波に揉まれた星のかけらたち ~ Secondo viaggio 第3章「シーグラス・ディヴィジ」
はじめに:Secondo viaggioについて
スマートフォンアプリ「金色のコルダ スターライトオーケストラ」(通称:スタオケ)における長編シナリオシリーズ「Secondo viaggio(通称:SV)」について、紹介と感想を兼ねて書く。Secondo viaggioはスタオケのメインストーリーの続編であり、スタオケのメンバーたちがそれぞれの音楽と人生に向き合っていく青春物語が描かれる。
Secondo viaggioのストーリーはイベント形式で配信されていくが、基本的に「最新章のみイベント報酬として解放される」仕組みであるため、最新章以外のストーリーは常設されている。閲覧にはアプリのホーム画面の ストーリー > イベント > SV へ遷移する必要がある。
Secondo viaggioのストーリーはイベント形式で配信されたが、オフライン版では1~11章まですべて解放されている。閲覧にはアプリのホーム画面の ストーリー > イベント > SV へ遷移する必要があるが、イベントへの参加・不参加を問わず、オフライン版をインストールしたすべてのユーザーに解放されているコンテンツである。
本記事ではSecondo viaggio 第3章として配信された「シーグラス・ディヴィジ」について書く。メインストーリーの続編の物語なので、メインストーリーやその他イベントストーリーの内容を踏まえる、つまりネタバレを含むことをご了承いただきたい。
ストーリーライン概観
次なる目的地へ
要であった音楽監督・一ノ瀬銀河が去ったスターライトオーケストラ。今後の活動について篠森から招集がかかる。スタオケの支援団体であり国内のオーケストラ団体を統括する日本オーケストラ協会と、彼らに反旗を翻した人々によって結成された新興の全国シンフォニー連盟とが、共同で記者会見を開き、国際コンクールの主催団体である国際オーケストラ協会の要請に従って日本代表の再選考を夏頃に行うことを発表したという。専門家による審査に加え、一般人による投票を行うことになったので、一般人気が重要な意味を持つことが予想される。
国際コンクールの出場権を質に取られている以上、オケ協・シン連・スタオケともこの決定に従わないわけにはいかない。だが「あんなに努力して世界への切符を勝ち取ったのに」「一ノ瀬先生もいなくなってしまったのに」「一度ネガティブなイメージがついてしまうと払拭が難しい」と気勢が上がらない。
同様に落ち込みそうになった朝日奈は、銀河の声を聞いた気がして立ち上がる。彼女は以前と同じく「バスであちこち行って演奏する」、すなわち従来通りのスタオケの音楽活動を続けていくことを主張する。また地道にスタオケの音楽で全国の一般聴衆の心を掴み認知度を高めようという彼女の提案に、全員が賛同する。
とはいえ、指揮者の後任が見つからないのではコンサートもままならない。しばらくは少人数編成のアンサンブルでの音楽活動をメインとすることになる。
そんなとき、乙音の祖母から乙音へ電話が入った。出会った当初(メインストーリー6章)から常にスタオケの温かい支援者であった彼女は、乙音の故郷の島の広場でコンサートを開催することを提案してくれた。
「叩けばホコリの出る身」である刑部は沖縄遠征を遠慮しようとするが、朝日奈の激励を受けて改めて参加を決意する。
春休みはすでに終わり、朝日奈らは高校3年生に進級している(朝日奈と朔夜は3年連続で同級になっている)。香坂とともに沖縄遠征の荷物の買い出しに出た朝日奈は、町で乙音に遭遇する。
香坂は星奏学院大学音楽学部に進み、引き続き菩提樹寮で暮らしている。一方、乙音は都内にある芸術系の専門学校に進学していた。乙音は専門学校でできた友人たちと楽しく会話している。過疎化の進む故郷の島にいた頃の乙音は、絵描きも物作りもすべてひとりぼっちでやっていたが、「今はたくさんの人に囲まれていろんな刺激を受けながらモノ作りができる」「毎日発見がいっぱい! ひらめきもたくさん!」とうれしそうな様子だ。
