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スタオケの期間限定イベント「星屑を駆ける銀河鉄道」のストーリーを読む

 本記事ではiOS/Android向けアプリゲーム「金色のコルダ スターライトオーケストラ」2022年6月29日~7月8日にかけて開催された期間限定イベント「星屑を駆ける銀河鉄道」のイベントストーリーについて感想を記していく。
 銀河鉄道というからには一ノ瀬銀河メインの楽しくて心ときめくイベントだろう、だなんてことを考えてゆったり構えていたら全然ちがった。激重過去持ちキャラの鬱要素、2021年7月の期間限定イベント「納涼!肝試し 作曲家Cの肖像」に通じるホラー要素でユーザーの情緒を攻めたてつつ、「本当の幸せとはなにか」という普遍的なテーマを各キャラクターに問いかけるストーリーだった

 今回イベント限定SSRとしてピックアップされた榛名流星と鷲上源一郎の二人をメインに、イベントストーリーを読んでみる。イベントストーリーほか、キャラクターストーリーのネタバレを含むので注意されたい。

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」あらすじ

 未読の方は青空文庫に全文掲載されているのでそちらを一読されるのがよいだろう。なにせそこまで長大な話ではないし、なにより宮沢賢治の文章表現は素朴ながら美しい。だがそんな暇もないという方向けに簡単なあらすじを述べておく。

 漁から戻らない父と病気がちな母を持つ少年ジョバンニは、朝は新聞配達、夕方は活版所でアルバイトをしている。学校では同級生のザネリらにいじめられることがある彼は孤独だったが、同級にカムパネルラという親友がいた。
 星祭りが催される夜、天気輪の丘に立っていたジョバンニは、いつの間にかカムパネルラとともに銀河鉄道に乗り込んでいた。乗客たちはみな切符を持っているが、ジョバンニのポケットに入っていたのは「天上でもどこまででも行ける」特別な切符だった。不思議で美しい旅を楽しむうち、彼らはさまざまな旅人たちと出会い、「ほんとうのさいわい」とはなにかを考えるようになる。ジョバンニはカムパネルラに、みんなのほんとうのさいわいのためにどこまでも一緒に行こうと誓うが、カムパネルラは消えてしまう。
 目覚めたジョバンニは、川べりで人が集まっていることに気づく。聞けば、ザネリが川に落ち、カムパネルラが川に入ってザネリを救った代わりに自らは沈んでしまったという。カムパネルラは「ほんとうのさいわい」のために命をなげうったのだとジョバンニは知る。父が間もなく帰ってくるという知らせを受けたジョバンニは、母の元に戻るのだった。

 ものすごく大雑把に言ってしまえば、銀河鉄道の世界は生と死の狭間で、特別な切符を持つジョバンニ以外の旅人は、全員現世で命を落とした人々だ。そして、ジョバンニらを通じて作者が語る「ほんとうのさいわい」は、自己犠牲による他者貢献を意味する(イベントストーリー8,9話で描かれる流星のエピソードにこの「幸福のあり方」「自己犠牲」が関わってくる)。

七夕祭りの問い「本当の幸せとはなにか」

 七夕祭り――おそらく湘南の七夕祭りと推定してよいだろう――の最終日の野外ステージに出演することになったスターライトオーケストラ。曲目選定にあたり雰囲気掴みのために、そして福引のために一足先に開場した祭の会場を訪れる。
短冊を書くことになり、皆がそれぞれ「なんの願い事を書けばよいのか」を考え始め、それぞれの「本当の幸せ」に思いを馳せる。
やがて混雑のためにはぐれてバラバラになってしまうオケメンバー。朝日奈は桐ケ谷・凛・源一郎・流星の4人と合流するが、なぜか祭り会場に戻ることができない。さらには「ラ・カンパネラ」のメロディーに誘われていく流星を追いかけ、不思議な列車に乗り込むことになる。列車の中で朝日奈は、自分たちが各自「分厚くて古めかしい切符」を持っていることに気付く。

 以下、4~9話までは朝日奈が各キャラクターと一対一で列車に乗り込み、彼らにとって大切な場所や故人を訪れながら対話することで、それぞれの「本当の幸せ」を見出す構成となっている

