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わたしにとってのAURORAとサマソニの感想

この記事は、サマーソニック2024でわたしの大好きなアーティストであるAURORAのステージを見て、わたしにとってのAURORAを振り返った個人的な文章と、ライブでの曲ごとの感想をまとめたものです。
ライブの感想のみを読みたい方は、目次からサマーソニックの感想へ飛んでください。


わたしにとってのAURORA

 サマーソニックでのライブは以前の自分に比べてそれほど泣かなかった。それはフェスに向けて組まれたアップテンポで、リズムに乗りやすい曲が多かったことも一つあるかもしれない。でもきっと大きな理由の一つは、わたしが昔に比べて大丈夫になったからなんだと思う。

 わたしは以前AURORAをここじゃないどこかへ連れ出してくれる呼び声として、そしてここじゃない場所そのものとして見ていた。現実の世界では外にも内にも、どこにも落ち着いていられる居場所なんてなかった。どんな場所でも息が詰まって、ここじゃないどこかを求めていた。だから空想のなかでわたしだけの楽園を創って、今がどんなに辛くてもやがてこの身が朽ちたらいずれそこで静かな安寧を手に入れられると、ずっとその場所を想っていた。その場所への案内人が彼女の声や歌だったらいいなと空想を膨らませて。
 本当に辛かった時は”A Different Kind of Human”の歌詞のように、彼女がわたしには合わなかったこの世界から別の星へと連れ去ってくれたらどんなにいいかと思って、曲を聴くたび何度もぼろぼろ泣いていた。

 あるいは彼女の歌はわたしを外界から遮断し、保護してくれる柔らかい繭のようだった。不安や苦しみばかりある恐ろしい世界から、曲を聴いている間だけは守られているみたいだった。もうこれ以上傷ついたらどうにかなってしまいそうな時に、歌のなかに逃げ込むと彼女の薄ら氷うすらいのように透き通った冷たさの内にやわらかさをはらむ声が、そっとわたしを包んでくれた。

 いっとき、人間が狭い場所に詰められてひしめき合い、毎日理不尽なことばかり降り掛かってくる監獄のような場所にいた時期があった。ある日わたしはいてもたってもいられなくなって外に飛び出し、”Running With the Wolves”を流しながらあぜ道をがむしゃらに走った。ここでならわたしは、野山を己の庭とし、力強く軽やかに駆けまわる狼のようになれる。人間なんかじゃない。その瞬間、久々に本当の自由というものの喜びを、生きているという実感を全身で感じることができた。

 それから少し時間が経って、今度は彼女を少し似た生き物のモデルとして考えていたこともあった。考え方や、好きなもの、小さなことでも共通点が見つかるとそれだけでなんだか嬉しかった。
 監獄のような場所から離れられても、わたしはこの人生をどうやって乗りこなしていけばいいのか分からなかった。自分という生き物のやり方さえも、分からなかった。だから少しだけ似たところを持つ、自分自身のことが分かっていそうで、日々の中に美しさを見出し、人生を楽しむ術を知っていそうな彼女をちょっと参考にしてみていた。

 そうするうちに、世界のなかに心地よい瞬間を見い出せるようになっていった。平野を流れる川の水面に映るきらきら揺れ動く光が、水田から飛び立つ白鷺のつばさの眩しさが、木々の間をすり抜けて若葉をざわめかす風がわたしを撫でていくことが、美しいと思った。

 だからわたしは彼女に頼り切らなくてももう大丈夫だと思う。世界は恐ろしいことばかりじゃないと知ったから。そして社会の中に、小さいけれど自分らしくあれる場所も見つけた。安心して話せる人、心の柔らかいところを少し開ける人たちがいる。そこでなくとも一人でいて落ち着ける、自分の好きなもので飾り付けられた家だってわたしの大切な居場所だ。
 それから自分が何者なのか、このわたしの人生のことについて前より分かるようにもなった。これから進むべき旅路も見えつつある。たとえ嫌な気分に沈み込んだとしても、それはいつか終わるものだと頭の隅では考えられる。それから安心のやり方を学ぶなかで、辛い記憶の中でさえ見つめ直してみるとかけがえのない瞬間が、わずかにでも確かにあったのだと思い出せた。

 それでもきっとまた鬱とした気持ちになることもあるだろう。強い怒りに飲み込まれそうになることも、不安に振り回されそうになることも。それでもきっと大丈夫だと思えるのは、彼女もまた完璧な人間なんかじゃないと分かったからだ。
 今こうしている間にも争いに巻き込まれて血を流す人が、死んでいく人がいる。それなのに直接自分にできることはなくて無力感に苛まされる。ガザで、ウクライナで、そして世界中のあちこちで起きていることに心を引き裂かれる思いで、それでも怒りにも似た声をあげ続ける彼女は、この世界を生きて悲しんだり怒ったりする同じ生身の人間なのだと改めて感じた。

 だから今わたしは彼女のことをこの世界を共に闘いながら生きる同胞、戦士のように思っている。小さな居場所を見つけたとはいえ、別のところでは息が詰まりそうだと感じることもまだある。でもちょっとならそこでも立ち向かえる。
 そしてなにより自分のことが少し落ち着いて、今度は周りのことに目が向くようになってきた。社会の無理解や誤解によって抑圧されたり虐げられたりしている人々がいる。そういうことに自分なりのやりかたで、少しでも善い行いができたらと思っている。新たに就いた仕事も公共的な福祉の分野のことなので、そのことも含めてもっと学んで力をつけていきたい。
 今までわたしが傷ついてきたなかで培われた繊細さは、他者への共感へ向けて、不正に対しては共に闘える気概を持って生きていけますように。

