20世紀最後のボンボン 第二部 サンフランシスコ篇 第八章 メンロパークへ
人と出逢うということはつくづく不思議なことである。
特に私たちのような男女は出逢って4日目に結婚、そして
3年目に渡米してしまう。
あの時何かが一つでも違っていたら、
私がそのあと、アメリカに住むことはなかっただろう。
自分の力だけで、ここまで来ることはできなかっただろう。
流れに抵抗しなかった。
なんというか、とてもいい流れが来ていて
自分はこの道でいいのかなんて考えもしないで
毎日夢中で過ごしていた。
そういう風に生きていくことができた。
目の前にあることを精一杯、全力でこなしていくだけ。
私はただアメリカで勉強したかった。大学院に行きたかった。
何年間も日本で英語を勉強したのに話せないのが
許せなかった。
日本の英語教育は明らかにおかしかった。
けれどもそれでも、自分がわかっているのに
会話が成り立たないのは練習が足りないからだった。
でもどうやって?
とにかく話しかけていくしかなかった。
東京では周りに英語を話す外国人の友人は
全くいなかった。
何をどうしていいかも全くわからなかった。
ただ躊躇していなかった。
自分が望んだからこうなったのだ。
ここで頑張らなくていつ頑張るのだ。
たぶん周りから見たら滑稽だったと思う。
アメリカ人にもよく笑われた。
私があまりにも必死なので。
でもそれは馬鹿にしているのではなく、
驚嘆に近かったと思う。
と思うというか、そう自分で思って
あとは気にしなかった。
自分は自分で頑張っていくだけだ。
それだけ。
あとはどうでもいいのだ。
他の人がなんて言おうと関係ない。
自分が決めた、自分が選んだ人生。
全力を尽くす。
本当にそれしかできない。
力を抜くことなんかできない。
必死で新しい環境にとけこもうとし、
ただ毎朝、起きて、やることをやって疲れて
爆睡する。
そういう毎日を過ごしたメンロパークの話を
第三部で書いていこうと思います。
これは1994年のことなのに、自分の中では
過去になるとは思っていなかった。
私自身もとても不思議な経験をすることになると
ワクワクして、眠れないでいる。
けれでもきっちり、今日は眠り、
明日起きたら、ずっとメンロパークの話を
アメリカでの生活を書いていこうと思う。
Have a nice dream!
SUJI ATHERTON
この続きは第三部 メンロパークにて 第一章
でどうぞ。