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Hotel Noum Osaka 宮嶌智子さん|立教大学ホテル運営論ゲストスピーカー紹介
立教大学観光学部で開講される「ホテル運営論」では、さまざまなゲストスピーカーをお呼びして、講義を展開しています。今回はHotel Noum Osakaを運営しておられる宮嶌智子さんのインタビューをお届けします。
宮嶌智子さんプロフィール:Backpackers' Japanの創業メンバー。2018年までの8年間COOを務める。その後株式会社Noumの代表取締役に
Backpackers' Japanに参画された経緯
——宮嶌さんはどのような学生時代を過ごされましたか。
学生時代は、「将来を語る」みたいな、今思うと少し恥ずかしい(笑)学生団体を運営していました。そこに、本間(編集注――のちにBackpackers' Japanの創業者となる本間貴裕さん)が参加してくれたのが、初めて会ったときでしたね。彼は何か面白いことをしたいと「100人で鬼ごっこする」みたいな企画をやったりしてました。
私は新卒で入った会社があったのですが、1年目の途中で、本間から一緒に起業して欲しいと誘われて、1年で会社を辞めて参画しています。実はその時父の強い反対にあったのですが、本間達が直接実家に来てくれて父も最終的には応援する側になってくれました。
学生さんには、なぜ会社辞めて参画したのかというのは、興味を持ってもらえるかもしれないですね。
私にとっての社会人1年目は、辛いながらも様々な経験ができる充実した時間でした。なので、サラリーマンを続けてキャリアを積んでいくことも、起業もどちらもワクワクするものでした。最終的によりワクワクするのはどちらかと考え、起業するほうを選んだんです。
そこから会社を辞めて、同じく本間から声がかかって参画した石崎と桐村と、代表の本間の合計4人で生活しながら鯛焼き屋さんやって、お金貯めて、っていうのがほんとに最初の最初ですね。
——そうなんですね。仲間集めってすごい苦労すると思うんですよね……。
代表の本間がオーストラリア時代なり大学を経て、出会った人たちに声をかけていたと思いますね。どちらかと言うと、ビジネス目線で「この人はこういうスキルがあるから、一緒にやろう」というよりも、彼が「好きな奴らと好きなことをしていきたい」という思いがあって、そういうシンプルな理由で人を集めていたと思います。スキルベースでは全くなかったです。
——学生が起業する場合どうやって貯めるか悩むと思うんですけど。
ですよね。そう、私たちも「とりあえず4人でバラバラにサラリーマンをやりながらお金貯めよう」みたいな話はもちろんあったんですけど。
でも一緒になにかやって考え続けるほうが大事なんじゃないかということで、4人でなんとかして短期間でお金を稼ぐ方法を考えました。
融資は不可能だったので、稼ぎ方をすごい考えて、季節労働の北海道の鮭とか三重・和歌山のみかんの収穫とか、他には山小屋行ってこもろうかとか、いろいろ出てたんですけど。最終的に鯛焼き屋さんが、この話も急に出てきたんですけど、これならできそうだなということで鯛焼き屋さんを始めました。
Backpackers’ Japanでのお仕事
——それでお金が貯まって、Backpackers' Japanのゲストハウスtoco.(トコ)を始められたと思うんですが、宮嶌さんはどんな役割でしたか?
私はもともとバックパッカーじゃなかったんで、ゲストハウス泊まったことがなかったんですけど、宿の1号店の女将になるのは何となく決まってて(笑)。
それで、まずは自分自身が旅人になり、宿に泊まる経験が必要だと思って、toco.の開業前に世界一周してます。旅人として、また、外国人として宿に泊まるとはどういうことなのか、どういうことがうれしいのかを学びました。その後、開業してからは、女将をやっています。
——それは宮嶌さんのご希望だったんですか?
