たいやきと高速道路
栃木旅行に家族で行った。夏休みに旅行するのはいつぶりだろう。我が家は夏休みは必ずどこか旅行すると決まっていた。小学生のころは、車で2~3時間ぐらいで行ける東条湖おもちゃ王国やパルケエスパーニャに連れて行ってもらったりしていた。特に小学生6年生の時、初めてディズニーランドに連れて行ってもらったのがとてもうれしかったのを覚えている。
受験やら就活やらで行かなかったこともあった。そして、就職してからはお盆休みがないので、GWに御殿場に行って実家に帰るというのが定番になっていった。
今回は、たまたま3連休がみんな取れたということで、私の家(ちなみに17㎡のワンルーム)に行こうとなっていたらしい。ただ私が「日光東照宮に行ってみたい」とごねて鬼怒川温泉に宿をとってもらった。
その時は、精神的にしんどい時期でもあったので、気分転換がしたかったとのと狭い部屋で家族4人過ごすのはどう考えてもリラックスできないと思ったからだ。
行きしな
朝5時に出発して11時に私の家の前についた。毎度6~8時間、軽自動車を走らせてくる。そこからさらに3時間。初日に日光に行こうと思っていたが、16時には閉まると知り、宿に向かった。大人になったら、私が運転して旅行に連れて行ってあげれるようにしよう!と免許を取ったが、こちらで全く運転しないため、今回も父に任せきりだった。
車は好きだ。もっと言うと高速道路が好き。人があり得ない速度で街の上を通っていく。山を通過したらまた街が現れる。車窓だけ見ていると神様になったようだなぁと思う。クーラーが効いていて、父がいて母がいて、助手席で妹が寝ている。カーナビが目的地を案内していく。
鬼怒川温泉
10畳はあろうかという客室にどさっと荷物を置く。窓からは、祭りがあるのか紅白の幕と提灯が見えていた。ここだったら、広いし踊り放題だなと思う。畳の上でアラベスクをする。バレエは小学校で辞めたけど、いろいろ経験した中で、一番好きなものだったと振り返って気づいた。だからたまに思い出したようにポーズをとる。
ロビーはフリードリンクが供されていて、雑誌や新聞が置いてあった。ここに地誌が置いてあるのが楽しい。緑の景色を横に置いて夢中になって読んだ。夏休みって感じがする。
宿のといえば食と温泉だ。家族旅行の場合、私は父と瓶ビールを分ける瞬間がハイライトだと位置付ける。なんやかんやLINEで話しかけてくる母とは違い、父との一対一のコミュニケーションをとるのは、この時ぐらいではなかろうか。毎週水曜日が父の休みでその日はたいていお好み焼きか豚キムチか、冬だったら鍋だった。そこで一缶開けた父と話すのが習慣だった。私は働く人が最もえらいと思っていて、早くそうなりたかった。
今は近状報告の時間になっている。仕事についてはぼちぼちと答えた。そして今日は疲れてしまったので、御飯の後のチョイ飲みもできず、布団にくるまった。
日光東照宮
日光はさすが観光地、駐車場に入るまで渋滞していた。近くの土産屋の平たくした土地も車でいっぱいになっていたが、父が交渉して軽自動車がちょうど入れるスペースに止めることができた。
ちょうど改修されているところで鮮やかな姿を拝むことができた。斗栱や虹梁そのほか諸々の装飾に釘付けになった。他3人はそんなに興味なさげで見ざる言わざる聞かざるのストラップを買ったりしていた。
意外とランチを食べる場所が見つからず、上島珈琲でサンドイッチを食べ終えた頃には15時になっていた。これから私の家まで帰る。また運転は父だ。今度は助手席に私が乗った。
帰りしな
そういえばお土産を買っていなかった。最後は蓮田サービスエリアに立ち寄った。職場用にいくつか買っておく。そして明日の朝ごはんとなるパンも買う。そういえばこれも我が家の定番かもしれない。家につくのは20時半ごろになりそうだが、まだお腹は空かない。しかし、サービスエリアというのは食の誘惑でいっぱいである。その中でもたい焼きがふと目に留まった。高校生の時、よく駅前のたい焼き屋さんにわざわざ行って買い食いをしていた。懐かしかった。
そんなに欲しそうな顔をしていたのか、「買ってきたら」と母が500円を渡してくれた。ちなみに、宿代も高速道路代もガソリン代も出してもらっている。
その時、無性に、私は働いてもなお、あらゆるものを与えられて生きているんだなと実感した。なんでかな。硬貨が1匹のたい焼きに代わって私の口に運ばれる。
ずっと自立した人になりたいと思っていた。経済的に自立して、自分の手で安心できる場所を確保したいと思っていた。それは通常の社会人になれば実現できると思っていた。思っていたけど、全然違った。その意識で周りから手を放そうとすればするほど、うまくいかなくて、「つらい」という本音は泡になって消える。
たい焼きの皮はふにゃっとしていた。
車が首都高に入るとキラキラした夜景が現れた。窓を開けたら首都高を走る車のライトが見える、なんて生活ができたらいいかなあ。そんなことを父と話した。
ちなみにこの晩は、家族で17㎡に雑魚寝した。
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