今週のハニー「透明人間」【池山】
自分を透明人間だと思う瞬間がある。
バレエを習い始めた小学3年生。始めるには遅すぎて、そもそも身体に対してのギフトがなかった私は柔軟するにも小学3年生の割には身体が硬すぎて、バランスも全然とれなくて、全く踊れなかった。
「先生が注意している人は、ダメな人じゃなくて、頑張ってる人や、センスがある人だよ」というのを聞いて、レッスン中に全く注意もされない瞬間、「私がダメだ」という事実から逃げるように、「私はきっと透明人間なんだ」と思うようにした。
生きていて、反応がないことが怖い。不機嫌を当てられることも怖い。私は弱い人間だから。だから自分が世の中に溶けるように、溶けるように過ごしている。相手に合わせて相槌をうち、ニコニコして、無視されたら「私はここに存在していないから」と自分の存在を否定する。私には私を守る術がそれしかなかった。
それがネガティブなことだとは正直思っていない。そうすることで環境が円滑にまわる瞬間が、少なくとも私目線ではたまにある。
ただ、その反動でどうしようもない勘違いをされることがある。
私は本当は、刺青をいれ、ピアスをたくさんあけ、ケラケラとでかい声で明るく喋る女でありたかった。不機嫌を当てられたって、自分が生きていることを周りにアピールして、反応をしっかりもらいたかった。地に足をつけたかった。
透明人間なんかとは真逆だった。
私がいなくても世界は回るということは百も承知で、だから”自分が存在する必要性“は、結局は自分だけの問題だと思う。そして、世界とまで言わずとも、自分の環境にいかに自分が影響出来るかは、自分自身の問題だと思う。私は私が存在する必要性が欲しい。刺青も入れてないし、ピアスは両耳で3つだけしか開いてない。好きな男や女の言葉で一喜一憂してしまう。
けれど、ちゃんと存在していたい。どうせ死んじゃって何もかもなくなるわけだけど、記憶があるうちは存在したい。
芝居をしてるとそんなことを思うわけです。
本書いて、演出して、ということをさせてもらう機会が最近多く、もちろんそっちの方も頑張っていきたい!という気持ちはいっぱいいっぱいあって、ここ1年過ごしてきたわけなんだけど、久しぶりの本公演で、やっぱり演出してる脳みそと役者の脳みそ、違うわーっと当たり前に思う。しかし演出ということをし始めたから役者として見えてきたことや楽しくなっていることもあるわけで(見えてきたものを活かせるかどうかはまた別だし、全然役者やってて嫌になっちゃうことの方が多いけど)
自分の立ち位置とか、役割とか、ね、この世界でどう存在するか。どうみんなが存在するか。どんな世界なのか。自分が存在する必要性はもちろん、”あなた”が存在する必要性、そのために自分がどう存在すると良いのか、とか。どう影響すべきなのか。とか。そんな世界作り。現実と変わらない気もします。
宣伝が下手くそなので今のこの私の現実と芝居に対する最近の思いを赤裸々に偉そうに書いてみたことをもって宣伝とさせて頂きます。あんまり綺麗事は書けないんだ、私は正直者なので!
でも、こんなことを思ってるなんて思わず「あめつち工場カランコロン」に没頭してもらえるように頑張りたいと思います。全員で世界を作ってしっかり存在したいと思います。
あなたの、よい子の、娯樂演劇になりますよう。
愛おしくあれ、全員。祈。
(ぶん•いけやまゆらり)
追伸
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