適性的に私ができそうだったから、ということなんですが、本間の考えとして、宿で何が大切かというと、「宿を愛する人がいることだ」というふうにいつも言っていて、それは本間がいろいろなゲストハウスを回った上での結論だと思うんですが。
4人の中で、それができそうなのが私だったということだと思います。「宿を守っていく」みたいなところで、いわゆる女性的な仕事もあるかと思うんですが、メンバーの中で女性は私ひとりでしたし、そういう判断だったと思います。
——そこから、2年くらいのペースで新しい宿を開業されてきたと思うんですけど、ずっとtoco.の女将の役割を担当されてたんですか?
toco.を出して1年後にNui.(ヌイ)の物件が上がって、開業してるんですけど、そのタイミングでtoco.の女将は引き継いで、会社全体のオペレーションを見る立場になりましたね。
各店舗のマネージャーの統括をするオペレーティングオフィサー(COO)として、そのあとはずっとやってきました。あとは新規物件が出たら、その開業のための仕事もやってましたね。
——オペレーションってとても大変かと思いますが、人をマネジメントするという場面でなにか気をつけていたことは何ですか?
採用が一番大事だと思ってるので、ミスマッチがないようにしなきゃいけないし、チームのバランスも崩しちゃいけない。たとえば「Nui.の今のメンバーだったら、ちょっと大人で落ち着いたスタッフが足りないから、そういう人採用しようかな」という感じで、バランスを見ながら採用したことですね。
また、チームビルディングで言うと、まかないを出してるんですけど、スタッフ同士が一緒にご飯を食べる時間を大事にしていきたいと考えて、全店で続けています。一緒にご飯を食べれる人と仕事をしていたいと思うし、そういうチームでありたいなと思っています。
キャリアの歩み方
——新卒はホテルとは関係ない会社でしたか?
イベント系の会社に入りました。「人を日常から離れたところで元気にする」みたいなことに興味があって、イベント会社に入りました。
Backpackers’Japanではイベントを年間100本以上やってたんですけど、そういうイベントには基本絡んでやってました。今、前職の仕事は役には多分立ってないんですが、もともとの「人を日常から離れたところで元気にする」という動機は今も変わってないと思いますね。
——あまり宿泊業に関わってないところから始められたと思うんですが、それは世界一周して得た知見ですとか、実際にやりながら改善していったのでしょうか?
社内制度で年に1回、2週間のまとまった休みが取れる制度があるのですが、私自身も、その制度を使って、海外に行き、ホテルに泊まったりしていました。
——「30代になるにつれて自分らしさをあらわせるホテルが変わってきた」ということを読みました。今回の講義を受ける立教大学の学生の方をはじめ、20代中心の人たちに泊まってほしいホテルはありますか?
いろんなホテルに泊まるのが大事かなと思います。私もアパホテルとか東横インなどのチェーンのビジネスホテルに泊まったりもするんですよ。一方で、京都のエースホテルとかアマンとか、ハイブランドのホテルにも泊まったりするんですね。もちろん経済事情もあると思うんですけど。どれがいいかとかはまだ分からないと思うんですよね。
Noumに転換するきっかけ
今までドミトリーを作ってきて、自分たちが泊まりたい宿をずっと作ってきたっていう自負があって、そういうなかでNoumを作った理由は、今作りたいそして泊まりたい場所が、ゲストハウスからホテルに変わったっていうところが一番大きいかな、と思います。
気持ちのいい場所を作るってなったときに、今度はホテルをやってみよう、というのが動機としてありました。
——本間さんが今まで作ってきたのは夜の風景だったと聞きました。ゲストハウスのバーで知らない人と話す。ふつうの飲み会とは違って「もう寝るから」と帰りやすい。そんな場所を作ってきたと。宮嶌さんが朝の風景をもっと作ろうと思ったきっかけは何でしたか?
私自身出張が増えてきて、朝を気持ちよく迎えることができたら、その日1日って有意義に過ごせると思うようになってきたのですよね。仕事でホテルを使うときに、朝二日酔いで起きて、ではなく——そういうこともあるんですけど(笑)、やっぱり1日をしっかり始めて、仕事をするというリズムにしなきゃと思うし、そのためのホテルって今ないんじゃないかと、「朝の景色を作りたいな」と思ったんです。
あと、ポートランドにいったときに、朝ごはんめぐりをしてたら、朝から結構レストランがにぎわっている景色を見て、あまり日本人って朝から外食したりしないけど、こういう景色もいいよな、と。それで朝食をしっかり出そうと思いました。
——Noumの「都市で自然を」というコンセプトの意図はどういったものでしょうか?
