【SNSで「私は人に恵まれている」と書きたい系女子】別名【フライ級女子】が気づかせてくれた大切なこと。
"誕生日ディナーはお気に入りのここで・・・
最近つくつぐ思う。私は、人に恵まれてる。"
"いやー、やっぱ、とことんいい会社やった。ほんま人に恵まれてる。私を育ててくれた、6年間のすべてに感謝。"
"あーこんなたくさんの人らに集まってもらって本当に有難い。自分は仲間に恵まれてるなと実感。"
"なんとか無事イベント終了しました。きてくれた友人、先輩方、家族、関わってくれたスタッフのみんな、改めてありがとう。自分は人に恵まれてると改めて実感。感謝。"
「私は人に恵まれている」「私は人に恵まれている」「私は人に恵まれている」「私は人に恵まれている」「私は人に恵まれている」「私は人に恵まれている」「私は人に恵まれている」「私は人に恵まれている」「私は人に恵まれている」・・・
この言葉が最近揚げ物にみえてきた。読むだけで脳に熱量を消費させるハイカロリーな一言。「私は人に恵まれている」が横行してます。
これらは同一人物の犯行ではありません。全員リクルート出身者というわけでもありません。関西人とも限りません。SNSが普及してから(今回に限ってはfacebook)私はこのフレーズを目撃するとはっきりと、揚げたてすぎる彼女たちの熱の上からキッチンペーパーをそっと被せるように目を背けていました。熱量が止まらない。海老、春巻き、ポテト、チキン、ジューシーな衣、カラッと切った油!その存在はまるでフライ!フライ!フライ!敬意を込めてフライ級女子とお呼びします。
紛らわしい物もあるのですが、例えば純粋に感謝を伝えるだけの投稿もあります。「○○の企画無事おわりましたー!協力してくれた○○ちゃん○○さんありがとー!」これは、報告がメインのサンクス投稿なのでセーフです。
今回のフライ級のみなさんは、"その先"です。
感謝したあとに沸き立つ、どうしても止められなかった、わざわざ書かずにはいられなかった、【"結果、私は人に恵まれてます"宣言】。
そのでたがり閉会宣言いる?!でたがりな会長の締めの長いあいさついる?!新人がものすごく挑戦して結果出しためっちゃいいイベントだったのに会長が自分が会社立ち上げた話からはじまって結果自分が昭和から苦労してがんばったことがこのイベントの成功に繋がったかのようにやんわり決定的に無意識に宣言するあの感じによく似てるその宣言いる?!?!
と思ってたんだけど、会長も、彼女たちも、まったく悪気はないのです。それどころか、いつも同じようなハイカロリー投稿を何度もしていること自体、完全無意識なのです。
一応彼らのことを整理すると、
若者というよりは30歳以降、45歳くらいまでの「社会的に中より上」の
女性、もしくは同条件の"涙もろい男性"に多く存在しています。さらには
「達成感」「仲間」「感謝」「全力」「努力」「結果」「本番」「挑戦」「ステージ」「前進」「ご褒美」「朝日」「合間を縫って」「トライアスロン」「肉」「ラン」「金曜」「がんばれる」「チャージ」などの単語がきわめて好きという特徴を持ち、夏は"より熱さを感じる事"、冬なら"より寒さを感じる事"が好きという、生物としては珍しい一面も持ちます。
ためしに上記のハイカロリーかるたから3単語以上をランダムに選び、文章を作って、さいごに体言止め風にすると、まさにそれっぽい人格が作れます。
(例文)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「3ヶ月間、それぞれが仕事の合間を縫って練習して来たトライアスロン。明日、いよいよ本番。」
「久々の皇居ラン。眩しい朝日。今日も一日がんばれそう。」
「ネイル&ヘッドスパ。自分へのご褒美DAY。夜は肉!肉!肉!で内も外もパワーチャージ。」
「全力でやりきった大きな挑戦。次のステージにあがれた気がする。この達成感があるから、つぎもがんばれる。」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
カロリー感じますよね?
一躍かっているのが、やはり、"衣"の役割で文章をサクッとハイカロリーにまとめる、「体言止め」なんです。
SNSで体言止めを使うと、一般的な山道のバスくらいに「酔いやすい」状況になり、自分に酔って自分をストーリー化してる痛い人風になってしまいます。ただし何度も言いますが彼らは酔いにも気づいてません。本気で、「私は極めて人に恵まれている」と思っているのです。アホでしょうか。違うんです。彼らはむしろアホの真逆。偏差値や能力で言うと高い人ばかりな上に、「会うと真っ直ぐで面倒見も良く、めちゃくちゃ性格いい人」という特徴を持つのです。なんなら私はリアルな彼女たちのこと相当好きです。現実の彼女たちとSNSの彼女たちにはハッキリと差がある。彼女たちは、SNSでのみ、そのハイカロリーキャラを発揮するのです。
素材のままで、充分おいしいのに。
テラスのあるマンションの部屋に戻り、夜景をバックに撮ったビールの写真をアップする時、仲間とやりとげた仕事の報告をするとき、その事実を捉える視点が、どうしても「私は」になってしまう。私はどう見られたいか私はどう私を発信したいか私はどう(SNSで)生きていきたいのか。そこに自分が特別である演出という名の衣を、自分自身でつけざるを得ない。「自分は人に恵まれている」という枕詞を付けてしまう。
彼女たちは目に見える成功を維持したい。
"デキる"人だから、部下も増えて来たから、若くして少し成果を出してしまったから、いつもジューシーで全力で揚げたての自分を演じなくてはいけないと無意識のうちにがんばってしまうのです。本当は、「星野源さいこー。今日はほろよい飲むぞー」みたいなローカロリー投稿だってしてもいいキャラの人も混じってるのに。揚げずにはいられない。もう戻れない。
では私たちはSNSでの彼らを、どう受け止めたらいいのでしょうか?
まず、何より先に
私たちは、意地悪な気持ちを排除しましょう。
「本当に人や機会に恵まれてる人はこんなことわざわざ書かないっしょ」とかいうのやめましょう。彼らは純粋に、彼らだけの新作ドラマを書き進めているだけ。彼らには彼らの大切なドラマがある。全12話の起承転結溢れる成長感とまらないBGM鳴り止まないトレンディすぎるドラマがある。我々はそれを、新ジャンルとして、読んであげればいいだけなのです。
いつまで「第三のビールはビールじゃない!」とか言ってるんですか?
そういう人は黙って通常のビール飲んでてください。これはすぐに否定したがる我々の悪いクセです。彼らのようなキャラがいるから、一方で私たちも、私たちのドラマを描き進められるのです。
これは彼らの考察とみせかけて、【「理解できかねる第三者」をすぐに否定したがる私たち】自身の考察でもあるのです。最近よく考えるんです。「クッソ理解できないわこーゆー人たち」と思いがちなジャンルの方々の存在は、貴重であると。フライ級なあなた方が存在してくれているおかげで、私は今日も自分の人生での1ページを、こうしてあたらしく前に進められました。
"すべての人"が、最高の脇役であり、最高の主人公です。
それぞれ、今日も自分のドラマに専念しましょう。
解散!
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【2016年1月からスタート!】
【いま、cakesで連載してます!!!!!】
メンヘラ・ハッピー・ホーム スイスイ
初回→https://cakes.mu/posts/11878
2話→https://cakes.mu/posts/11879
(さっき公開!)
3話→https://cakes.mu/posts/12009
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