美緒が心臓を止めないために

よく流れてくる美緒が山積みのダンボール箱の前で泣いているイラストはあの漫画のラストシーンらしい。え?終わり?これから美緒はどう生きていくの?とまさにあのシーンの美緒と同じく虚しく途方もない気持ちになった。これからの人生の話ではなく、漫画は美緒48歳が「美緒」になるまでの過程を辿っていくストーリーらしい。
作中で美緒48歳が生きていく未来が描かれていないならば、僭越ながら美緒31歳である私が書かなければならないと思った。

まず「美緒」の定義というか、どうして私が自分を「美緒」たると思うのかは例のステータスをベースに考えている。配偶者 なし...から連なるハンターハンターのかっこいいモノローグみたいなあれである。「美緒」にもいろいろなタイプがいて、美緒48のように太っていて感情的なアタックタイプ、既婚者であったりわりと美人で一見では「美緒」と見抜けないようなステルス型、私31のように後からじわじわと「美緒」であることが判明する遅効型、等々姿も性格も多様である。
既婚者の「美緒」なんてどうしたらそうなるんだと思われるかもしれないが、私の推測では愛嬌がある故ほかのことでの無能さを帳消しにできている(できていた)のではないかと思う。旦那さんに対してはそれで通っても、社会活動におけるすべてを愛嬌でカバーするのは難しいため「美緒」なのだろう。
美緒31の私は生活能力があるという点が差異である。親元を離れたところで正社員で働いて、十年ちょっと一人暮らしを維持できている。こうして書くと「美緒」じゃなくない?という感じがするが、いわゆるブルーカラーの最底辺職で貯金が常に10万円以下なのがポイントだ。配偶者...なし。子ども...なし。友達の結婚式に呼ばれたこと...なし。
そして「美緒」と判定するのに一番大切なのは「健康体」であることだと思う。精神疾患や身体の障害や病気に罹患している人は「美緒」に該当しないので、病院で適切な治療を受けてゆっくり休むのが生きていく方法だと思う。

要するに「美緒」とは「社会で需要のないおばさん」のことである。なぜひどい言い方をするのかというと、「美緒」が生きていくためには「美緒」であるということを肝に銘じておかなければならないからだ。
自分が「美緒」だということをうっかり忘れてしまったり、もしかしたら「美緒」じゃないかも!と謎の自信に満ち溢れている時に死が訪れやすい。必ず死ルートを回避できるだとか、嫌なこと全部から逃れられるわけではないが、劣等感をきちんと持っていれば心身が悪い方へ向かうのを回避できる。
この自分を守るための回避行動に対して、逃げるなだとか立ち向かえとか乗り越えろと言う人も時々現れる。言っていることは相手が正しいが、「美緒」にとっては死の方向に踏み出す為できれば取りたくないハイリスクな選択である。
そういう正論とおのれの矜持のどちらを取るか迷った時、もし美緒48歳のあの状態になった場合、その人が自分に手を差し伸べてくれるか考えるとよいと思う。病院を予約して連れて行ってくれて、帰ったらお風呂に入らせてくれて、ご飯を食べさせてくれる、そういう人の言うことは絶対に聞くべきだ。そう考えると同居している家族や恋人は支えてくれる傾向にあるのではないだろうか。友達が口出しする話題ではあまりないし、もし言われても口論になって素直には聞かないだろう。慎重になったほうがいいのは離れて住んでいる恋人にこういう助言をされた時だ。
好きな人が言うんだから「美緒」でもできるかなと思って話を聞いてしまう。しかし普通に生きることができるなら「美緒」になっていない。そもそも「美緒」に理解ある彼くんは現れにくい(当事者ですら自分を理解できていないため)と思うので、恋人の言う通り逃げずに乗り越えようとする過程で身体や心が壊れても一人で対処しなければならず、実を言うとその判断を誤った私はいま脱毛症に苦しんでいる。鏡を見て禿げているのを自覚するたび死を考えてしまう。
私のように死の轍を踏まないためにも、自分は「美緒」であるという自覚を持ち続けるのがやはり救命の要であるが、周囲の人にそれを言い訳に使わないようにも気をつけなければならない。美緒31の私はそのバランスがうまく取れなくて頭が狂いそうになったり、現在まさに物理的にも禿げ上がっているし、「美緒」から脱しようと試みるたび失敗して色々壊したり失ったりしている。しかし私「美緒」だから、という事実に安易に逃げないように心掛けるのは生きる上で必要なストレスで、そばにいてくれている人たちへの感謝やリスペクトでもあると思う。

