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「熱血教師物語」②F中
「熱血教師物語」は教え子との共通の思い出なので、これからはこのブログの存在について発信して、多くの卒業生にも読んで欲しいと思っています。
「熱血教師物語」F中時代の話
第2話
「教師2年目のバレー部顧問」
この前に続いて、バレーボール指導のスタートの頃について話したいと思います。バレーボール指導の基礎が作られた時期です。
教師2年目に入りました。
まだまだ、初心者マークを胸につけているような感じです。
1年目と違う点は、教師としての自信のようなものが、少し芽生えてきた事です。
1年目は無我夢中で進んでいきましたが、2年目は少し霧が晴れたような感じです。
クラブの方は、2年目に大きな変化がありました。
4月にN先生が、新任教師として赴任して来られました。
大阪教育大学でバレーボールをされていて、バレーが専門です。
私はN先生に、バレー部の顧問に加わって欲しいと伝えました。
N先生は了解です。
これが大きな変化です。
その後、私は男女を分けて、それぞれの教師が、別々に指導する事をN先生に提案しました。
いきなりは無理だと思ったので、
夏休みになってから、分けて指導する事も伝えました。
私が男子、N先生が女子の担当です。
夏休みまでは、一緒に指導する事を決めました。
私は夏休みまでに、N先生に女子生徒達の事を、しっかり観察して欲しかったんです。
生徒達には、この件は伏せる事にしました。
2年目に入ってからのクラブの成績です。
1年目の私は、クラブを一生懸命指導して、選手達はこれ以上は頑張れないというぐらい頑張りました。
2年目に入った4月に、男子は市長杯優勝、6月の地区大会も優勝。
女子は両大会とも3位になり、次は優勝をねらっていました。
夏休みの最初のミーティングです。
私が男子、N先生が女子を担当し、2人で男女を分けて指導していく事を伝えました。
ミーティングの後、男女別れて練習していくと、何かギクシャクした感じなんです。
練習が終わった後、3年の女子生徒達が話があるという事で私の所に来ました。話の内容は、私が女子バレー部から離れた事に対しての抗議です。
「どうして私達を見捨てたんですか?」という事です。
私が女子から離れた事を、自分達は見捨てられたと受け取ったんです。
これには正直、どう説明すれば生徒達が納得するかわかりませんでした。
クラブ指導をしてから、初めてぶつかった壁のようです。
その日は答える事は出来ませんでした。
幸い、その場にN先生はいません。
もしいたとしたら、N先生は不快な思いをしていたのは明らかです。
明日、説明するからと言って帰らせました。
男子バレー部の生徒達は、特に変わったようすは無かったです。
帰宅してから、今日の事をもう一度じっくり考えましたが、上手く説明出来なかった自分が情けなかったです。
教師としての力量の無さを痛感しました。
一晩中考えて、自分なりの答えを出しました。
出した答えは、「自分の気持ちを正直に伝えるしかない」という事です。
次の日の練習前に、3年女子だけ別室に呼んで気持ちを伝えました。
2人で分担して指導した方が、より強いチームが作れる事、それと私は女子より男子の方を指導したい気持ちがあると、正直に気持ちを伝えました。
女子を見捨てるとかの気持ちは、全くない事も伝えました。
生徒達ですが、説明してもらっても納得しているようすはありません。
重苦しい雰囲気の中で、時間だけが経過していきます。
しばらくたってから、一人の生徒が「私達、こんな事をしてN先生に何か悪いんじゃない?」と言いました。
確かに、N先生は女子バレー部の指導に対して、とても意欲的でした。
その点については、全員がうなずいていました。
その言葉で、女子は N先生に指導してもらう事に、気持ちが変わっていきました。
それと、自分達は私に見捨てられたんじゃない、と言う事も理解してくれました。
女子部員達は、N先生の指導をしっかり受け止めなければ、という気持ちになってくれたんです。
私は、男子の方を中心に指導していくけど、女子の方も今まで通りアドバイスする事を約束して、ミーティングは終わりました。
ようやくスッキリした感じで、その日の練習が始まりました。
練習が始まった後、教師になってから感じた壁を破れたようで、ホッとしました。
教師として、クラブ指導の難しさを感じた出来事でした。
私が男子に専念したくなった理由です。男子は2年目の4月に市の大会、6月に地区の大会にそれぞれ優勝していて、私は次に大阪府の大会で優勝したかったんです。
バレー部の監督になった時に、いつかは大阪府で優勝、近畿大会で優勝、全国大会に出場という目標をたてていました。
どちらかに専念しないと目標は達成出来ません。
それで、男子バレーの方を選んだと思います。
以上、2年目の出来事でした。