表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬を読んだよ
最近よく思うことがある。
みんな、どこに向かって、何を目指して生きているんだろう。
僕なんか独身なので、家族を養うとか明確な生きる指標もないし、そんな予定もからきし無い。
若林さんがニューヨークで感じた違和感。
「常にチャレンジしましょう!」「やりがいのある仕事をしましょう!」と絶え間なく耳元で言われている気がした。(中略)ニューヨークはどこに行っても金とアドレナリンの匂いがした。
これめっちゃわかります。今SNSやyoutubeなんかほとんどの若者が一日中食い入るように見てるけど、そこにもそんな奴らがいっぱいいる。いわゆる「成功者」たちの言葉ばかりが蔓延して、みんなそれをインプットした気になってウロウロしてる。
みんなどこに向かっているんだろうか、自分も含めだけど。
だから、若林さんがキューバのホテルの屋上で日が昇るのを眺め一人で爆笑していたのを凄く羨ましく思ったと同時に、自分もなぜか少し笑えてしまった。
冒頭で、自分の中にある言葉にできないようなモヤモヤを若林さんが言葉にしてくれて、自分と同じような気持ちで生きている人がそんな環境から解き放たれた瞬間、なぜか自分まで清々しかった。本を読んでいてこんな気持ちになったのは初めてかもしれない。
そして、モンゴルの13世紀村で若林さんが「居場所」について語っている。
「金やフォロワー数のような数字に表されるようなものではない心の居場所を作りたいと思った。そういう居場所を複数持っていれば、一つの村に必要とされなくなった時にほかの居場所がすくいになるからだ。」
あとがきにも書かれている「血の通った関係」につながると思う。
「血の通った関係」って凄く大切で、それが一番大切だということに気づきにくい。自分の「居場所」っていったいどこにあるんだろうかと改めて考えてみると、意外と少ないことに気づく。
でも少なくていい、それが続いていけば多分僕は生きていける。
そしてあとがきに書かれている
「自らの欠落にずっと生き辛い思いをさせられてきた。だから苦しみから逃れようと寄り道をたくさんした。その寄り道の先で”血の通った関係や、勝ち負けが届かない次元の仕事や趣味”に出会ったのだ。真っすぐに歩いていたら、そのどれとも出逢えなかっただろう。」
いっぱい悩んできた人だからこういうことが書けるんだろうな。自分の肯定の仕方がかっこよすぎませんか。結局今の自分を作ってきたのは過去の自分だし。
「カッコつけてんじゃねーぞ、タコ!」って言われちゃうかもしんないけどさ、
いっぱい悩んで生きていこうと思いました。
DJ松永の手紙も泣けます。
おわり
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