昭和歌謡のスターに学ぶ「ゼンブ」で戦うということ
今となっては緊急事態宣言発令前の最後の週末である4/18(日)、筒美京平の世界 in コンサート@東京国際フォーラムホールAへ行った。
客席はソーシャルディスタンス無し・会場内100%着席だったので、もし一週でも後ろにズレていたら中止になっていた可能性が高い。これだけの面子、バンドメンバーのスケジュールをもう一度合わせる事は不可能に近く、本当にやれて良かったし、観られて良かったと思う。
昭和の歌番組を彷彿とさせるフルバンド編成で披露される、とんでもないボリュームのヒット曲の数々は、圧巻というほかなかった。まずはセットリストから。
<第1部>
01. OVERTURE / 船山基紀とザ・ヒット・ソング・メーカーズのテーマ① / バンドのみ
02. ブルー・ライト・ヨコハマ / 伊東ゆかり(いしだあゆみ)
03. 誰も知らない / 伊東ゆかり
04. 雨がやんだら / 夏木マリ(朝丘雪路)
05. 真夏の出来事 / 平山三紀
06. 芽ばえ / 麻丘めぐみ
07. わたしの彼は左きき / 麻丘めぐみ
08. 赤い風船 / 浅田美代子
09. にがい涙 / AMAZONS (スリー・ディグリーズ)
10. セクシー・バス・ストップ / 野宮真貴 (浅野ゆう子)
11. ロマンス / 岩崎宏美
12. 木綿のハンカチーフ / 太田裕美
13. 九月の雨 / 太田裕美
14. 東京ららばい / 森口博子(中原理恵)
15. リップスティック / 森口博子(桜田淳子)
16. 青い地平線 / ブレッド&バター
17. 哀愁トゥナイト / 大友康平 (桑名正博)
18. セクシャルバイオレットNo.1 / 大友康平 (桑名正博)
19. センチメンタル・ジャーニー / 松本伊代
20. 夏色のナンシー / 早見優
21. あなたを・もっと・知りたくて / 武藤彩未(薬師丸ひろ子)
22. 卒業 / 斉藤由貴
<第2部>
23. Romanticが止まらない / C-C-B
24. Lucky Chanceをもう一度 / C-C-B
25. WAKU WAKUさせて / AMAZONS featuring 大滝裕子(中山美穂)
26. なんてったってアイドル / 乃木坂46(伊藤純奈 & 樋口日奈)(小泉今日子)
27. Oneway Generation / Little Black Dress(本田美奈子)
28. 抱きしめてTONIGHT / 藤井隆(田原俊彦)
29. 人魚 / NOKKO
30. AMBITIOUS JAPAN! / ROLLY(TOKIO)
31. バンドメンバー紹介曲 / 船山基紀とザ・ヒット・ソング・メーカーズのテーマ② / バンドのみ
32. 男の子女の子 / 郷ひろみ
33. よろしく哀愁 / 郷ひろみ
34. 甘い生活 / 野口五郎
35. グッド・ラック / 野口五郎
36. 時代遅れの恋人たち / 中村雅俊
37. 海を抱きしめて / 中村雅俊
38. たそがれマイ・ラブ / 大橋純子
39. 飛んでイスタンブール / 庄野真代
40. モンテカルロで乾杯 / 庄野真代
41. さらば恋人 / 松崎しげる(堺正章)
42. 魅せられて / ジュディ・オング
<アンコール>
E-1. オレンジの雨 / 野口五郎
E-2. シンデレラ・ハネムーン / 岩崎宏美 ※2番~出演者と共演
E-3. また逢う日まで / 松崎しげる(尾崎紀世彦)※2番~出演者と共演
ライブを観ていてふと気付いたこと。藤井隆は「絶望グッドバイ」、野宮真貴はピチカート・ファイヴ時代の「恋のルール・新しいルール」を歌うものとばかり思っていたが、実際は他の歌手のカバーだった。
