跡形
誰かのせいにする、何かのせいにする、ということは何と救われることなのだろう、と気付く。
私たちはいつだって、理由づけをすることで心の安寧を求めている。
では、目の前に広がる、何のせいにもできない出来事と、どう向き合えばよいのか。
3月11日、
夜道を照らす数多の光になった命に想いを馳せる。
遺されたものの何を見ても、怒りも、やるせなさも、恐怖も感じない。
そこにはただ一つ、儚さだけが漂っている。
『それは神の悪戯でも凄惨な地獄でもなく、
静謐で尊く、荘厳な光景であった。』
私達はただただ、自然の力に畏怖し、畏敬を持って見つめるしかなかった。
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