元彼を思い続ける私の14年は、正しかったのかどうか問題
便器から顔をあげて「つら…」と口に出していた。
その瞬間ひさびさに、いやもうこんなの10年ぶりくらいに、
「つらいな?」と感じた私が選んだこの14年は正しかったんだろうか。
正しかったんですかね。正しかったのかな。どうしたらよかったんだろ。
誰か教えて欲しい教えてくださいほんとお願い教えて欲しいな。
先月はじめて本が出て「元彼を14年も引きずってる件」について取材されるたび「失恋は無理に忘れようとせず一生引きずればいいと思うんです」とか語ってきたが本当にそうだろうか。今目の前に大失恋で痩せ細って死にそうな過去の自分のような20歳の女の子がいたら「引きずれるだけ引きずるべきだよ」なんてそんなこと、言うだろうか?
そろそろ「実際のこと」を書き記しておかないといけない、と思った。今回、ある出来事がきっかけとなり私は『「実際のこと」がわからなくなってきている』と気づいた。私は、「大切な事をごまかしつづける自分」を終わらせるためにこのnoteを書く。実際にはどうだったのか。
たったひとりの元彼を引きずり続けたこの14年、
いや、そのなかでも特に、「この4年半」は正しかったのだろうか。
「この4年半」とは
この4年半、つまり2016年〜2020年。何があったかというと。
エッセイストとして働くようになった。noteにエッセイを書きはじめ2ヶ月後にコンテストで入賞し、すぐcakesで連載がはじまった。CMプランナーを辞めてすぐ、願った通りの転職だった。
ただひとつ、想像していなかったのは、連載の内容が「メンヘラ」だったこと。そうか、あの過去の煮えたぎるような経験を綴ることができて、それが価値になるのか……と思ったらそれ自体は純粋に嬉しかった。
だけど。連載内容を決めるその打ち合わせ中に私がずっと思い浮かべていたのは、件の元彼の事だった。私のメンヘラ性を綴るということは、彼との日々に触れると同義だった。
彼が損をするような書き方はもちろんしないとしても、そんなことより私が考えていたのは【この連載により「彼との仲直り」は遠のくのか?もしくは近づくのか?】ということばかりだった。
私はずっとずっと、彼と仲直りがしたかったのだ。
結果どうなったか。
この「4年半」に起きた出来事をあえて箇条書きで書くと以下になる。
・連載一ヶ月目で元彼へのインタビューが行われ連載内で記事になった。
その時点で彼の呼称が「ラスボスさん」になった。
・連載3年目で私が自分の「人生最優先欲望」を発見。それが【最強の元カノになること】であると連載内で宣言した。
・今年の8月(元彼の誕生日)に私の初書籍が発売され、あとがきを、なんと、なんと、その元彼が、書いてくれた。
である。ちなみに彼の取材にも私は立ち会っていないし、あとがきのお願いも編集者さんがやりとりしてくれている。つまり私と彼は、最初の取材時の業務的メールやり取り以外ほとんど何も交わしていない。
つまりつまり2020年現在、「仲直り」なんてできていない。
ただ、ものすごく変化したことがあるとすれば、それまで誰にも言えないままだった彼への気持ちを大っぴらに言えるようになったこと。私は堂々と「最強の元カノになりたい元メンヘラ」になれた。なってしまった。
泣いてた
このnoteを書くきっかけとなった“出来事”についての話に進む。あまりにも些細で個人的な「3つの出来事」が今年の夏、同じ時期に起こった。
①地元で友達とお茶したときのこと
②元彼の友達からLINE
③アンチ的な人達からのリプライ
まずひとつめ。
「①地元で友達とお茶したときのこと」
8月はじめに本が出て二週間後、実家の名古屋に帰って、友人ふたりと夜中にお茶した。ふたりとも、元彼と私が所属していた軽音楽部の後輩と先輩で、つまり元彼とは共通の友人だった。
