Suisuiが【 宮川慶子 】に22の質問をするインスタライブ-中編-
こちらは、2023年1月20日(金)にInstagramのライブ配信で開催された美術作家の宮川慶子へのロングインタビューの文字版アーカイブです。
音声データから文字起こしをした後、文章として読みやすいように編集しています。
ちょっと長いので記事を前編・中編・後編に分けて掲載しております。
子どもや生徒たちとの関わり
⑫教育の場やワークショップ等で、子どもや生徒たちとの関わりも大切にされていますが、教育者としての思いと、アーティストとしての思いをそれぞれ教えてください。
【Suisui】
では次の質問です。ここからは制作からはちょっと離れるんですが、教育の場やワークショップなどで子どもたちだったり、生徒たちとの関わりも大切にされていますが、教育者としての思いと、アーティストとしての思いをそれぞれ教えてください。
【宮川慶子】
私は先生面してる人間が大嫌いなので、そうならないように気をつけていました。(そうなっていないといいな。)
教えたことが公式の正解ではなく、最初の導入から各々の発想でゴールに導けるような、伴走しているイメージで働くように心がけていました。教えさせてもらった生徒さんはどう受け取っているかわからないけれど、私はそういう気持ちでやっていました。もし、楽しくなかったらめっちゃ謝りたいです。
もうひとつ、美術教育は先生が軍隊のように指揮をとり同じ作品を作らせることは不必要だと思っています。美術って何もしなくても成績もらえて楽だったみたいなこと言ってる人いますよね。受験に必要ないしって。それはきっと教えていた教師が残念であったか、美術を馬鹿にして過ごした残念な人間だったんだと思う。
美術は自由気ままに楽しむ行為じゃなくて、自分で決めたことをやり切るためにはどうすればいいのかなとか、言葉以外の自分の言語を生み出したりと、ゼロから考えることができる。
正解不正解以外の曖昧な存在を認識する教育。生きる上で大切な感覚なんじゃないかな。
美術をおざなりにしないでほしい。
アーティストとしては、自分が生きているときに心がけていることであったり、大切なこと、見えてること、自分が生きてるそのものをしっかり形にできることがアーティストなんじゃないのかなって思ってる。見えたり、考え感じてることを誠心誠意作れたらいいなと思い活動しています。
⑬慶子ちゃん自身はどんな子ども時代・学生時代を過ごしましたか?
【Suisui】
アーティストとしての思いと教育者としてのスタンスも近いというか、共通する部分がありますね。自分が絶対っていうスタンスではなくて、寄り添っていくっていうか。そのどちらも通ずるものがあるような気がしました。そんな大人として、子どもたちに関わっている慶子ちゃんですが、どんな子ども時代、学生時代を過ごしましたか?
【宮川慶子】
小学生の時から大学生の時までざっくりお話します。
小学生の時は頷くか首を横に振るかの首で会話しかできないような大人しい子どもでした。ただ、家では結構喋る子どもだった。今振り返るともしかしたら場面緘黙的な感じに近かったのかも。声が喉の直前で止まってしまいどうしようもない感覚。
小中の義務教育時代は集団が苦手だったのと、それと同時に強迫神経症という神経症も患ってしまい、学校に行けなくなってしまいました。
強迫神経症っていうのは、有名な例が手を洗わないと気が済まないみたな。私の場合は息をする方法やキーボードの叩き方、ドアノブの触り方などの症状。それをやらないと誰かが地獄に堕ちたり、家族が死ぬかもしれない。悪いことが起こるかもしれないと思い込んでしまう。強迫観念に駆られて一時期は息をするルールとかも完成されて、窒息しかけていた(笑)
そのうちに文字を書くルールも発生しちゃって。何回も同じ線を同じ場所に書き続けていたら、鉛筆がノートが突き破って机まで到達したこともあった。毎日本当に辛かった。他人から見たら馬鹿げている行動も、当事者は生きるか死ぬかの選択をしている感覚。
学校に行けてなかったりしたけど、最終的に大学で学びたい気持ちがある子供でした。
年齢を重ねていくうちに強迫症の克服方法がつかめてきた。ある時、こんなことをしなくても大丈夫だって、脳の鎖が外れた感覚があった。そうしたら乗り越えられる方法が徐々に開拓できてきて、重い鉄の塊が外れたら電車にも乗れるようになった。高校は美術専攻がある一般高校に進学しました。友達と先生に恵まれました。予備校にも通い、すごく楽しい3年間でした。
大学は院も含めて楽しい6年間だった。
凶暴な学年で(作家志望の人が多かった)、アトリエに一日不在だったりすると、作業場所奪われる空気があった。欠席したら「お前の場所ねえから」みたいな人々がいる学年。
【Suisui】
やば(笑)
【宮川慶子】
尖ったナイフが多かった気がする(笑)ほぼ女子の学年。
そのため(?)強迫的に日々朝から晩まで制作に励むことができました。
尖りエピソードをもうひとつ。
大学院の卒業制作に私は剥製を使用したのね。東京五美術大学連合卒業展(国立新美術館で毎年開催されている)に作品を出そうと思ったらなんと、剥製は出品不可能とのこと。でも、私の作品は剥製がメインのようなものだったので、なんとしてでも出品をしたい!