そう、今回は持ち歌に筒美作品があったとしても、ヒット曲でなければセットリストにエントリーされないのだ。ヒットメーカーとしての筒美京平を伝えるには最適な基準であるが、歌手にとってはなんとも厳しい。その分、観客にとってはどこかで聴いた事のある曲ばかりの大サービス・セットリストであり、各々が思い出と重ね合わせながら観ていたのだと思う。
その膨大なヒット曲の数々はリアルタイム世代じゃなくても大興奮したぐらいなので、もし自分が40~50代だったら泣いてしまったと思う。「センチメンタル・ジャーニー」~「夏色のナンシー」という強すぎる2曲と斉藤由貴の「卒業」に挟まれて歌った武藤彩未は、本当にどんな気持ちだったんだろう。
この日は子供の頃から知っている人達が沢山出ていたが、中でも郷ひろみの流石のスターぶりには恐れ入った。出てくるだけでみんなを幸せな気持ちにさせるのは素晴らしい事だ。
野口五郎は母がファンだったので子供の頃から意識していたが、衰えない歌唱力と得意のダジャレも健在だった。「グッド・ラック」は1978年にしてシティポップ歌謡の先駆けとも言えるなかなかの名曲だと思う。坂本慎太郎がカバーしていたのも最近知って、それもすごくよかった。
昭和の歌謡史はそのままテレビの歴史でもある。今回のラインナップはどんなフェスに行ってもほぼお目にかかれない面子のオンパレードで、歌手という以上にTVスターが勢揃いしたという感もある。
実際、これだけの数の芸能人を一気に観る機会はそうそうない。平和且つゴージャスな、多幸感の塊のような現場ではあるのだが、僕は同時にあの場に対して、芸能人としてのポテンシャル合戦のようなものを感じてしまった。このステージに立つ意義がどこにあるのか、歌手としての挟持が何なのかがしっかりしていないと負けてしまう場だと思った。
生の現場において、やはり歌唱力の高い人にはそれ相応の説得力がある。今回の場合、特に難しいのは原曲の歌手以外の歌唱だ。このコンサートでは2曲以上歌わない歌手にMCの時間は設けられておらず、MCで思い入れのほどを話すといったフォローをする事ができない。とにかく曲の中で伝えるほかないのだ。
その点、藤井隆が田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」を歌った時は見事だった。イントロで「皆さん、何で?って思ってます?僕もです!でも精一杯歌います!」とすかさず先にフォローしていた。
他人の曲を歌う場で、しかも武器である話術を活かすような時間がない。でも、イントロの僅かな時間なら入れられる。おかげで観客は彼のパフォーマンスについて疑問に思う事はなかったし、実際にみんなが笑顔になっていた。藤井隆、やっぱり芸人だなあと思う。
歌唱力が高い人が強いのは当然だが、失礼ながら歌唱力が高いとは言えない歌手、例えば浅田美代子がダメだったかと言われればそんな事は全くない。久々の歌唱というレアさもあるが、そもそも浅田美代子に歌唱力は求めていない。あれでいいのだ。というか、歌が上手いに越した事はなくとも、そもそも歌謡曲は歌唱力以外の魅力でも十分健闘できるジャンルだ。
ヴィジュアル系ばりの派手なメイクとドスの効いた歌唱で圧倒した夏木マリ、大舞台にテンションが上がったのか隅々まで手を振る麻丘めぐみ、歌の力で一瞬にして空気を変える岩崎宏美、ちびっこものまね紅白から足かけ45年仕込みの表現力で魅了した森口博子と、みんなキャラが違ってみんなよかった。
大友康平はキャラと歌唱が合致していてセルフプロデュース力が高いなと素直に感心したし、55になっても伊代はまだ16だと歌い続け、尚且つそれが見苦しくない松本伊代もすごい。
C-C-Bの笠さんはドラムとヴォーカルを今でもなんとか両立できていたし、NOKKOのあの声は美しいストリングスと相まって広いホールに響き渡り、みんなうっとりしていた。ジュディ・オングのあの衣装とサビでのアクションは一見出オチのようにも思えるけれど、2階から観ても驚くほどの煌びやかさで素晴らしかった。
