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【3年目】Symphonium Audio HELIOSのレビュー



【初めて聞いた瞬間】

 このイヤホンを初めて聞いた時のことはよく覚えている。耳に装着し、プラグをプレーヤーに指し、再生ボタンを押した。その瞬間、時間が止まり、周りが消え、ただ音楽だけが流れていた。

【あれから2年】

 あれから2年ほど経ち、3年目に突入した。その間、いくつものイヤホンを試聴し、購入した。HELIOSより高価なものもいくつも買った。しかし、いや、それだからこそ、HELIOSを聞くたびにいまだに感動する。

 何がそんなに凄いのか。簡単に言うと、「音色の正確さ」と「音像の彫りの深さ」にある。

【音色の正確さ】

 例えばピアノ。ベーゼンドルファーをスタインウェイのように聞かせるオーディオ機器は珍しくない。多数派とすら言える。価格も関係ない。

 これはおそらく思想の問題だ。「良い音」とは何を指すのか?

 経験上、オーディオの世界で「良い音」とは、「聞いて良いと感じる音」「心地よい音」を指していることがほとんどのような気がする。

 ピアノも「心地よい音」を求めて進化した。だから、オーディオ機器がピアノをスタインウェイのように響かせてもなんの不思議もない。

 これは思想の問題だ。良いも悪いもない。

 ただ、このような思想には反作用もある。例えば「濁りを濁りとしてうまく再生できない」。

【意図的な濁り】

 以下のような楽譜がある。

ヒンデミット「4つの気質」

 濁るように書かれている。では、なぜ濁るように書かれているのか。これは人によって解釈が分かれるだろう。

 私としては、「濁りを楽しむ」というよりは、「綺麗に響かせないことでポリフォニックな立体感を表現する」という考え方が好きだ。

 これに近いのが、サロネン指揮、ロサンジェルス・フィルのCDだ。



 残念ながらYouTubeには上がってない。YouTubeに上げられているものから探してみると、これなんか良さそうだ。演奏者の映像がないのが残念。

 

【心地よい音】

 こういう曲を、「心地よい音を出そう」という意志を持ったオーディオ機器で聞くとどうなるだろうか。

 濁りを濁りとして放置しない。強引に綺麗に響かせようとする。

 結果、弦楽合奏に聞こえなくなる。ポリフォニックな立体感も出ない、平面的な描写になる。

【音像の彫りの深さ】

 先ほどの楽譜をもう一度見てほしい。


 一番下の「BASS」に「pizz.」とある。つまり、この4小節間にある5つの音はピッツィカートだ。

 そして次のページへ進むと、


 「arco」とある。ここからは弓で弾く。

 コントラバスを膨らませるオーディオ機器も少なくない。音色が不正確でエレキベースのようになってしまうものもあるが、他方で、音色が正確でありながらも音像が大きすぎたり、定位が無茶苦茶になったり、上の音域にかぶさってきたりするのもある。

 この曲では、コントラバスの音色を保ちがら「pizz.」と「arco」の2つの奏法の違いを表現し、さらに上のパートのポリフォニックな立体感を邪魔せずに定位を保たなければならない。

【HELIOS】

 HELIOSはもうほぼ完璧だ。

 「ほぼ」というのは足りないところがあるという含みではない。例えば、64 audioのU18tと比べてみよう。

 U18tも上に挙げたことは完璧にこなす。何が違うかというと、鳴り方だ。U18tはステージを少し遠くから俯瞰するような鳴らし方であるのに対して、HELIOSは自分が指揮台に立っているような鳴り方なのである。

 HELIOSが凄いのは、それにもかかわらず、音像の彫りが深いところだ。通常であればHELIOSのような鳴らし方をすると音そのものが近く感じてしまう。しかし、HELIOSは音像の彫りが深く、音そのものに立体感がある。奏者の隙間からホールの奥が見える。だから、近いというより、鮮明だと感じる。

【他の曲でも】

 他の曲も聴いてみよう。

 例えばこれ。


 冒頭にティンパニの32分音符がある。



 フェルマータであるし、トレモロとの区別は厳格でなくても良いところだろう。

 しかし、たとえそうだとしても、マレットがティンパニを1打1打叩いているのは表現してもらわなくては困る。というのは、心地よく聴かせようとするオーディオ機器の場合、これが分からなくなってしまいがちだったりするのだ。

 「そんな細かいところ曲の印象には関係ないでしょ」「もっと魂で聞け!」という考え方もあるのだろうが、この曲では、この先すぐ、繰り返しと見せかけてティンパニが省かれている。


 つまり、冒頭でニ短調であることを強く印象づけた後、繰り返しのくるはずのところでティンパニを省きかつ三度あげることで、明るくも不安定という不思議な雰囲気を醸し出しているのである。そして間髪入れずに怒濤の不協和音ラッシュ、不安と寂しさの入り交じったオーボエ・ソロ、「この先どうなっちゃうの?」と思わされた瞬間にニ長調に入ったときの安堵感といったら、ない。

 冒頭のティンパニが正確に聞こえないと作曲家や演奏家の狙いが伝わってこない。

 それにしてもこの演奏は美しい。全員が全員を聴きあって初めて生み出される響きだ。このような美しい響きはオーディオ機器が音を心地よくしようとすると台無しになってしまう。

【HELIOSの不思議】

 HELIOSだとこのような、

 低域を膨らませても×
 中域を充実させても×
 高域を鋭くしてもロールオフしても×

 という条件下でも耳が音楽に行く。イヤホンを感じさせない。逆に「何でこんなにイヤホンを感じさせないんだ?」という形で意識してしまうほど。

 こんなことをどうやって実現しているのだろう。まったく不思議だ。言葉にすれば「音色が正確」かつ「音像の彫りが深い」となるのだが。

 前者はまだ分かる。しかし後者はどうなっているのか。正確さを追い求めるだけでは辿り着けないのは間違いない。何らかのマジックがある。まさしくプロの仕事だ。

【再生環境】

 Symphonium Audioのホームページを見ると「再生環境の影響を受けないように作ってあるよ」的なことが書かれているが、結構コロコロ変わる。

 再生機器については、私はiFi Audio Pro iDSDがお気に入り。


 成り行きでこうなっただけで、特に深い考えはないです。

 あと、ケーブル。いろいろ試したものの、付属品が一番いい気がする。

【HELIOSと出会って】

 まずは物欲が減った(笑)。「家に帰ればHELIOSがある」これで何度買い物せずに済んだだろう。

 また、他のイヤホンの音を個性としてポジティブに捉えられるようになった。それまでは正確さに対する狂信めいたものがあり、ちょっとそれるだけでぷんすかしていたのだが、HELIOSと出会ったことで、「このイヤホンは何を表現しようとしているのか?」という目で見ることができるようになった。

 例えば、上に挙げたU18t。apexで耳への圧迫感を減らし、音を遠めに配置しつつ、正確さと情報量を保つ。言葉にするのは簡単だが、実現するのは難しい。特に情報量はHELIOSを上回っているのではないか。また、私にとっては耳の疲労を減らしてくれるapexは貴重。ということで思い切って購入した。


 という感じで、HELIOSを中心に据えることで「自分がイヤホンに求めること」がクリアになった。他のイヤホンの狙いも分かるようになり、物欲に振り回されず、自分に必要なものを見定めやすくなった。

 もちろん衝動買いも楽しい。これからもすると思う。ただ、HELIOSがあるのとないのとでは、何かが違う。たぶん。

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