充実した新生活を送っている様子の乙音が遠い世界に行ったように見え、ちょっと淋しい気持ちになってしまった朝日奈。だが香坂は「これまでと変わらず温かく見守ってあげましょう」と優しく諭す。
沖縄での出会いと再会と
沖縄の澄んだ海に喜ぶスタオケメンバー。だが幼い少女が浮輪で沖合に浮かんでいるのを発見し、急遽助けることとなった。不思議な感性の持ち主であるこの少女は音々と名乗り、母親らしい女性とも遭遇することができた。
そしてこの女性はスターライトオーケストラを知っており、南乙音の母・千穂と名乗る。彼女は世界を旅するアーティストだそうだ。乙音の芸術分野の才能は、この母親譲りのものと考えると納得がいく。
スタオケメンバーは、乙音の家族構成について、この時点では「心臓の悪い祖母と二人で暮らしていた」ということくらいしか知らない。キャラクターストーリーやイベントストーリー等で「実父はアメリカ人で、実母とはすでに別れて帰国した」「実母は生きてはいるが家を出て戻らない」ということが語られているが、その実母本人が出てくるのはあまりにも想定外である。
ということは、千穂を「ママ」と呼ぶ少女・音々は乙音の妹ということになるが…………
……まさかの初対面。
聞けば、千穂が旅先で仲良くしていた知人夫婦が亡くなり、引き取った養女が音々であるという。おばあ(千穂の母)も乙音も知らないうちに。
乙音は「家族が増えるのは嬉しい」と笑顔を見せる(……)一方、おばあは「ありがとうで済む話か!」と実の娘に対して激怒する。しかも音々から目を離した隙に音々が危険な目に遭っていたと知ると、おばあの怒りは止まらない。音々のみを迎え入れ、千穂には家の敷居を跨がせないと宣言したおばあの様子に、乙音は「あんなに怒ってるの、初めて見たかもしれん」と驚く。
宿泊予定地を失った千穂を、朝日奈はスタオケの合宿所に迎え入れることにした。
ボタンを掛け違えた家族
一夜明けた合宿所。朝食のパンケーキを用意するスタオケメンバーと千穂に、おばあとともに実家で過ごしていた乙音と音々が加わり、賑やかな朝の時間となった。
千穂・乙音・音々の“家族”が初めて過ごすひとときは穏やかで優しいものだが、パンケーキにはママにスプレータイプのホイップクリームを載せてもらうのと無邪気に話す音々に、乙音は少しずつ口数を減らしていく。
コンサート開催に向けてアンサンブル練習を始めるメンバーたち。だがどのアンサンブルも音がまとまらずにバラけがちになってしまう。朝日奈は銀河不在の穴を埋めようと気負うが、笹塚からは「あの人(銀河)の代わりをしようなんてあんたには無理」「あんたにできることをやればいい」と助言を受ける。
一方、香坂もまた悩んでいた。彼女は実家の母から何度も電話の着信を受けているのだが、なにかと言い訳をして逃げているのだ。附属の大学の音楽学部へ進学した彼女は、密かに抱く将来の夢を母に言い出せずにいた。
翌朝、香坂はひょんなことから千穂に自画像を描いてもらうことになった。完成した絵の中の香坂は、海に沈んだガラス瓶の中で、悲し気な表情でチューバを吹いている。
千穂は香坂について「思い詰めた顔をしていた」「窮屈そうに生きてるっていうか」と言うが、その悲し気な表情を「すごくいい顔してるなって思った」と肯定的に語る。
一日を終え、朝日奈は海辺で乙音と会う。乙音は今朝も母・義妹と揃って朝食を摂れたことを「幸せの味がした」と話すが、一方で「幸せって、ちょっぴり痛いね」と付け加える。
そこへ、香坂は千穂に描いてもらった自画像を乙音に見せに来る。香坂は「千穂さんのように自由に夢を追いかけることができたら…って思う」「けれど結局、母や周りから見た自分の姿を気にしてブレーキをかけてしまう」と、千穂に見抜かれた自らの抱える生きづらさについて話す。
香坂が接した南 千穂という人は、溢れる才能のままに夢を追いかけるスターだ。息苦しく思いながらも母や周囲の期待に応える生き方をしてきた香坂は、それを羨ましく思っている。