それぞれのキャラクターに楽曲がばっちりハマり、大衆の心を射抜いた時に初めてヒット曲は生まれるのだろう。その人の長所が活かされる事もあるし、本人が短所だと思っているところが却って味になる事もある。
それは、歌謡曲がその人の「全部」で戦うジャンルだからだと思う。歌であり、ダンスであり、ヴィジュアルであり、キャラクターであり、その人だけが持っている「美」のことだ。
そんな事を考えていたら、3月に行われた小沢健二の配信ライブを思い出した。オザケンと言えば、筒美京平とのタッグで名曲「強い気持ち・強い愛」を生み出した人でもある。そんな彼が、ライブで新曲「ウルトラマン・ゼンブ」について語った時の事だ。
「ウルトラマン・ゼンブ」とはオザケンの次男・あまにゃんが考案した架空のウルトラマンのこと。これまでの全てのウルトラマンの特徴を持っているので、歴代最強のウルトラマンなのだという。
そもそも「ゼンブ」というのは人によって違う。というのもオザケンは昔のウルトラマンしか知らないのだが、あまにゃんは昔のウルトラマンも今のウルトラマンも知っている。足しているウルトラマンの数が多いので、オザケンのウルトラマン・ゼンブよりもあまにゃんのウルトラマン・ゼンブの方が強い事になる。その上で、こう続ける。
そして、「ゼンブ」という言葉が素晴らしいと思った。
例えばパパとかママとかいうものは、ある意味役を演じていて、パパっぽい事を言う、ママっぽい事をするなどと役割を演じている。何かちょっと、本当は複雑な大人なのに割と単純で簡略化されたパパとかママっていうのを演じているような気はする。パパやママを演じたり、会社では役割を演じる。自分の「ゼンブ」じゃない、自分の「イチブ」を切り売りするというか、全面に押し出して時間を過ごしている、そんな感じもする。
でも例えば自分の「イチブ」でパパを演じていても、結局は僕の「ゼンブ」が顔を出す。例えば「やたら勉強しても勉強が嫌いになっちゃうから、あんまり勉強しなくてもいいよ。俺なんかあんまり勉強しなかったから、今でも勉強大好きだよ」とか、学校の先生に怒られそうな事を言ってしまう。役割を演じているはずなのに、やっぱり僕らは完全に「イチブ」になる事はできない。どこかでそれまでの「ゼンブ」を抱えた自分が見ている。
一部になる事を求められる社会でも、「ゼンブ」の自分はいつもいる。それまでの自分が覚えていること、あるいは覚えてないこと、そういう全てが自分の中に降り積もっていて、その塊としての「ゼンブ」で生きている。その「ゼンブ」を丸出しにするチャンスはなかなかないけれど、でも、いざという時には僕らの中の「ゼンブ」が問われ、「ゼンブ」で勝負するしかなくなる。「イチブ」で生きるのが賢いよという世界でなかなか居心地の悪い「ゼンブ」であるのだが、その「ゼンブ」はいつもいて、ピンチになると立ち上がる。
歌手というのは歌を歌うという役割、つまり「イチブ」でやっているようにも見えるが、そうではないのかも知れないと感じた。歌謡曲のスター達は、まさにこの「ゼンブ」で戦っている。
歌唱力やダンスのように楽曲に直接関わる部分以外でも、やたらMCでボケる大友康平、肌が黒すぎる松崎しげるのように人それぞれに美があって、その「ゼンブ」がぶつかり合った結果、すごいエネルギーが生まれていた。
歌謡曲では本人が楽曲制作に関与しないケースも多い。その分、歌い手自身が何者であるかが強く求められるジャンルなのだと思う。ただデビューしたての新人など、本人すら魅力に気付いていない場合もある。そこを見抜くのが筒美京平のようなプロの作り手であり、だからこそ歌い手は己の「ゼンブ」で向き合わざるを得ないのだ。
現代のように自分で楽曲を作る才能も素晴らしいけれど、分業ならではの良さだってある。そんな職業作曲家の最たる存在が筒美京平であり、それぞれの「美」を引き出し続けた功績は本当に偉大だな、と改めて思うばかりだった。