薄暗いそのお店でケーキを食べながら、ふたりが持ってきてくれた書籍に(サインしてと言ってくれたから)サインをしているとき、彼女達は私のその姿を動画や写真に撮ってくれて、解散したあと各自いくつかストーリーズに載せてくれてた。
インスタのストーリーズといえば投稿への閲覧者がわかる「足跡機能」がある。私は毎日元彼の足跡をみたいがためにストーリーズを更新し続けてる。彼の足跡を得られたら安心して、なかなか得られないと不安になる日々。彼の足跡を獲得するために毎日写真を撮ってるようなもの。
その日。友人二人がそれぞれのアカウントで投稿してくれたストーリーズ動画での私は全部すごく嬉しそうでしかも盛れてて、私は「この動画を元彼が見てくれたかどうか」がどうしても知りたくなってしまい反射的に友人二人にLINEしてた。「○○(元彼)の足跡ついてるかどうかスクショ送って」と。
するとふたりからすぐ無言で元彼のアイコンが写っている足跡ページのスクショが届いた。なにも茶化さず。なにも笑わず。なにも馬鹿にせず。「ストーカーじゃん」「なにそれ必死じゃん」とかも言わず何枚もくれた。その画面を眺めながら私の頬には、涙が伝っていた。呆然としたあと私は泣きながら彼女達に「私の気持ちを馬鹿にしないでくれて、ありがとう」と送ってた。
何が言いたいかというと。
昔から私を知ってくれている彼女たちは、彼への私の気持ちが、いかに真剣かを理解してくれていたのだ。この4年半、元彼を14年引きずってるとか足跡毎日観察してるとかそれ毎日スクショしてるなんて言うと、ドン引きされるのが常だった。私のメッセージに対する彼女達のさらなる暖かな返信に泣きじゃくりながら私は気づいた。
“私はずっと、この気持ちを、馬鹿にされたくなかったのか”、と。
いやネタにしてきたのは私なのだ。元彼を14年引きずるキャッチーな女であろうとしたのは私だ。だからまわりもそれ相応の対応で茶化してきてくれた。エッセイストとして名をあげたくてそれを選択した。ただその傍らで、膨らむ自らの本心を無視し続けてたのは私。
祖父のこと
14年前、元彼と別れた年に、大好きな祖父が亡くなった。
私は幼い頃からかなりのおじいちゃん子だった。亡くなるまでの数年ひとりぐらししていた祖父は亡くなった夜も枕の横に私の成人式の写真を置いて寝ていた。お通夜から告別式までの夜中、私はひとりで棺桶の横で祖父に寄り添い続けた。冷たい手を長い間握らせてもらっていた。周りはそんな私の祖父への愛を理解していたから、もちろん何も咎めなかった。
14年たった今もその思いはずっと続いていて、先日のお盆もひとりでお墓に行って手をあわせた。だけどこんな話を書いてもきっと誰も「おじいちゃんを引きずってる痛い女」なんて私のことを茶化さないのだ。
そして気づいた。いやずっと気づいていたんだろうな。
私にとって元彼への思いは、祖父への気持ちと同じくらい切実なのだ。
あの失恋は祖父の死と同じレベルの喪失。
この気持ちは、この翌日におきた2つ目のできごとでさらに確信に変わる。
失恋して、歯を抜いた20歳の私
「②元彼の友達からLINE」
ちょうど翌日。元彼の友達であるIくんから、めちゃくちゃ久しぶりの連絡がきた。本を読んだよ、という内容だった。
私が元彼と付き合っていた当時、いちばん彼と仲が良かった友達がIくんだった。本を読んでくれたことも連絡をくれたことも予想外すぎて、興奮したまま私がお礼を返信すると、こんな返事が来た。
「あやちゃんがなんか怒ってるって言って、○○と急遽東京にあやちゃんのライブ見に行ったのが、懐かしい」と。
(※「あやちゃん」は私。○○は元彼)
その返信を読んだ瞬間。
うわーと思った。体温のある思い出に蓋をし続けてきた。その蓋が強制的に決壊した。