一方、息子である乙音から見ても千穂はスターなのだが、その才能を愛するからこそ、彼は世界を飛び回るために故郷から去った母に「淋しい」と言うことができずにいた。香坂も乙音も、母に対する感情はそれぞれだが、いずれも母との衝突によって怒りや悲しみの感情が溢れることを恐れて、口をつぐんでしまった子どもたちなのだ。
Secondo viaggio 第2章で銀河に突然の離別を突き付けられ、彼に言いたいことが言えなくなってしまった朝日奈は、「相手に言えるうちに言うべきだ」と二人を諭す。
翌日、乙音のもとにメールが届く。芸術家・安佐乃の新プロジェクト参加の誘いを受けたのだ。安佐乃に憧れていた乙音は大喜びで母・千穂にもこの朗報を伝えた。息子が自分と同じように芸術家の道を歩み始めていることを無邪気に喜ぶ千穂は、突如、「乙音も私や音々と一緒に海外に行かない?」と提案する。
乙音は初めは戸惑うが、千穂の提案をはっきりと拒む――何年も降り積もって言い出せなかった淋しさ、自分が母から受けられなかった愛を音々が無条件で受けていることに対する切なさを口にして。自分は自分の夢を追いかけて自分で世界へ行くのだと。
だが、真顔でそれを言うには、あまりにも乙音は人が好すぎた。彼は母にひどい言葉をぶつけてしまったと後悔し、その場から逃げ去る。不注意で割ってしまったガラス瓶の破片を眺めながら、後を追ってきた朝日奈に乙音は内心を吐露する。
島の広場でのアンサンブルコンサートは、盛況のうちに終わった。
夕景を楽しむ乙音のもとに、おばあに諭された千穂がやってくる。千穂は幼い乙音を島に置いて淋しい思いをさせたことを改めて謝った。乙音も千穂の誘いを断ったことを謝り、それでも自分は母とは違う道を歩むことを新たに宣言する。千穂は乙音の成長を見逃したことへの後悔をしみじみと噛みしめ、今後は乙音の生き方を応援すると誓う。
場面は改まり、乙音の実家へ音々を連れてきた香坂。彼女は千穂に描いてもらった絵をおばあに見せ、「私を包むこの瓶は母」と語る。おばあは「親御さんの気持ちはわからなくもないよ」と応じる。
香坂はその晩、母に電話をする。彼女は故郷へ帰るよう促す母に対し、「スタオケの置かれている状況は厳しいが、仲間たちと音楽をやりたい。地元には戻らない」と決意を伝えるのだった。
千穂と音々が島を去り、浜辺に佇む朝日奈のもとへ、乙音と香坂がやってくる。ふたりは「スタオケ再出発コンサートの記念」として、シーグラスを使って手作りしたアンクレットを朝日奈に贈る。鋭利だったのが波に揉まれ、ぶつかり合い、やがて角が取れて丸くなった美しいガラス片を自分たちに見立て、ふたりは朝日奈を励ます。朝日奈は涙ぐみながら、仲間たちとの再出発と成長を誓う。
サブタイトルに付された「ディヴィジ(divisi)」は、イタリア語で「分けて」を意味する音楽用語である。同じパートの奏者の片方が上の声部、もう片方の奏者が下の声部に、別れて演奏することを指示する記号だ。母との分離を選んだ乙音と香坂、銀河と離別した朝日奈を連想させるもので、ひとつだったものがふたつに分かたれたことで美しいハーモニーを生み出すことを示唆している。
子どもと大人の狭間
衝突を恐れないで
ここでは、人をガラスに喩えている。彼らがお互いに感情をぶつけ合った結果、割れた破片になる。破片は誰かを傷つけてしまうかもしれない。だが、波に揉まれ、いろんなものにぶつかって削れるうちに、宝石のように美しいシーグラスに変わる――この切なくも美しい表現はSecondo viaggio全体を貫くテーマであるとも言える。時として相手を傷つけることを恐れることなく、人と真摯に向き合って伝え合う経験をすることで、人は研磨されてより価値あるものへ成長する。南国の海の夕暮れを背景に語られるこれらの物語は、ユーザーの心を洗い流しつつも奮い立たせるような清々しさに満ちている。
