見出し画像

20世紀最後のボンボン  第二部 サンフランシスコ篇  第七章 アメリカで子供を育てる

アメリカといっても、ボストン(東部)とカリフォルニア(西部)と

テキサス(南部)では全然違う。私は主に、北カリフォルニアにしか住んで

いないので、全部のことがわかっているわけではない。

カルフォルニアはとても豊かで、リベラルで、みんなのんき。

天気もいいし、性格もいいというのはだいたいに

おいては当たっている。

私がサンフランシスコに着いたばかりの1990年代半ばは、私は結婚して子供

もできたうれしさでお母さんぽいこと万歳で、お母さんらしくやっていくの

だろうと思っていた。けれども、学生ビザで来ている以上、学校にちゃんと

通って、成績を取ってないとアメリカから追い出されるし、それまで悪い点

を取ったことがないんだから、やるとなったら、子供も何もない。そういう

場合でも日本では誰も助けてくれなかったと思う。むしろ批判されたと思

う。もちろん、実家の母とか健在でしたけれども、同居していなければ、親

はほとんど役に立たない。

親は親なりにせっかく子育てから解放されたのだから、夫婦で旅行に行った

りしたいし、赤ちゃんの面倒を見るといっても、限度がある。

私はおそらく子供が8歳くらいまではほとんど子供のことを日本人のお母さ

んがするようには見ていなかったと思う。2歳10カ月から子供をプリスクー

ルに入れて、最初は週二回だけだったけれども、だんだんに週5回にした。

朝8時半から夕方5時半くらいまで預かってくれて、月700ドルだった。そこ

は私立で、少人数だったし、とても高いほうだったと思うが、隣の人の推薦

でそこに入った。

子供は完全にアメリカ人の思考様式で英語を話すようになった。けれども家

では日本語で話し、日本語のテレビやビデオも見ていた。日本にいたらこれ

はできなかったと思う。というかもともと受験業界にいた私は皆が同じよう

にある年齢になったら受験し、ある年齢になったら、これこれができないと

いけないという発達心理学とかかなり嫌気がさしていたことは大きかった。

子供を日本という枠から離して、育てたかった。それは結局自分がプロ家庭

教師として、10年くらい働いた結果、日本人の枠からはみ出すような収入と

考え方を獲得したことが大きかったと今は思う。だからボンボンに出会った

とき、そしてボンボンと子供を作った時、それは全く予想外でありながら、

それこそが自分が望んでいた世界への第一歩だったのだ。自分の希望を大き

く声に出して叫んだことはなかったけれども、私がした選択はすべてそちら

を向いていた。ボンボン以外の人と結婚しなかった過去も、自分が向かない

世界を選ばなかっただけのことだ。だけどそれはもし、子供が日本人らしい

社会が好きで、サラリーマンになることも大好きだったとしたら、とんでも

ない結果に終わっていたと思うし、一種の賭けだったともいえる。

 プリスクール時代、全員が完全に同じ態勢で子供を預けていたわけではな

い。お母さんが主婦の家はやはり週2回しか預けていない場合もあった。ど

んなに収入がある家でもそれはその家の教育方針によると思う。

ただ幼稚園からは普通は週5回、登校するのだから、そこに慣れていく意味

もあったと思う。うちの場合は英語をいつも話すということも大事だから早

く慣れてほしいということもあって、それと最初は5年しかいないという前

提もあったので、物珍しさもあって、週5回プリスクールに入れていた。も

ちろん子供がプリスクールに行くころは私も語学学校ではなく、大学院の準

備で、専門分野の大学にウォームアップで行っていたということはある。だ

から予習も大変だったし、家では日本語を話しているのに、外では英語を使

うというのもぜんぜんうまく行かなかった。それでも子供のことを考えてい

たから、完全に集中するというのは無理だった。アメリカに住んでいて、と

ても優秀な大学院を卒業した日本人のお母さんもいるにはいるが、子供が大

学の寮で自殺してしまったりとか、ものすごく冷たい子になってしまったと

か、かなり難しい問題を含んでいる選択

だと思う。子育てうんぬんより、自分の将来と子育てとの戦いだと思う。

日本では長いこと、お母さんは子育てだけしていていいということだったの

で、不自由に感じていた人も多いが、いいこともたくさんあった。たくさん

の本当にバランスがとれた人間が育ったことも事実。私は自分が母になって

みて、そういう過去の日本は豊かだったんだとつくづく思う。子供は最初は

親からしか学ばないから、ご飯の味とか、他の者への興味とか、そのほかい

ろいろ、親の責任は大きい。

どういう風に育てても、悔いは残る。完全なんてことはあり得ない。

でもそこでネガテイブになると子供に影響が出る。本当に難しい問題です。


こういう話題が知りたいという要望があったので、書き出してみましたが、

あまりにも複雑な問題で、全然まとまりませんでした。

また折を見て、書き足すなり、まとめるなりしたいと思います。

ただ子供がまだ学生の間はその行動を公にするのは弊害が大きいと思いま

す。芸能人でも物心がついた時期にその子供について書くのをやめる方がい

らっしゃいますが、それが自然だと思います。人間が育つ時期に他者の目が

入ってくるのは悪影響しかないと思います。

そして子育てもいろいろ悩むと思いますが、とりあえず、今が何とか皆幸せ

でいるなら、それでいいとしないと、もともとの親が頑として動かないよう

な存在でないと子供はつらいと思います。あとでどんなに親が責められて

も、ある一定の方向に親がい続けていないと、子供がどんなに人格者でも子

供の時代は子供なので、自我を守り切れないと思います。ここまで書いてく

ると私が記録しないといけないことは山ほどあると気づきますね。(笑)

一応、今日はアップしておきましょう。きりがないので。


続きは第二部サンフランシスコ篇 第八章 勝負 メンロパーク
へどうぞ。

いいなと思ったら応援しよう!

Suji Atherton
What an amazing choice you made! Thank you very much. Let's fly over the rainbow together!