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20世紀最後のボンボン       第一部 東京篇 第四章 パレスホテル

20世紀最後のボンボン

第一部 東京篇

第四章 パレスホテル

10月8日から12日までの4日間の興奮は

覚えているが、詳細を思い出そうとするとすべてぼやけている。

毎日、もちろん、指導に出かけた。10月に休むプロ家庭教師はいない。

部屋の窓の外に見える熊野神社を見つめていると

あの不思議な女性が言ったように、自分の人生が大きく

変わっていくのが見えるような気がした。

私にはボンボンを拒否する選択肢は

どこにもなかった。

12日はランチをパレスホテルの日本料理の店で

とることになっていた。

ボンボンもボンボンなりに覚悟を決めて、

整髪をしてきていた。

食事が終わってからロビーを歩いていた時に

「来てくれないかもしれないと思っていた。」

とボンボンは珍しく、気弱なことを言った。

「丸の内の散髪屋でも今日は特別な日に

なるからきっちり整髪してほしいと頼んだんだ。」と

「私はあなたのことを好き、だから

来ない選択肢はありませんでした。」

と私は答えた。それはこのような出会い方をした場合、

ちゃんと意思表示を最初にしないと、縁を逃すとわかって

いたからだ。いつもは、というより、お見合い一つ

したことない私がなぜここまで用意周到なのかわからないが、

理由があるとすれば本能からか。

それだけ伝えれば、その日はそれでいいと思っていた。

ところが、皇居を散歩し、

近くの公園を歩き、

お互いの自己紹介を改めて行い、

意志を確かめ合った。

ボンボンは私を抱きしめた。

そして、結婚しようといった。

私はそれには答えなかった。

それでも、まだずっと話していたいし、

つきあうのはいいかなと思っていたので、

ずっと歩いていた。

雨が降ってきたので、タクシーに乗った。

着いたのは、麻布山善福寺だった。


そこにご先祖様がいらっしゃると

いうのである。

お墓である。

これには参った。

まさか出会ってから4日後にお墓の前で

プロポーズされると誰が想像するだろう。

案の定、ボンボンはお墓の前で

「おばあちゃん、今日は命日ですね。

今度奥さんになる人を連れてきました。」

と言った。

私ははじめて訪れた場所だったが

不思議と温かみがあり、

そこにいるだけで厳かな感じになり、

感じ入った。

立派なお墓だった。

福沢諭吉先生のお墓があり、

越路吹雪さんの歌碑があった。

樹齢700年の逆さイチョウがあった。

そしてハリスがはじめてアメリカの公使館を開いた

記念碑があった。

実に立派なお寺であった。

私は歴史的な場所やお寺や神社は好きなので、

とてもうれしかった。

夕飯をどこで食べたか覚えていない。

何を食べたのかも覚えていない。

それはなぜだろう。

そしてそれから五番町のボンボンの家に

行くことになった。

もうあたりは暗くなっており、

あまりわからなかった。

それに指導でも億ションには

行ったことがなかった。

ただ近くに女子学生ハイツがあり、

そこには地方から下宿していた

生徒の指導で、よく来ていた。

葡萄の木という喫茶店があり、

よくそこで食事をしたのを思い出した。

その部屋は角部屋でお濠が全て

見渡せる窓があった。

暖炉があり、ソファとダイニングテーブルと

その奥に坂本龍馬の書と

大きなお仏壇があった。

窓のところにはご先祖様のお写真が

飾られており、

それはおばあさまとご両親のお写真があった。

その方たちが心から喜んでいらっしゃるのが

私には見えた。

「いらっしゃい。」とほほ笑んで

いらっしゃった。

私はご家族が私が来たことを喜んでいるのが

とてもよくわかりました。

そしてお仏壇にまずお祈りしたい旨を伝え、

江戸時代よりも前から続くご先祖様が祀られている

大きなお仏壇に手を合わせ、

よろしくお願いいたします。とお祈りをした。

それはとても自然な成り行きだった。

ただそこまで行く間に、

私が履いたスリッパは綿ボコりで埋め尽くされており、

ボンボンが一人でここに住んでいるという現実を

見た思いがした。

第五章 西新宿 そして四谷

つづく


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