4話:桐ケ谷 晃

 桐ケ谷にとっての「思い出の場所」は、鉄棒の逆上がりの練習のために母と通った近所の公園。逆上がりができたときは桐ケ谷本人よりも母の方が喜んでいたという。公園でのできごとや昔の母のことを思い出した桐ケ谷は、「今でもおふくろの嬉しそうな顔を見るとホッとしたりはするな」「一番の幸せなんて、案外そんなもんかも」と笑う。

 桐ケ谷の家族は母ひとり子ひとりの母子家庭なので、母との思い出は多いことだろう。彼にとって「本当の幸せ」が大切な家族(母)の笑顔であることが語られたことになる。個性豊かなメンバーが集まるスターライトオーケストラの中でも、特に素朴で、最も地に足がついたところに幸福を見出す人物と言えそうだ。

5話:弓原 凛

 凛にとっての「思い出の場所」は、こっそり藤の木を植えた浜松駅前。メインストーリー4章で凛が自ら語った、凛がフルートを演奏するきっかけになったフルーティストからもらった種を植えたという。2,3年のうちに育った若木を発見した凛は、かつてフルーティストがやっていたようにストリートで初めてのパフォーマンスを行った。そのときに子どもに喜んでもらえたことを思い出した凛は、「僕の演奏で、子どもたちが音楽を好きになってくれたら、すごく幸せだって思う」と気付くのだった。

 凛はアイドル業界で「売れる」ために日々努力を重ねる野心家である。だがそんな彼の根底にあるのは、「音楽で子どもたちを笑顔にしたい」という無私の願いだ。不特定多数の喜ぶ顔を見たい、という凛は生粋のエンターテイナーなのだろう(この点はキャラクターストーリー4話でも語られている。なお、笑顔になってほしい人物として母を想定している桐ケ谷とは明確に異なる)。

6,7話:鷲上源一郎

 桐ケ谷と凛が「すでに失った大切な思い出の場所」にたどり着いたことを朝日奈から伝え聞いた源一郎は、自分が銀河鉄道で連れていかれるのはおそらく京都の御門家であろうと推測する。だが実際に到着したのは故郷の青森県で、出会ったのは実家近所の尺八奏者重吉だった。この重吉は、御門家へ弟子入りを望んだ源一郎の後押しをした人物で、源一郎にとっては大切な恩人だがすでに故人となっていた。
 重吉との会話の中で、源一郎は京都に行って音楽を学ぼうと決めたときのことを思い出す。初心に帰り、御門家から破門を受けた今も志が変わっていないことを重吉に証立てるために朝日奈とともに二重奏を披露する。
 源一郎の成長を認めた重吉は、彼が朝日奈とともにさらなる飛躍を遂げるよう祈り、別れを告げる。源一郎は「コンミスや仲間と共に音楽を奏でる」ことがかけがえのない幸せであることを実感するのだった。

 「失われた場所」にたどり着いた桐ケ谷、「失われたモノ」を見つけた凛、そして「失われた人」すなわち故人に出会った源一郎。源一郎が京都に滞在していた時期に亡くなったという重吉は、源一郎にとって恩を返せずに終わった心残りの種だった。その大切な相手に音楽を捧げ認めてもらうことは、源一郎から重吉に対する弔いでもあり、未練を消化させひとりの音楽家として巣立ちをする瞬間だったように思う

 源一郎は直近だと5月の「変奏曲 遠く懐かしきカレー」、6月の「The Music and the Fatal Ring」、そして今回の「星屑を駆ける銀河鉄道」の3連続で描写が加えられたキャラクターだ。変奏曲での報酬SSR「なにも持たずに」では、ガンジス川を舟で渡りながら「旅立つ前の心残り」について語り、6月のイベントストーリーでは心残りを作った張本人である御門と初めて向き合った。さらに今回のイベント限定スカウトSSR「ささやかな願いごと」では竹取物語を引き合いに、かぐや姫が月に帰る間際に人の心を失った説について語っている。彼のエピソードには常に心残り、すなわち未練がつきまとう。重吉はまちがいなく源一郎の未練のひとつで、重吉にとっても源一郎を見守れなくなったのは未練だった。これまでのストーリーで、源一郎単身でひとりの音楽家として認められたシーンはなかったように思う。お互いに心を残して死に別れてしまった相手を、他ならぬ音楽で弔うことができたのは、源一郎にとって殻を破るような得がたい経験になったのではないか。