そうだった。私はいつも怒るか泣いてて、元彼はいつもそれをなだめようとしてくれた。何時間でも、朝になっても。できるかぎりの言葉と行動で、とても誠実に。そして私はそれに救われ続けた。私が東京遠征したライブに、Iくんと彼が二人で来てくれたのは、そうだ私が怒ったからだったんだ。
私と元彼は、
これまで公の文章で書いてきたような、
奇天烈なメンヘラ恋愛シーンだけを過ごしたわけじゃなかった。あたりまえだが、そこには生の感情があった。パッケージ化しすぎてもう忘れてた。私たちはただお互いに好きで、いろいろ苦しい19歳と20歳だった。わりと大事な恋愛だった。
さらに、思い出した。
どこにも書いたことなかったけど。
14年前、失恋した20歳の私は、あまりにつらくて奥歯を抜いたのだ。
「心が痛すぎて耐えられなくて、この痛みをごまかすためには歯を抜くしかない」という思いだけで歯医者さんに歯を抜いて欲しいと頼んだ。死のうと思って国道に飛び出してタクシーに接触もした。7キロ痩せた。全然笑えない失恋だった。
当時の私を知ってる人は、だから私を絶対に茶化さないのだ。前述の友達ふたりと同様、Iくんはその後も丁寧に私と元彼の思い出を綴ってくれた。
なのにこの4年半、私は率先して、私の気持ちを茶化してきたんだよな。
なんでこんなことに
そんななか全く同じ時期にさらなる出来事が起こる。
③アンチ的な人達からのリプライ がいくつか届いたのだ。
ひとつは今日公開のcakes記事に載ってるが、私への批判的発言のあとこのような内容が書かれてる。要約すると
〈旦那さんにも愛されて可愛いお子さんもいるのに、元彼を好きだと公言できて、羨ましいです〉と。
羨ましいというその言葉をみたとき、私は殺意を持った声で「やればいいのに」と口に出してた。そのあとトイレで吐いてた。本を出したあとの売上プレッシャーや友人達とのやりとりでの気づき、何通かのアンチ的メッセージがぜんぶ同時期にきたからか色々限界だった。
やればいいのに。元彼を好きだと公言して文章を書くことのこちらの苦しさなんて想像もできないくせに。上辺だけ見て嫉妬して少し攻撃したら気が済むあなたたちが逆に羨ましい。私もそのくらい中途半端な自尊心の人間だったら、こんなことにならなくて済んだ。
私はただ元彼に好かれたいだけだった。
すべてはそのための、恋の一手だった。
あの日タクシーにぶつかったあと、詳しくは書かないがもう一段階死に近づこうとしたのを躊躇ったときから、私はずっと「彼にすごいと思われる私」を実現しようと必死に生きてきた。
上京してCMプランナーになってアートプロジェクトもはじめてAERAにも載ってテレビにも出て今度は連載も持って子供も産んだのに太らないようにして。それでも仲直りできなくて、別れて10年目のときから彼との恋愛を文章にして、インタビューにも出てもらって、それでも、それでも仲直りできなくて、去年同窓会で再会してもまともに喋れなくて、だから先月出したはじめての「本」はなんというかもう、賭けだった。最後の最後の最後の一手だった。
だけどもう薄々気づいてるんですよ。
ネタにした瞬間から仲直りはうんと遠のいたこと。
失敗したなーと思った。
私はnoteを書き始める時だいたい結論を決める。結論がみえてはじめて書き始める。だからこのnoteを書きだしたとき、自分の中の結論はほぼ出てた。
少なくともこの4年半は、ほとんど失敗だったと。
ただ。このnoteが終盤に向かおうとする今さっき。
書いている途中で思い出したことがある。
14年前、彼が欲しいといったもの
あれは付き合っていた頃。
バレンタインか、クリスマスだったか。
私は彼に「何が欲しい?」とプレゼントのリクエストを聞いたのだ。そのとき彼は柔らかい笑顔でこういった。「あやちゃんとの子供」と。
口がうまい彼のことを知ってる人は「言いそう!」と思うだろうし、あれは冗談だった可能性が高いのかもしれないけど、でもあの顔を思い出すたび、0.001%くらい、本心だったんじゃないかと希望込みで再生するときがある。