同様のイメージは、同じルビーパーティー作品のひとつである「バディミッションBOND」で用いられている。OPテーマのタイトル「I SHI KU RE」は石くれ(石塊)すなわち石ころを指す。この歌詞について、インタビュー内で下記のように語られているのが、スタオケの“シーグラス”のイメージに重なる。
置いていく母親、内に棲む母親
Secondo viaggio 第3章のテーマのひとつが、母親との関係である。乙音と香坂は、ともにいびつな母子関係のもとに育ってきた子どもだ。
今回初登場した乙音の母・千穂は、本人に悪意はないにしても自己中心的で、自らの夢を実現するために、乙音の養育を実母(=乙音のおばあ)に任せっきりにしている。乙音は物分かりがよい、よすぎると言ってもよいくらいの子なので、ほかのイベントストーリーでも両親と離れて暮らしていることについて「寂しいけど、みんなそれぞれ違う考えがあるからそれ自体はいい」というが、「ふたりがくれた物を見ると会いたいな~って思うんさ」と淋しい思いを吐露している。
さらに悪いことに、故人との約束があったためとはいえ、血のつながらない音々に対しては母親らしい振る舞いをしてみせている。乙音は彼女らが仲睦まじい親子関係を築いているのを見て、「心がちくちくする」と辛そうに語る。ストーリー内では和やかに朝食を楽しむシーンが展開されているのに、あまりにもピンポイントに乙音の心を抉ってくるのだ。読んでいて惨いというか、人の心がなさすぎてハラハラする。
一方で、香坂の母は千穂とは真逆の過干渉タイプであり、親が敷いたレールを子に歩ませたがっている。特に香坂のキャラクターストーリーを読み進めていると、高校入学時から母と離れて暮らしているにも関わらず、母が香坂の内面を強力に統制していることがわかるだろう。
ただし今回の電話の場面からわかるように、香坂の母は、SV1~2章にかけて名誉が失墜したスターライトオーケストラに参加することで、娘が不利益を被らないか案じていたようだ。この心配自体はメンバーの親としてもっともなものとも言える。だが香坂は、はっきりと母の配慮を拒み、スタオケに残ることを宣言した。自身が横浜で見つけた居場所を、離れたくない、守りたいと香坂は言う。彼女がこれを言うのに途方もない勇気を要したであろうことは、一定程度までキャラクターストーリーを読み進めた状態の我々には想像がつく。
放浪する母・千穂
南 千穂というキャラクターは、メインキャラクターの血族であるにもかかわらず、かなり独特な描かれ方をしている。というのは、メインキャラクターの血族は、シナリオで重要な役割を担わない限りは、基本的に「乙音祖母」「刑部祖父」のように、「○○の係累」という形式で表記されるからだ。ちなみにおばあ(乙音の祖母)はメインストーリー6章で「冨美子」という本名が明かされているが、「南 冨美子」と表記されることは一切ない。つまり「南 千穂」は「乙音の母」ではなく、乙音から独立して一個の人格を確立したキャラクターとして登場しているのだ。子が親の付属品でもないのと同様、親の人格も子に付属するものではないことを示していると言えるだろう。
メタ的な話になるが、「スタオケ」を含む「金色のコルダ」シリーズは2023年で20周年を迎えたコンテンツである。初代「金色のコルダ」を発売当時プレイしていたようなユーザーはすでに成人し、子どもを儲けている人も多くいるだろう。そんなユーザー――女性向け恋愛ゲームのシリーズである以上ほぼ女性と断じてよい――が千穂と乙音の関係を見たとき、思わず母の立場からふたりを考える人も多いのではないか(かく言う筆者も育児をしながら仕事を持って生活しているので、身につまされる瞬間があった)。
今回のストーリーが配信された直後、筆者の観測範囲のユーザーの感想は多様だった。シンプルに千穂に怒りを感じる人、乙音の立場の人(=母が働きに出るので祖母に預けられて育った人)、千穂の立場の人(=子を預けて自らは働きに出ている人、あるいは千穂のように生きたいから独身でいる人)。千穂は母親としては失格だが、他人である香坂から見ると、夢を追って成功する優れた才能を持つ女性だ。単なる毒親の一言で片づけられる人格ではなく、「(欠格ではあるが)母親」「優れたアーティスト」「無神経な女性」「気さくで自立した姐御肌」といった側面を持つ。善悪二元論ではけして割り切れない、なにが正しいと一言で言えない複雑さが見える。