 重吉がすでに故人と知り、銀河鉄道の駅が「失われたもの」の世界であると勘づいた源一郎が、重吉の誘いに対する反応を鈍くしているのも興味深い。普段であれば他者の親切を拒めない性格の源一郎が茶菓子を出されて躊躇う場面は、明らかにヨモツヘグイ(死者の国で煮炊きしたものを口にすること。死者の世界の住人にされ、もとの世界に帰れなくなると言われている)を警戒していた。重吉が自分と朝日奈に害をなすことがないとわかった後はその親切を受け入れるという柔軟さも持ち合わせていた。

 これは余談であるが、今回のイベントストーリーでは、源一郎は両親のほかに姉がおり、(おそらく)ふたり姉弟の弟であることに初めて触れられた。また過疎地の出身であることから、彼の周りは今回の重吉のような老人が多かった一方、同年代の子どもは少なかったであろうことも想像される。身体が大きく強面として女子に怖がられることがあるキャラクターとして設定されている源一郎だが、その実、年上から可愛がられる素地があったことが垣間見える。御門をはじめ、乙音、桐ケ谷、刑部、仁科、そして朝日奈自身からも庇護対象として見られることがあるのはそういった環境によるものだろうかと想像してしまった。

8,9話:榛名流星

 キャラクターストーリーを読んでいるユーザーには既知のことであったが、流星は複雑な家庭環境に生まれ育っている。

 物心ついた頃から家族はおらず施設で育った彼は、5歳の時に公園で泣いている女性に出会う。「りゅうちゃん」と呼んでいた息子と死別し悲嘆に暮れていた彼女は、おなじく「りゅうちゃん」と呼ばれていた流星を施設から引き取り養育することになった。流星は「何者でもなかった僕が『りゅうちゃん』になれた」「必要とされてうれしい」と感じているという。さらには「両親の期待に応えたい」と望み、「りゅうちゃん」のプロフィールを丸暗記し「りゅうちゃん」として振る舞って生きている(流星キャラクターストーリー6話)。クラリネットすら「りゅうちゃん」の生前の経歴に組み込まれていたから始めたものだ。そんな彼は、スタオケメンバーが七夕飾りの短冊に書く願い事を考える中でも「(何が幸せなのか)思いつかない」と朝日奈に打ち明ける(「星屑を駆ける銀河鉄道」3話)。行動原理を完全に外部に依存している流星は、幸福も同様に「他者がどう感じるか」でしか価値判定できないのだ

 自分にとってなにが幸せかわからない流星は、他の三人と違って「僕に相応しい駅はないのかも」と予測する。実際、流星と朝日奈が連れて行かれたのは流星の記憶にある場所ではなく、現実世界で落命したと思われる人々が集う不思議な空間だった(「銀河鉄道の夜」そのものの物語空間と言うべきか)。
 そこで流星と朝日奈が出会ったのが、名言はされないものの、流星の養父母の死別した実子「りゅうちゃん」である。彼は母(=流星の養母)が傍にいないことを寂しく思って泣き続けていた。いつか(現実世界で死んだ)母が来るか、自身が「特別な切符」で乗れる「特別な列車(=朝日奈たちが乗ってきた銀河鉄道)」に乗るかしなければ、「りゅうちゃん」が母に会うことはできない。
 流星はこのとき、強い願いを持つ「りゅうちゃん」と持たない自分を比較し、また養母も「りゅうちゃん」に会いたがっているだろうことを考えあわせ、「りゅうちゃん」の願いが叶えられるべきだと判断したのだろう。流星は自分の「特別な切符」を「りゅうちゃん」に渡そうとするが、この銀河鉄道の旅路が「失われたもの」の世界であることに気付いた朝日奈は、流星が銀河鉄道に乗って元の世界に戻れなくなることを危惧して彼を止める。
 切符の代わりに、流星と朝日奈は「りゅうちゃん」に「ラ・カンパネラ」の演奏を披露する。演奏に伴って「りゅうちゃん」が手に入れた、「ラ・カンパネラ」を奏でる小さな流れ星は、流星の心の一部と考えてよいだろう。「お母さんが来るまで、その音楽を聞いていてくれる?」の問いかけに、「りゅうちゃん」は「わかった」と承諾する。流星が別れ際に「――ごめんね」と謝罪の言葉を述べたのは、特別な切符を手にできなかった「りゅうちゃん」が、母に会うために、ひょっとしたらこの先何十年も待たなければならないかもしれないことを案じたゆえの言葉だろう。