それで平日の昼間、誰もいないリビングで。このnoteのオチを考えながら虚無におそわれ無心で桃を食べてた私は、口に入れてしまった桃の皮を指でだしながら「子供…」と思った。
冒頭で書いた通り、先月発売された私の初書籍では、
元彼があとがきを書いてくれている。
つまり本のなかで文章を書いてる人物は私と彼のふたりだけなのだ。
それって私と彼がふたりで、この本を生んだことにならない?いや編集さんをすっとばしてごめんなさい編集さんの力の賜物なのだけど、私と彼は、私たちは、私たちはまさか、14年という歳月を超えて二人ではじめて、一つのものを、うみだしてしまったのでは?桃の汁なのかなんなのかわからないもので顔をぐしゃぐしゃにしながら34歳の私は「そう思ってもいいかな?」と、どこかに懇願してた。
5月頃、彼から編集さんに届いたあとがき初稿を読んだ瞬間、泣き崩れたのを覚えている。彼は私の原稿を読み、それにあわせてアンサーのようなあとがきをくれた。本当に彼らしい、彼そのものという名文で、note社長の加藤さんもそれを読んだとき「文章うますぎない?」と驚いてくださっていたほど。私と元彼はたしかに、書籍の中で交わった。
そう気づいたさっき、繰り返すが桃を食べながら私は、
「ほとんど間違いだったかもしれないけど、それでも私は、この道を選んでよかったな?」と、世界が晴れ渡っていくのを感じた。私は単純なのだ。彼に好かれたくて彼との恋愛やそこからどう立ち上がったかそこからどう生き伸びたか、世界一の元カノになろうとしたかを文章にしてきたことが、かけがえない、またとない、たったひとつの景色をみせてくれたんだよな、という確かな感触。
いろいろまるごと撤回するが、
私は私の人生において、切実に彼を14年引きずり、4年半ネタにしてきた自分を、なんだかんだやっぱり、よくやったねと褒めたくなってきた。
正直これは私の巨大な執着心と行動力だけが為せた技なので、アンチ行動をするような中途半端な雑魚どもが真似したら大失敗に終わると思うからおすすめしないが、真似したいならしてみたらいい。
だけど。
わたしは自分のこの4年半と14年を100%正当化する気はない。
これからはもうすこし、自分の気持ちの切実さにだけはちゃんと向き合うようにしたいと思った。他の人が笑うのは自由だが、私は私の失恋を笑わない。私は私の失恋を踏みにじらない。もう絶対に。
ということで。
私が14年もの月日を賭けた恋の一手、
私たちの紙面上での交わりをどうか少しでも多くの人に目撃して欲しい。
『すべての女子はメンヘラである』(飛鳥新社)という一冊です。
私が書いた本編では、このnoteのように自分の感情を分析することなんて到底できなくて頭の中が大渋滞だったかつての私が、感情をコントロールして悩みをなくしていくまでのセブンルールとトレーニング法が網羅されている。そして、各所で絶賛されている元彼のあとがきも見て欲しい。彼の名文を世に出せたことが私の最大の功績かもとも思う。
最後の最後の最後の最後に
最後に、私信です。
インタビューに出て欲しいとか、あとがき書いて欲しいとか、
無茶苦茶な私のお願いを、決して馬鹿にせず、真摯に叶えてくれて、ありがとう。あなたを好きになって本当によかったです。これからも大好き。
スイスイ
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(追記:家族への思いはcakesの該当記事で回答しています)
(ここでいう「仲直り」の1つとは彼から「ふたりでごはんいこ?」って連絡がきてごはんにいける関係になることなので切に連絡を待っています)
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