本屋
にも子供のコーナーがあって、読み聞かせのサービスもありましたし、ボン
ボンはいろいろなところに連れて行っていたと思います。それに赤ちゃんが
一緒のほうが街に溶け込みやすいですよ。
ボンボンは非常に社交的な人でしたし、自分の社会貢献活動のこともありま
したから、人によく会ってました。
土日は休みですから、フェリーで、結婚式をやった対岸のサウサリートに出
かけたり、映画で有名なアルトカラズに行ったり、ヨセミテ国立公園にも行
きました。ヨセミテは日本人にもかなり有名な場所で、日本語のパンフレッ
トもありました。なにかバンガローみたいなところに最初いたんですが、ボ
ンボンはやはりホテルがいいということで、1969年にアメリカに留学し
ていた時にお父さまがいらして一緒に泊まったというAhwahnee Hotelに泊ま
りました。
ヨセミテ国立公園は世界遺産にも登録されています。
それはアメリカの国立公園の中でもかなり進んだ位置にいるからだと思いま
す。公園として必要な施設の設備はもちろんですが、生態系の多様性がかな
り幅広く、学術的研究の対象(19世紀初頭にもスコットランドのジョン・
ミューアが来て、重要な論文を残しています。)としても非常に興味深い場
所で、またネイティブ・アメリカンの伝統が色濃く残っており、私たちが泊
まったホテルの名前にもあったアワニー族がゴールドラッシュまでどのよう
に生きてきたのか、そしてゴールラッシュ(19世紀半ば)はカリフォルニ
アをどういう風に変えていったのかなど、書き出したら、それだけで何冊も
の本になるほどの、歴史の積み重ねが感じられる偉大な場所でした。そして
その歴史の中ではかなり最近の部類に入るアンセル・アダムスのヨセミテの
自然を撮った写真の数々。澄んだ空気とともにとても心、洗われる場所でし
た。
私たちはここへはバスで行きましたが、途中、道が大変、曲がりくねってい
て、窓から外を眺めるスリルも一興でした。(笑)
やはり植生が日本のどこのものとも異なり、私には興味深かったです。植生
については私はもともと非常に興味があるので、またいつかまとめて書きた
いと思います。
カンクン君はとても大きな松ぼっくりを拾ってきましたが、それは今でも我
が家の玄関に飾ってあります。
20世紀最後のボンボン 第二部 サンフランシスコ篇 第七章 アメリカで子供を育てる
に続く
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