基本的に美術館は剥製は衛生観点で出品できないのだけど、どうしても出したかったから、私は美術館に直接連絡してどうすれば出品できるのか条件を質問した。資料や計画書を作成していかにこの剥製作品が燻蒸処理されていて清潔であることの証明し、このような処理をした云々の画像付き書類を提出して、色々勝手にやっていた(笑)
結果、受理していただき出品できた。
(そして次の年から剥製を出品している学生が出てくるようになったらしい。)
絵画専攻の助手さんはさぞかし面倒だったでしょう...感謝です。
【Suisui】
尖った学年だ...。
【宮川慶子】
切磋琢磨してた!
【Suisui】
元々は小中学校の時は強迫神経症だったりとか、最初の話にもあったけど、人間自体にあんまりいいイメージがないとか、繊細でナイーブだったりしたよね。
そんな幼少期だったのに尖ったナイフがたくさんいる大学に毎日行って、大学院まで通い切った。小学校の頃とは何が変わったのでしょうか?
【宮川慶子】
尖ったナイフとはいえ、繊細で見えないことがすごく見えてる人たちの集団だから、気が強い人々だけど私にとっては居心地が良かった。今まで美術をやっていない人たちとの何気ない会話で傷ついたり、疑問に思うことがいっぱいあったのに、大学の仲間たちとは、その疑問や悲しみを共有できた。
別に話し合わなくても、価値観が合う人たちが多かったからかな。
あと、幼い頃から大きくなったら大学で学びたいという憧れがあったので、ようやくこの環境に自分がいられることが嬉しかった。
作風の変化
⑭以前の作風から素材や表現内容が変化していますが、どのように変わりましたか?
【Suisui】
では次の質問で、もう一度作品とかの話に戻ります。
慶子ちゃんは以前の作風から素材や表現内容が変化していますが、どのように変わりましたか?
【宮川慶子】
生命がテーマなのは、絵を描き始めた小さな頃から変化はないんだけれど、あの…まあ俗に言う厨二病ありますよね、おそらく遅れてきた厨二だったのか、痛みや辛さを存分に表現しようと思いまして。剥製とか生肉とか血液…性器とかも形にしちゃってて。あと、辛いこともあったのが原因かもしれないですね。自分の私的な状況と作品を一緒にしてしまっていた。だから、作家としてはすごくよくないこと。学生だったからって言い訳しちゃうけど、学生だったから私事とごっちゃにして制作してしまっていたのが、以前と現在の作風や、制作の雰囲気の違いなのかもしれません。
【Suisui】
なるほど。ということは、今は平たく言うと、作品と適切な距離が取れてるっていうことですか?
【宮川慶子】
適切な距離が取れていると私は思っています。自分と作品が表裏一体になってはいけないと思っているので。あくまでも自分のコンセプトであったり、何を伝えたいのかっていうのと、私的な感情は切り離されるべきだと思っている。今はうまくいっているかなと自分自身では思っています。
【Suisui】
今の話で私が理解したのは、以前はベクトルが自分に向いていた。今は「みんな」っていう言葉からもわかるように、ベクトルが他者に向いている。
そして表現しているベクトルの方向が変わったから、素材だったりとか、表出してくるものも変化したっていうこと?
【宮川慶子】
そうですね。
⑮作風が変わった経緯を教えてください。
⑯変化の中にあっても、一貫して変わっていないところはありますか?
