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大丈夫、と言いたかった

今回はこれまで続いていた自分史を1回おやすみして、数年前に心の内を書いていたメモを掲載します。

このメモは、その時の気持ちを残しておきたくて書いていたもので、今の気持ちや状況とはまた少し変化してきているところもあります。でもそれも含めて残しておこうと思いました。


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久しぶりに帰省した実家で新年を迎えて早々の、遅い朝食をのんびりと食べ終えたあとだった。

「これどうしたの?」

姉夫婦と共に田舎に帰省していた8歳になる姪が、私の右手を見ながら不思議そうに小さな声で聞いた。

この質問はこれで何度目になるのかもう忘れた。

私は大きな街で他の人たちと同じように、仕事をし、友達と遊び、たくさん旅行にも行ったし人生そこそこ楽しくやっている。

よくある話で、そこに特に変わったところはない。

でも、わたしには他の多くの人たちとは違う特徴がある。

右手の指先から首元まで広がる大きな赤いアザだ。単純性血管腫という。

「大丈夫、生まれつきのアザで、痛くはないのよ。ほら、触っても平気。」と姪に何度目かの同じ説明をする。

彼女にとっては何度見ても聞いても、不思議な見慣れないものなのだろう。

子どもは正直だ。

そして、気を遣って聞かないとかの日本の社会のマナーなんてものはまだ持ち合わせていない。

でもそれでよいのだ。わからなければこうやって聞けばよい。

尋ねて理解しようとしてくれた気持ちに私は応える。

しんどいのは、日々の何かの瞬間に、知らない人たちにただ「見られること」だ。

遠慮のない不躾な視線や、電車で目の前に座る子供たちの凝視。気を使える大人たちの、一瞬の視線の後の見なかったフリ。

人々は見ているわけではない、と皆はいう。そしてその視線には大抵何の意識も意図も感情もなかったりする。

でも、その彼らのほんの一瞬の視線、異形を認識した後の僅かなとまどいなどが私を少しずつ、ほんの少しずつ、薄く、微かに切りつけていくのだ。

そしてその積み重なる小さな傷によって私の心は傷だらけになっても、傷ついてなんかいないと平気なフリをして前を向いている。

単なる一つの身体的特徴だ、とわざわざ説明し理解をしてもらう相手でもない、日々すれ違う数多くの人々からの視線の絶え間ない波。

そんなとき私は心をシャットダウンし、目の前の出来事と自分の感情を極力つなげないようにする。

または不躾な視線を投げる人に、こちらもそれ相応の鋭い視線を送りかえす。その人に対して、じろじろ見られるとどんな気持ちがするのか少しでもわかってもらえるようわずかな願いと小さな反撃を込めて。

ご飯を食べ終えた姪が、外へ遊びにでかけようとキッチンを出た後、シンクでお皿洗いをしていた齢70を越える母が私に背を向けたまま言った。

「ごめんね、正月早々いやな思いをさせて。」

私は一瞬、母が何のことを言っているのか理解し損ねた。

「あの子、あんなこと聞いちゃってねぇ。」

「え?ああ・・・。」

とだけぶっきらぼうに答えた後、目の辺りが熱くなってきてそれ以上続けられなかった。

母は姪っ子の発言が私を傷つけ、そしてそんなアザをもつ体に産んだ自分に責任を感じて謝っているのだ。

私は本当は、大丈夫、あんなこと全然気にならないし、というつもりだったのに、母の心の内を考えたら急に胸と喉のあたりが苦しくなって、口を開くのを止めた。もしその続きを言おうとしたら、きっと震える涙声になって余計に母を苦しめることになるだろうから。

母はお皿を洗い続け、私は黙々とそれらを拭いて片付けた。

そのあいだ私は、ちがうんだよ、お母さん、私が何も言わないのは怒ったり傷ついているからじゃない。私は大丈夫だし、お母さんが謝ることなんて何もないよ、と心の中でつぶやいていた。

そう、私が辛いのは普段は勝気で強い母がそんな風に思って心を痛めている事なのだ。

両親とはこのアザについて、あまりきちんと話し合ったりしたことがない。

私は普通の子供たちの様に、夏は半そでを着て、海やプールにもいって水着になっていたし、両親から愛情を受けて育っていたのでそれほどアザの事に関して特別な問題はなかった。もちろん過去に全く問題がなかったわけでもないが、今これといってそれ程不自由はない。

でも、大丈夫って言っても母はきっと心配なんだろうな、とは思う。

そう、私は40歳もゆうに過ぎてもいまだに結婚もせず一人で生きている。

母は私にはこんなアザがあるから結婚相手が見つからないのかもしれない、と口には出さないけれども心配している。

それもあって最近は早く結婚相手を見つけて両親を安心させたい。

結婚ってそういうことではないとは理解しているつもりではあるが、ひとりの男性から私のすべてを受け入れられ愛されているという分かりやすい印が欲しいというのもある。

しかし、未だに理想の結婚相手が見つかっていないのである。

そんな背景もあって、いま大丈夫なんて言っても説得力に欠けるので、結局黙っていた。

大人になってずいぶん経って、広い世界でいろんな経験をしてから徐々にわかってきたことだが、世の中にはいろんな人や価値観があり、私がしんどく感じていた世界なんてものは小さなものだった。

アザを醜いものと感じる人や社会ばかりではない。むしろ私の周りには、アザがあってもなくても、またアザを含めて私が好きだという人もいるくらいだ。

それがわかってからの人生はかなり楽になった。

今では、この見た目を受け入れられない人なんて、価値観が違い過ぎて逆にこちらからお断りだとさえ思える。

社会もどんどん変わってきていて、人と違うこと、ということに寛容になってきた。

他の一般的な人たちとは違うというその見た目であきらめるのではなく、やりたいことをやっているということを積極的にSNSで発信する人も増えている。

それをやるにはどれだけの強い心が必要だったのか計り知れない。そしてその人たちのおかげで、世の中の理解みたいなものが少しでも広まってきていているようだ。

他の人と見た目がちがっているということで苦しんでいた昔の自分に伝えたい。

大丈夫、世の中は思ったほど悪くはない。

そして私の母親にもきちんと伝えたい。

大丈夫、お母さん、心配いらないよ、ありがとうね。



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