芝居における「産まれたての赤ちゃん」のリアリティ
映画やテレビドラマなどの芝居においてリアリティを追求するその作り手にとって演出が極端に難しく彼らを悩ませる存在の一つとして、
「産まれたての赤ちゃん」
が挙げられるであろう。
考えてみよう。モノホンの産まれたての赤ちゃんを芝居に出演させるとなると、全てのタイミングをある一人の妊婦の出産に合わせなければいけないではないか。
かなり困難であることが容易に想像出来る。
これはあまりにも困難な為、"偽・産まれたての赤ちゃん"が起用されるのを我々受け手はしばしば目撃することになる。
「産まれたての割には、産まれてからずいぶんな時間を経たよう赤ちゃんやな」
映画やドラマを観ながら、そんなツッコミを入れた事がある者は多いはずだ。
「産まれてから幾日かの時を経た産まれたての赤ちゃん」
という形容矛盾を克服するーーーそれが芝居で出来た暁にはアウフヘーベンされた次世代の芝居として我々受け手に歓迎されその芝居は今まで以上に享受される事になるであろう。
今後の芝居における「産まれたての赤ちゃん」には注意して観るよう心掛けたい。リアリティを追求する作り手の創意工夫がそこにはあるはずで、それがそのまま芝居を楽しむ要素となるからである。
以上が無理難題を圧力をかけつつ芝居の演出家の皆さんに投げかけてみる私の試みである。
芝居関係者誰一人こんなnoteの記事なんて読んでないだろうが。おわり。