【Suisui】
なるほど、なるほど。
じゃあ次の質問で、そのベクトルが変わった経緯、作風が変わった経緯を教えてもらえますか。
【宮川慶子】
作風が変わった経緯は、初期の頃は触ると痛かったりだとか、剥製だったりだとか、毛皮だったりだとか、生物の直接的なものをいっぱい使っていたけど、今はキャンバスに絵の具であったり、粘土であったり、原点回帰しています。その理由としては、「強いことが正義じゃない」ことは思ってはいたけれど、それを形にするのは、自分が弱くて消されてしまう気持ちになってた時があって。
私は自分が圧倒的多数の人生を送れなかった(不登校経験がある)コンプレックスも強かったのが原因だと思う。「強いことが正義じゃない」って気づいてから、強いことや、苦しい、辛い、痛いことは、誰しもが知っていることだと改めて気がついたのが大きいと思います。みんなが知ってることをあえて作品にするっていう浅はかさに気がついて、誰しもがもう通ってきてることをあえて、また形にして、自分の言葉として発表するのって、ものすごい浅ましいなと。
そこから、自分が本当は何に興味を持っていたり、自分しか見えないことについて考えた時に「自分が大好きな優しくて小さな世界を、もう隠さないで出していこう」って思えたのが、作風が変わった経緯です。自分は正直に生きる、自分から逃げないようにしました。
【Suisui】
前は作品自体から受ける印象はどちらかというと強くて、痛みを表現してたり、サイズが大きかったり、重たかったり。そして今出てきてるものは、小さな生き物だったり、色合いも柔らかくて、描かれているそのものの表情とかも優しかったりするんですけど、それは逆に慶子ちゃん自身はかなり強くなったが故の優しさなのかなって思いました。
正直に生きるとか、弱さを肯定するとかって強くないと本来はできないから、慶子ちゃん自身が強くなったのかなって。
【宮川慶子】
そうかもしれない。過去の自分と比べると、ただ単に年齢が上がったりしたのも理由にもちろんありますけど、やっぱり自分とちゃんと向き合えて、それをコンプレックスではなく、自分の人生なんだと肯定して、自分自身を見たことによって強くなった。
いわゆる自分が納得したというか、こう全てを肯定した瞬間に見落としてた部分も見えてくるみたいな。そうしたら、作品を作るっていうことに対しても、覚悟ができました。
【Suisui】
なるほど。今の話を聞いていると、以前の作品のこともよくわかるというか。例を挙げると慶子ちゃんの修了制作は、大きな鹿の剥製がどんってあるからインパクトが強くて、そのうえ全身から耳がたくさん生えていて、だけど実はどんどん周りの音が入ってきちゃうから最終的には自分のことがわからなくなって耳に埋もれて消えてしまうっていう作品だったんだけど。
大きくて強い姿なのは、強くあらねばならない、自分の弱さやコンプレックスを克服しなければならない、強くないと消えてしまうっていう脅迫的な恐怖心の現れで、でもやっぱり慶子ちゃんの元々持ってる繊細さや弱さはなくならなくて最後は消えてしまう。大きいけど、消えてしまうっていう。なんかすごくストンとくるというか。
そこから「そうじゃないんだ」みたいないところに行けたから、今の作風があるのかなって。
【宮川慶子】
そうですね。あれ?もしかしてさ…大学時代は作品にとって悪影響だった可能性もあるかも…?(笑)
【Suisui】
いやそんなことはないよ(笑)
たぶんストレートには今のその心境には至らなかった思います。
絶対その過程は必要だったと思います。
【宮川慶子】
そうだね!
イギリス生活
⑰イギリスに渡ってから見た展覧会や接した文化の中で1番印象深いことを教えてください。
【Suisui】
慶子ちゃんは現在、日本を離れてイギリスのロンドンで生活されているんですが、もう一年ぐらい経つか。
【宮川慶子】
去年の3月の終わりから家族の都合でイギリスに引っ越して、個展が去年の秋にあったので、一回日本に帰っていますが、大体一年弱暮らしています。
【Suisui】
ロンドンに渡ってから見た展覧会や、接した文化の中で1番印象深いことを教えてください。
【宮川慶子】
接した文化としては、現地の会社で働いたり、学生で学校に通ってる方と比べると圧倒的に文化に触れ合う機会が私は少ないですが、その中から、自分なりに感じたことを話します。
イギリスは基本的に国立の美術館が無料で見ることができることに驚きました。国と寄付で成り立っている。日本だと、大人は1,500~1,800円ぐらいしないと見られないような内容の展覧会が無料で見られる。お散歩ついでに美術館で教科書で見たことあるような作品が見れる。びっくりしました。
で、もうひとつが…知ってたんだけど毎日暮らしてみて改めて思ったのが、多民族、多人種、多言語が当たり前の環境っていうのが、日本から出て本当に毎日びっくりしてる。別の言語だったり、自分と全然見た目が違っても、もう何も驚かなくなった。もう全然「違う」ことに何も気負わなくなりました。自分としてはもともとあんまり気にしないし、むしろ気にする人たちがずっと苦手だったんだけど、だからいろんなことが昔は嫌だったんだけど、本当に違うんだなっていうのを外国に来て、目の当たりにしました。
【Suisui】
なるほど。
【宮川慶子】
で、そこから、自分がアジア人であること、日本語っていう超少数マイノリティであることを再確認しました。自分にとって当たり前であることは外に出たら当たり前じゃない。むしろ、大多数がNOっていうような内容だったりする。「当たり前」はもう意識しないようにしてますし、無くなった。だから、すごくポジティブです。
【Suisui】
個展とかで日本に一時帰国した時、日本の見え方って変わったりしました?