「おにいちゃんたち、行っちゃうの?」
「うん、僕には帰らなくちゃいけない場所があるんだ。…僕を待っていてくれる人のところ」
「そっか………。おにいちゃんにも、大事な人がいるんだね」
「うん……」
「ねえ、もし僕のお母さんに会ったら、僕はいい子で待ってるよって言っておいて」
「うん、きっと…。……さようなら」

(「金色のコルダ スターライトオーケストラ」より「星屑を駆ける銀河鉄道」第9話)

 一連の対話の中で、流星は「僕を待っていてくれる人のところ」に「帰らなくちゃいけない」と気付かされることになる。朝日奈、ポラリスの片割れである凛、スタオケメンバー、そして養父母が想定できる。

 もとの世界に戻ってきても「自分の『幸せ』がなんなのか、まだはっきりとはわからない」流星であるが、「誰かの代わりじゃなくて、僕の音を必要としてくれる人がいる」ことに喜びを感じたことから、「僕を想ってくれるみんなが心穏やかに過ごせますように」「誰よりもコンミス…君がずっと笑顔でいられますように」と願いを懸けるに至るのだった。

 この銀河鉄道の旅路は、各々の「大切だったがすでに失われたもの」に出会う物語になっている。流星は生前の「りゅうちゃん」と出会ったことはないが、養父母が「りゅうちゃん」の写真を見せていたであろうと推測できることから顔は知っていたはずだ。流星にとって「りゅうちゃん」はかりそめの自己と新たな家族をくれた感謝すべき存在であるが、それゆえに「りゅうちゃん」に対して後ろめたさを持っていたのではないか。――ちょうど源一郎が重吉の訃報に接して「たくさんのものをもらったのに何も返せないままだった」と思ったのと同じように。

「誰かの代わりじゃない、僕自身を必要としてくれること」は、キャラクターストーリーでも明確に示されている、榛名流星というキャラクターのテーマである。出自も不詳で、現在も「りゅうちゃん」の代理として生きている流星は空虚な存在であり、常に他者の欲求に応じることを自己の存在意義とみなしている。このことは、今回のイベントストーリーで他者の欲求=「りゅうちゃん」の「お母さんに会いたい」という願いを叶えるために自己を犠牲にしようとした場面で明確に表れている。先にも書いたように、「銀河鉄道の夜」は自己犠牲によって他者を幸せにすることを「ほんとうのさいわい」と捉えた物語である。だが朝日奈は流星を遮り、「僕を待っていてくれる人」を思い出させることで、彼にとっての「本当の幸せ」が他にもあることに気付かせることになる

ふたりの死者

 今回のイベントストーリーでは、重吉と「りゅうちゃん」というふたりの死者が登場した。茶菓子の提供を受けても現世に戻せる重吉と、「特別な切符」を渡したら二度と現世に戻れなくなったであろう「りゅうちゃん」の違いを考えてみたい。

 重吉は最初から自分が死んでいることを理解しており、初めから源一郎に試練を課す目的で出現している(朝日奈が重吉の意図に気付いたのは、ひょっとすると「The Music and the Fatal Ring」で彼女が多くの試練を課された経験によるものかもしれない)。一方、「りゅうちゃん」は自らの死を理解せず、よりどころ(母)を失ってさまよう霊魂となっている。「りゅうちゃん」は悪意がなくとも生者である流星を死の世界に引きずり込むことがありえたとは考えられないだろうか。

まとめ

 前回のイベント「Music and the Fatal Ring」が朝日奈が現在進行形で自己実現を求めて戦い抜く物語だったのに対し、今回の「星屑を駆ける銀河鉄道」は、今回ピックアップされた4キャラクターが未来へ進むために過去を振り返る物語だったと感じる。過去を振り返ることで彼らの「本当の幸せ」を認識させる、というつくりになっており、これを七夕に関連づけて美しい物語に仕上がっていたと言えるのではないだろうか。

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