多少駅から離れたとしても、目の前に公園があったりだとか川があるような立地をもともと探していて、あの物件に出会ったんですけど、ただ寝るだけためのホテルにしたくなくて、何かしらリラックスできたり、心を落ち着かせたりできるような、そういうホテルにしたかったんですね。ただ普通に街中につくってチェーンホテルと競争したくなかったし、違うものを作りたかったし、ただ狭くて寝るだけのホテルにはしたくなかったというのがありますね。
代表としてのお仕事
——Noumは子会社化されたと思うんですが、それまで、たとえば財務とか広報は他の創業メンバーの方がやってらっしゃったと思うんですけれども、独立するにあたって自分でやっていかなきゃいけないみたいなプレッシャーはありましたか?
ありました。初めて借り入れもしたし、登記などもやったことなかった。やらざるを得ないのでやったんですけど。ファイナンス系は外注してたんですけど、今までやってきたことと代表の仕事って、やっぱり全然違うんだなっていうのは、代表やってみて思いましたね。
——具体的にどういう風に違うと思いましたか?
お金の面でのプレッシャーは全然違うなと。個人としてはやらないような金額の借り入れをしなきゃいけない、やることもあるわけで、銀行とのやり取りとかは間違っちゃいけないし先生がいるわけじゃないので、その辺は結構シビアだなあと思いましたね。
そこは本間が1人でずっとやってきたので、これを1人やってきたんだなあと改めて感じたところではありましたね。
——メンバーへの尊敬が深まったのでしょうか?
そうそう(笑)。あんまり、お互いフィードバックしあわないので、それぞれの仕事に対しては。
——そうなんですね。やっぱりメンバーの関係性が気になります(笑)。同世代中心だとなあなあになってしまいませんか?
店舗展開しつづけてたし、組織がどんどん大きくなり続けてたんで、4人から100人くらいになってくると、やる仕事も変わってくるので。横を見ないでとにかく走るみたいなスタンスでした。今でもそうですけどね。
学生で仲間で起業するのは絶対失敗するって100パーセント言われてましたけどね(笑)。なんとか13期続けてきました。
「笑ってないとだめだよ」という父のアドバイス
——メンターのような方はいらっしゃいましたか?
本間個人とか私個人にはいましたね。私にとっては経営者の父もです。今も相談してますね。
——コミュニケーションのコツは何ですか?
最初の頃は説教じみた感じになるのがすごいイヤだったのですが、相談はし続けましたね。すると内情を分かってくれて、より的確なアドバイスをくれるようになりました。的外れだとイライラしちゃいますよね(笑)。そういうのは一切なかったです。
父も社長だし、サービス業でサラリーマンからのたたき上げの社長だったので、サラリーマン目線も分かるし、代表ならではの悩みも分かってくれるので運がよかったと思います。一緒に飲みますし。父とスムーズに会話できるかは年齢とかタイミングもありますよね。私もよく話すようになったのは社会人になってからですね。
最近印象に残ったことだと、しょんぼりして電話したことがあって、具体的な悩みについても相談していたら、最後に言われたのが、「智子は笑ってないとだめだよ」と言われたことですね。代表が下向いてたら、周りは気を遣うし、こういう状況でも笑っていられるような強さを持っていたいな、と思いましたね。
——最後に、観光業に興味のある若者に伝えたいことはありますか?
今、観光業は打撃を受けていて、ポジティブなところを見えにくいけれど、必ず戻ってくると考えています。そして、価値がある空間が残っていくと思っているんですね。Backpackers' Japanで言うと「あらゆる境界線を越えて人々が集える場所」という価値観は、何年後でも価値があり続けるし、そういうところに人は集まると思います。
今だけじゃなくて、観光業については、将来を見据えた上で判断していくことは大事なのかなと思います。そこにワクワクできないと続かないのかな、と。必ず戻ってくると思うし、自分たちのやっていることは価値がある、と、そう思える場所で働くってことが大事なのかなと思っています。
立教大学の『ホテル運営論』では、10月16日(金)に宮嶌さんにさらに詳しい事業のお話などを伺います。Tourism Academy SOMEWHEREは今後、大学の授業設計に参画していくだけでなく、その他の多くの方々にも観光事業に関心のある方々へ学習コンテンツを提供していきます。
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