航路
はじめに
ちょっと心の風向きが変わった気がして、徒然に書き留めておきたい。このnoteは溢れ出るパトスを書き出すためのものなので、書き散らしてしまおう。
何者かになろうとか、そんなんどうでもいい。どうせ時代は変わる、要求されることとできることが、合わなくなってくる。そして、いづれ空気に溶けていくみたいになくなっていくんだから。味わい尽くすことだけ考えていれば、それはそれで後悔のない航路になっているだろう。
仕事では評価されることこそが至上のように話される。けれど、人生の価値とそこは、私の場合あまり重ならなくて、「この作業のどこに興味を惹かれるか?楽しみを見出すか?」ばかり考えていた。だから、計画立てて目標設定もできないし、幼くみられる。大人になるってことは、多分、先々を見通して、今何をすべきか判断できる人のことだ。身体が子どもの内から、そうすることを大人っぽいというのだ。
「どうせ上るならぶち楽しい上り坂」というどこかの大学のキャッチコピーや「どこか遠くへ 逃げたら楽になるのかな そんなわけないよね だって私は私なんだから」と宣言するwait&seeの歌詞が、私をここまで連れてきた。先々考えているフリをしながらも、おおよその方向を決めただけ。いかに人生を堪能するかしか考えていなかった。
先読みのし過ぎなんて意味のないことはやめたいし、未来はずっと先だし 貴方にもわからない。完成させないで、もっとよくしていきたい。それが人生じゃない?
誰かは道に例えるけど、私は海だと思う。自由で赴くままで孤独で、でも一つにつながっている感じがする。
何かを得たければ、灯台に進んでいけばいいし、まぶしければ避けたっていい。ルートはないけど、光の筋はある。それしか見えなくなったとき、くらくらとしてレモンが欲しくなる。
いま、パッと醒めて、再び海面に浮かんでいるような気持ちになった。
そうだ、私は自由だ。何もしなければ飢え死にするけど、行先はいくらでもあるし、レモンだって持ってる。
この2,3年、航海に出ることが目的になってしまっていた。本当に必要なものが何か、大切なものは何か、改めて考えるときが来ているんだなと思った。
2019年の末に書いたエッセイだけど、2020年の序章ということで投稿します。
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