一人になった美緒48に実家から仕送りがあるのか定かではないが、よほどお金持ちの家の子でない場合は「美緒」であっても仕事をして賃金を得なければ生きていけない。(ここがやはり健康体でない人は「美緒」ではない、と思う分岐だ)こればかりは「美緒」もそうでない人と同じく、職業の適正は実際にやってみないと分からない。もう既に持論で書きまくっているが、仕事の話ではさらに持論を展開するのでよろしくお願いします。

私は「美緒」は清掃の仕事に向いているのでないかと考えている。美緒31の私自身が清掃の仕事に就いていて、他の職業に比べてうまくやっていける確率が高いと感じている。何度か転職しているが清掃の職歴は合計10年くらいで、現在の会社には8年勤めている。それだけの期間「美緒」である私31が続いているのだから、他の「美緒」たちにも適正があるのではないかと思う。実際掃除のおばちゃんには「美緒」が多い。10人に1人は美緒なんじゃないだろうか。

清掃の仕事を勧める強い理由に、会社側が採用したい年齢が他の業種と逆で、年齢が高ければ高いほど雇ってもらえるということがある。経験者は別として、高齢であるほど年齢がネックになってなかなか仕事を見つけにくいというのが清掃業界にはあまり無い。私はむしろ若いという理由で何社も落とされて苦労した。新人採用の話題で上司と雑談して思ったが、面接や履歴書ウケは40代、50代、60代の順で良い。「美緒」の大半は独身であるからなお歓迎されるだろう。ほかの業種から遠ざかって久しいので認識を誤っているかもしれないが、これはどこでもそうではないと思う。

晴れて就職できても続かなければ意味がない。清掃は仕事内容も簡単かつ失敗が少ないため、口うるさいお局のような人がいる現場を避ければ長く続けていけると思う。前述のように「美緒」でも転職しやすいので、どうしても耐えられない職場だったら長く勤められる別の会社を探すこともできる。辞めることが続けることに繋がるというのは変な感じだが、とにかく、清掃の仕事の場合はその会社ににこだわらなくても他にもある。都市部の清掃業界なんて万年人手不足だ。私は他所の現場の欠員対応に入ることもあるのだが、おばちゃん達の欠勤・退職ラッシュが重なると作業が追いつかず「もう掃除終わらないよおおおお」状態になることもしばしある。

どういった現場がいいかは「美緒」のタイプによるが、人のいない時間帯の清掃作業がメインの場所を勧めたい。ショッピングセンターや遊園地、お洒落なオフィスビルなどは半分接客業の要素が求められるので私のような陰気な「美緒」には難しかった。愛嬌がある「美緒」で、大学生の清掃アルバイトだとか飲食店やアパレル系のキラキラしたスタッフに「名物キャラ」として扱われることが平気なら賑やかな場所で働くのもいいと思う。これは怒ってこう書くのではなくただ思うことなのだが、美緒48歳がTwitterでミームになっているように、私たち「美緒」の生きる姿は物珍しくおもしろいものであるようだ。

はっきり言って、清掃の仕事をしていてよかったと思えることなんてほとんど無い。汚いという世間のイメージ通りの仕事だ。挨拶を無視されるだとか、あからさまに鼻をつままれるだとか、差別的な言動をとられるのは他人からだけではなく、親族もあまり良い顔をしないし、恋人には「その職業じゃ親に紹介できない」と言われる。
しかし清掃は、本当に目視で「できてる」が分かる。それはできないことだらけの「美緒」である私にとって大いなる救いである。中には上手く言い訳をして仕事をサボる人もいるが、目で見た「できてる」かどうかでしか評価しないでくれる人も一定数いて、社内政治をこなせない「美緒」でも必ず報われる。美緒48歳だって、こんな底辺の仕事は嫌だと思うけど来てみてほしい。私は清掃の仕事で初めて仕事を人に褒められた。

先日の健康診断で「マラソンとかランニングしてるでしょ?そういう心臓の動き方だよ」と言われた。誰とも顔を合わせたくないから、早朝に終われるように毎日走って掃除しているだけである。私は正しく心臓を動かして生きているのだと分かってうれしかった。