最後にAURORAへ。
あの本当に辛かった時期に、ここじゃないどこかへ連れて行ってくれてありがとう。わたしを守ってくれる繭になってくれてありがとう。わたしを導いてくれてありがとう。あなたがあなたでいてくれることそのものが、なによりわたしの支えです。



サマーソニックの感想

ここから先はサマーソニック2024オーロラのパフォーマンスの感想です。特に印象に残った曲を取り上げて書いています。

Some Type of Skin
ライブのはじまりの曲。開演前の緊張がほどけて一気に開放的な気持ちになった。もうたくさんと思うようなことがある世界のなかで、それでも生き抜くために自分を守る皮膚を作る。でもそのために作るのが、例えば壁ではなくて皮膚であるところにAURORA独自の発想が表れていて素敵だ。無機的な硬く厚い守りではない。日の光にかざせば内側を走る血管が、そこを流れるあたたかな血が透けて見える有機的な皮膚という薄くてしなやかな守りだ。

All Is Soft Inside
言葉にならない感情の叫びという巨大なエネルギーの爆発を感じる曲。感情的なことが悪であるかのように扱われることもあるけれど、それは違うと思わせてくれる。感情の主張はまるでうめき声や叫び声のようなもので、どんなに言葉を尽くしても、けして言葉になり得ない取りこぼしがある。だからこそ、その素晴らしい混沌を味わいたい。
ライブパフォーマンスでは雷のように激しく明滅する光と、体の奥深くまで響く音のあふれるなか、ただその流れに身を任せて踊った。”leads me through the dark”のところで腕をぐーぱっぐーぱって前後に突き出すのが楽しかった!

Heathens
私は言葉通りの異教徒ではないけれど、この曲を聴くときはいつも異端者として生きることの誇りを思い出させてくれる。たとえその生き方に石を投げられたとしてもかまわない。だって私たちは欲望に導かれているのだから。もしも私たちを燃やせたとしても、異教徒そのものは決して燃やせない。そんなAURORAのメッセージとともに、ある種の開き直りをもって異端者として生きることを力強く肯定していく。”But only if you give your heart to her”と地下深くから響くうめきのように低く歌ったあと、堰を切ったように盛り上がるさまは強いカタルシスを感じさせる。AURORAの掛け声とともに、かつて燃やされ、斃れた者たちの亡霊が冥界から解き放たれ、彼女の呪術的な叫びに呼応して、この世のものではない踊りを踊っているようだ。

The Blade
AURORAの曲を聴くと、悲しみ、喜び、愛しさなど様々な感情が呼び覚まされる。そのなかでもこの曲は怒りについて感じさせる曲だ。怒りは非合理的で、不必要な感情だと考えられることもある。自分の持つ怒りにためらい、無理やり抑え込もうとしてしまうこともある。だけど本当はもっと怒りという感情の重要さを思い出したほうがいいのかもしれない。怒りには世界の不条理や不正について、それを知らしめる力や、連帯する力、そしてその現状を変えていける力がある。”feel the rage”という歌詞の通りAURORAの湧き上がる怒りを強く感じるパフォーマンスだった。そしてその彼女のうちに燃えさかる怒りという火を、松明から松明へと移すように私たちに分け灯していくようだった。

Cure for Me
一方的に押し付けられる抑圧によって自分を変えられない、私たちに治療なんていらないとはねのけるこの曲。サビの”I don't need it”と”No, I don't need a cure for me”をみんなで歌って一体感があった。あなたにも、私にも治療なんていらない。どんな少数者であっても無理やり自分を変える必要なんてない。豊洲PITのライブのMCでASDのことにも言及していて嬉しかったな〜。

Churchyard
フィヨルドの凍土から削り出してきたかのような鋭い冷たさをもった歌声から始まる曲。メロディの抑揚自体は抑えられているけれど、後ろで鳴り響く低音に体を動かしたくなる。「おまえはこの教会の庭からは出られない」と言い下す権威的な”彼”に対して「教えて どうやったら痛みや愛がわかるの」とまっすぐ切に問いかけるさまに、無垢な力強さを感じる。へれっへろっへれのところをみんなで歌うのが楽しかった。

Queendom
やっぱりどうしてもイントロが流れるだけで涙ぐんでしまう曲。この世のすべての寄る辺ない者たちへ送られた讃美歌。弱者、声なき者たち、女性、少数者、そういった者たちへ向けられるAURORAのあたたかい眼差しに心の緊張がほどける。
この世界に疲れてしまってどうしようもなくなった時にでもクイーンダムには居場所がある。誰も虐げられない女王国が、誰にでも開かれている。安心して帰ってこれる場所があるから、まだこの世界でも少し頑張れる。そんな気がして高々と掲げられるレインボーフラッグにいつも勇気づけられている。

A Little Place Called the Moon
ライブ最後のお別れの曲。様々な感情を湧き起こるがまま表出し、音に合わせて体を動かして、ボルテージが高まったあと、すっとほほえんで「さあ月に帰る時間だよ。さようなら、またね」と告げるように流れていた曲。この時間は永遠じゃないことに少し寂しさを感じるけれど、優しい子守唄を口ずさんでいるような曲調にもう帰らなきゃと思う。なんだか今日はぐっすり眠っていい夢が見られそうな気持ちになりながら終幕を迎えた。

最後に

そして早くも来年の2月に日本でのAURORA単独ライブが決まったみたいだ!フェスとはまた違った雰囲気のステージになるのかな?今から楽しみだ。これから冬を迎えるまでAURORAがあらたに感じ、考えたことが織り込まれて、さらにパワーアップしたパフォーマンスがどんなものになるのか、どきどきわくわくだ〜!

汽水


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