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ライブに行かなくなって変わったこと

ライブのない生活

僕は、平均して年間80本ほどライブに行く人間だった。ピーク時は100本を超えた年もあった。ライブハウス、ホール、アリーナ、ドーム、スタジアム、野外フェス、時には海外まで、規模やジャンルは問わず幅広く行っていた。

しかしこれは、ビフォーコロナの話だ。現に2月25日のPerfume東京ドーム公演を最後に、僕はなんのライブにも行っていない。翌26日に政府からイベント開催に関する対応要請があり、ライブ中止の決定が相次いだからだ。2デイズで予定されていたPerfumeのライブも、26日公演は当日急遽中止になった。

それでも中止になる公演の多くは当初ホール~アリーナ~ドームクラスの比較的大規模なもので、ライブハウスにまで波及したのは主に3月以降だ。大阪のライブハウスにおいてクラスターが発生し、各メディアで大々的に報じられた事が影響している。

3月に行く予定でチケットを買っていたライブハウスでの公演は中止でなく延期となったが、事態の先行きが不透明なので払い戻す事にした。予定次第で行くつもりだった他の公演も中止になり、生活からライブが消えた。そして今日に至るまで、一切のライブに行っていない。というか観客を集めるライブ自体が開催されていない。

出費が減りに減る

自分自身2ヶ月以上ライブに行っていないのは15年振りだ。そもそもライブへの参加が増え始めたのが15年前なので、このような事態は初めてと言える。東日本大震災の時ですらインターバルは約1ヶ月半だった。長期的にライブに行かない生活はなかなか想像ができなかったのだが、コロナ禍によっておうち時間が増え、まず出費が著しく減った。チケット関係で金銭事情に影響があったのは、以下のような例だ。

①チケットを購入したが中止になり、払い戻しを受けた
②スケジュールや体力に余裕があれば開催直前にチケットを買おうと思っていたが、結局中止になり出費が浮いた
③もし開催されていれば使うはずだった交通費、食費、宿泊費が浮いた

これらを総合すると、軽く10万円を上回る。特にアラバキロックフェスの中止は①と③を満たしており、遠征のためその額も大きい。更に5月以降にはチケットを買っていなかったものの参加を検討していたフェスが複数あった(つまり②)ため、出費は予定より減った。また開催発表やチケット発売に至る事なく中止となってしまった公演もあると考えられ、浮いた額についてはこちらが把握できていない分もあるのだろう。

非日常は日常へ

日常に根付いていたライブが生活から消え、禁断症状が出ているかと言えばそうでもない。今まで好奇心の赴くままにライブに行ってきた結果、一生に一度は観たいと思うアーティストは、ほぼ観る事ができた。贅沢な話だが、ライブに行く事が日常に溶け込み過ぎて少々マンネリになっていた部分もあったと思う。

ライブは非日常の空間で、自分一人では得られない刺激が詰まっている。それを求めた結果いつの間にか刺激にも慣れてしまい、非日常は日常になった。そして沢山ライブを観ていると、色々なバンドのセットリストの流れなども何となく予想ができるようになっていく。するとライブはイメージの確認作業と化し、感じる事が疎かになってしまうのだ。特に一つのアーティストを深く追っている場合、ライブを観たいという最初の気持ちはいつからか、観逃したくない、あるいは支えたいという風に変わってしまう事もある。

また、一つ一つのライブへの有難味も最近はだいぶ薄くなってしまっていた。どんなに感動したライブがあっても、次に行くものがまたやってくる。すると普段聴く曲も次に観に行くアーティストの予習が中心となり、それぞれのライブの余韻を楽しむ余裕などなくなっていく。

しかし世の中には素敵な音楽がごまんとあり、当然ライブの現場で鳴る音楽がその全てではない。例えば現役で活動していないミュージシャンもそうだ。今回のライブ休止期間はそのような聴く機会を逃していた音楽に触れる機会として活用し、楽しく過ごす事ができている。

また溜め込んでいた録画を消費したり、積読になっていた本を読んだり、部屋を片付けたりと、別の事に時間を使うのをポジティブに楽しんだ。自己の内面を見つめる事にも繋がり、このような事態でもないと気付けなかった事の多さに、暇を持て余す事が一切ない。今回ライブに行かない時間を通して、一つ一つの音楽をより楽しんで、味わって消費するようになった。この期間は無駄ではなかったと思う。

これからの音楽

しかし今こんな悠長な事を言っていられるのはライブが日常に戻ってくるのが前提であって、そうでないなら話は変わってくる。今回のコロナ禍は、音楽産業としては過去に例のない相当深刻な事態である。

ライブハウスに行かなくても音楽を楽しむ事はできるが、ライブハウスを抜きにして現在の音楽シーンを考える事はできない。今ヒットチャートの最前線にいるアーティストも元々はライブハウスからキャリアをスタートさせているケースが大半で、経験していないのはジャニーズのように特殊な環境の場合が多い。

ライブハウスはミュージシャンが育つ場でもある。自粛の長期化で音を鳴らす場所が維持できなくなると、ミュージシャンはよほど人気があるか器用に変化に対応できるタイプでない限り、存続の危機にまで陥ってしまう。緊急事態宣言が明け、少し明るい兆しが見え始めたとは言え、新しい生活様式とやらにおけるライブハウスの基準は、本当に皆を幸せにするものなのだろうか。CDセールスと実際の人気が乖離しライブ動員数が以前に増して重視されるようになったこの10年だが、どうやらこれからのシーンでは新しい常識が作られていきそうである。

実際、その未来はもう訪れ始めているのかも知れない。今年になってヒットチャートで見かけるようになったアーティスト、例えばYOASOBI、Rin音、瑛人はいずれもTik Tok等のSNSを中心に支持を伸ばしており、ライブパフォーマンスのイメージはない。

例えば2010年代初頭の段階でも、ボカロPのようにライブのイメージはないもののネット上で抜群の再生回数を誇るアーティストはいた。当時ヒットチャートにそうした名前はあまり入って来なかったが、今では複合チャートが当たり前となり、ネット発の支持もしっかりヒット曲として認識される。ライブハウスで動員を拡大しフェスに出演、そこからより大規模なステージに駆け上がっていくという若手アーティストによくある拡大モデルは、もう古くなっていくのかも知れない。

その中心にいたロッキング・オンが主催するROCK IN JAPAN FES.2020は先日中止が発表され、今後フェスが開催可能になったとしてもこれまで通りの規模での実施は難しそうな状況である。今年の残り7ヶ月、ウイルスと社会がどのような道を辿るかに、音楽の未来はかかっている。

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