今日はセビリアからきた青年とカラチから来た市民権を持つハンサムなパキスタンオリジンの人と話した。
1982
パキスタン人がとてもおしゃべりが好きな人で、まあ、しゃべる、しゃべる、それにアメリカで大学を出ているから、アジア人ぽくない。
パキスタンの田舎にすごい大きな家があって、奥さんと二人の子供がいるそうだ。お父さんがアメリカに来て、頑張って市民権を取って、彼を呼んでくれて、彼が市民権をとれたとき、お父さんはなくなってしまったそうだ。
Such a sacrifice!
とSUJIは叫んでしまいました。
そうですよね、いつかみんな揃って、アメリカに来ないとね。子供二人には市民権があるそうです。そのハンサムさんのおじさんは日本に、1982年から1987年、1989年に日本に働きに来ていたそうだ。だからそのパキスタン人はやけに日本の歴史にも詳しい。南京大虐殺とか、よく知っている。日本は第二次世界大戦ですごく悪いことをした、と。
いや確かにそうだけど、だからSujiはSujiが出来る抵抗の一つとして、
子供をアメリカで育てる選択をしたんだよ。というと、当たり前だけど、すごくびっくりしてた。
しかも子供と二人だけで、約二十年。SUJIはたいていはボオッとしているけれども、やるときは徹底的にやる。
セビリアの若者は肩をすくめていた。彼はアプリのでデベロッパーでスタート・アップの準備で、サンフランシスコに二日前に来た。ミレニアル世代にありがちなビーガンでもあり、なんとなく世捨て人のようでもあり、国によらず、世代のそういった共通点にちょっと驚きもした。
そのセビリアから来たハンサム君はコムデギャルソンのシャツを着ていた。
赤いハートに黒い目が印象的なあのマークのついた真っ白なシャツ。
それがきっかけで話が出来た。私の子供もコムデギャルソンのスニーカーを持っているとはなしかけた。とたんにこわばっていた顔がほころんだ。
コムデギャルソンは誰にとってもかっこいいシンボルだし。
いいなって思った。
相変わらず、ハンサムなパキスタン人はずっと日本について語り尽くしていた。
そうしたら、とつぜん、セルビアのハンサム君が
でも、日本人の中年以上の男性のロリータ好きは吐き気がする。
と言い放った。(いや、中年になってなくてもロリータ好きはいるよ、とは
言わないでおいた。さらに傷口を拡げるだけだからね。)
まあ、でもそれは限られた人たちで、全員がそうなわけではないよ。
と一応、抗戦しておいた。
こういうのは面倒でもちゃんと話に出たときに、自分なりの抗戦をしておかないとダメだ。
議論は彼らのくせのようなものだから。
ここはダイバーシテイに富んだ場所で、だから刺激的で、
好きだな。
サンフランシスコ
Have a wonderful moment in your life!
感謝をこめて
SUJI ATHERTON
What an amazing choice you made! Thank you very much. Let's fly over the rainbow together!