現代では、仕事と家庭の両方を抱えて働く女性が少なくない。仕事が忙しくなると家庭運営に負担がかかるし、逆に家庭で看病の必要が発生すると職場に迷惑がかかる。それでも、我々は折り合いをつけて生きていくしかない(千穂はその折り合いのつけ方が最悪だったわけだが)。仕事をする“自分”と家族とともにいる“自分”、どちらも自分なのだから。
千穂の生き方は否定されていないものの、ストーリー内でなんらかの罰を受けなければ倫理上のバランスが取れない。だが乙音の家庭内の問題である以上、家族以外の他人であるコンミス(=ユーザー)は立ち入るのは筋が通らない。そこで、千穂の態度に怒りを感じたユーザーの代わりにおばあが厳しく千穂を叱責することで、ユーザーの溜飲を下げる仕組みもできている。
課題曲:メンデルスゾーン「静かな海と幸ある航海」
Secondo viaggio 第3章の課題曲となった、メンデルスゾーンの「静かな海と幸ある航海」。原題は "Meeresstille und glückliche Fahrt" といい、調べてみると「静かな海と楽しい航海」と訳されることが多いようだ。運営サイドが "glückliche" を「楽しい」とするのはSV3章のシナリオにそぐわないと判断したのではないかと推測している。本記事ではスタオケのシナリオに合わせて「幸ある航海」と表記する。
実際の演奏を聞けば、前半は静穏だが、後半は華やかなファンファーレで彩られた明るい曲調になることがわかる。この曲はゲーテの2つの詩 "Meeresstille(海の静けさ。「海上の凪」の訳もある)" と "Glückliche Fahrt(幸ある航海)" を音楽で表現したものなのだ。メンデルスゾーンがこの曲を発表したのは1828年だが、その前の1815年には巨匠ベートーヴェンがやはりこの2つの詩を題材にカンタータを作曲している。カンタータは声楽曲なので、ゲーテの詩に曲をつけたということになる。ベートーヴェンの方もタイトルは同じく "Meeresstille und glückliche Fahrt(静かな海と幸ある航海)" なのでややこしい。
「海の静けさ」も「幸ある航海」も海を航行する船のイメージを描いたものだが、描かれる状況は大きく異なる。それは原典となるゲーテの詩を見てもよくわかるはずだ(和訳は筆者による意訳である)。
「静かな海」とは、単に穏やかなのではなく、波も風もなく死んだような海を指す。帆船は風がなければ進めない。「スタオケ」のストーリー内でオーケストラが船に喩えられていることを踏まえれば、推進力(銀河)を失って絶望する船長(コンサートミストレス)の姿に重なる。
そして、「幸ある航海」では恵みの風が帆を推し、陸地に近づく様子が描かれる。スタオケという船もようやく力を得て進み出すのだ。
おもしろいことに、メンデルスゾーンがこの曲を作曲したのは19歳のときである。SV3章(4月)で描写の多かった乙音(5月生まれ)は間もなくこの年齢に達しようという時期だ。そして、詩を音楽で表現するというメンデルスゾーンの試みは、芸術家としての道を歩み始めた乙音にふさわしい曲だと言えるだろう。
Secondo viaggioは第1章から第3章にかけて、スタオケに降りかかる大いなる試練と、そこからの再始動について描いている。第4章からは、スタオケのメンバーたちが、銀河に頼りきっていた音楽づくりを見直し、再構成する様子が描かれることになる。
アプリ内ではSecondo viaggio 第11章(最終章)のイベントが開催中である。筆者は引き続きSecondo viaggio 第4章以降について記事をまとめて書く予定である。
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