【宮川慶子】
全てが丁寧。何をするにしても丁寧。自分の役割以上に丁寧…例えばお店だったりしたら、お金のやり取り以上のサービスがされてるんだなって思った。イギリスは安かったら安いなりのクオリティ、安いなりの応対。お金と内容がイーブンなかんじ。それが違うと感じた。それって日本のいいところなんだろうけど、日本をますます、ガラパゴス化していく要因なんだなって思いました。
【Suisui】
なるほど。
イギリスで見た展覧会で、印象に残ってるものはありますか。
【宮川慶子】
印象に残っていること。えー、なんだろうなあ。
【Suisui】
一番好きだったとか、一番面白かったとかありますか。なんでも。
【宮川慶子】
あー。去年の5月ぐらいにサーペンタインギャラリーの展覧会「Dominique Gonzalez-Foerster: Alienarium 5」に行って、もうその展覧会が良すぎて。インスタレーションだったんですけど、中に入って見て、空間とか、匂いも作品の一部にしてる作家さんで。その後外出たら、ちっちゃい小窓から動画を観賞できたんですけど、宇宙人と人間か対話できるようなイメージ。それ見たらもうめちゃくちゃ良くって、感激して号泣しました。
ハイドパークの中にあるギャラリーで、私、公園の芝生の上でうわーとか言って泣いて(笑)
【Suisui】
その感動って、どういうポイントが響いたんですか?自分の中で何か心が震えるところがあって、涙って出ると思うんだけど。
【宮川慶子】
同じ生命体じゃなくても対話を試みようとする。その対話を試みようとする意気込みみたいな。目には見えなかったり、直接触れられないものなのに、何か生きてるっていうことを証明して、お互いが話そうとしているのがわかるっていう風に感じられる動画で。人外の言葉喋っているんだけど、なんか訴えかけてくるの。動画と視覚的なことと、詩の要素と、あと匂い。もう、トリプルパンチで。これだよ!みたいな。
【Suisui】
宇宙人が人間に一生懸命コンタクトを取ろうとするっていうのが見れる作品?
【宮川慶子】
そういう風に私は受け取る作品だった。生命の根源を美術っていう形で200パーセント完璧な展示をしてるなと思って。美術じゃなければならないっていうものを感じたから。他の表現方法ではなく、美術という手段ではないとできない他者への語りかけだと思って、感動しました。
【Suisui】
ありがとうございます。すごくいい話。
⑱イギリス生活によって自身の作品に何らかの影響はありましたか?
【Suisui】
では、さっき話してくれた素晴らしい作品との出会いだったり、多民族がいたり異なる文化に接したりするイギリス生活によって、慶子ちゃん自身の作品に何らかの影響はありましたか?
【宮川慶子】
影響は、私は日本にいる間は会社員しながら作家活動をして、その後美術教師をやりつつ作家活動してたんですけど。教師の仕事はものすごく好きで、生徒さんにも「何年もいるよ」「卒業するまで絶対いる」みたいなこと言ってたのに、家族都合で急に教師を辞めざるをえない状況になってしまい、最初は結構ショックだったんですよ。「はあ… そっか…卒業まで一緒に入れないんだ」みたいな気持ちになって、泣く泣く辞めたんですけど。
で、引っ越しをしたら、制作以外のことに使っていた時間…つまり教師として仕事をしていた時間が全て制作に使えることになったので、大幅に制作時間、自分の作品について考える時間が増えたことは大きいですね。もう本当に大学生ぶりの作品との向き合い方だったので、それがすごく大きかったかな。
で、イギリスに来て1年弱経ったのですが、ほんとに私、英語喋れない。外歩くと何言ってるか基本的にわからない。宇宙人の気持ちでノコノコ歩いてるのだけど、散歩していると、制作だとか、自分の制作するポイントの命だとかを結構、真摯に向き合える時間になっています。
【Suisui】
なるほど、そっか。日本にいたら聞こえてくるのは知ってる言語だから、街歩いてるだけでもたくさん情報が入ってきちゃったりするけど、そういうのがないってことかな。
【宮川慶子】
そう。カフェとかに日本で入ってると、隣の人の会話とか聞く気がないのに聞こえてくるじゃない。私は聞こうと思ってないのに聞いちゃうので。
あ、あとイギリス来たら広告が圧倒的に少ないことにびっくりしました。広告とか視覚的な情報が遮断されたので、すごいクリアに世界が見えるな。
【Suisui】
そうなんだ!じゃあ、自動的に飛び込んでくる情報が聴覚的にも視覚的にもすごく少なくなって…
【宮川慶子】
うん、それで思考がクリアになった。
自分が疲労してしまう情報源が、自動的にシャットアウトされたので、すごく健康に良い。
【Suisui】
面白い。確かにいいですね。
後編へ続く!
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